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アッパレでした、としまえん

コロナ禍の中、夏休みらしい夏休みも無かった今年

 が、8月31日のテレビや新聞には、多くの人が行列を作る様子や、人でごったがえすプールの様子が映され、「ああ、夏休み」ってこういう風景だよなあ・・と感じたはずである。(そして、そのあとで「三密ってどこに行ったの?」と、ハッとさせられる。)

 東京都民、特に城北地区で生まれ育った人には、馴染み深かった遊園地「としまえん」の最終営業日だったからだ。

 多くの人がそれぞれの思い出を抱いて、遊園地との別れを惜しむ姿は、「としまえん」を知らない地域の人も、子どもの頃に遊んだ地元の遊園地や、夏休みの思い出と重ねて見ていたのではないかと思う。

 旧練馬城址を利用した運動公園としてスタートしてから、実に94年

 東京とその周辺には、それと前後して「としまえん」と同じような都心から私鉄で30分程度で行ける立地に遊園地がたくさん作られた。

 大田区の多摩川園、世田谷の二子玉川園、川崎の向が丘遊園、千葉の谷津遊園、競輪場として、あるいは駅名として、その名を留めている横浜の花月園、調布の京王閣等々

 当時はどこも周りは田んぼしかないような「郊外」であったが、東京の人口が増えていく中、周りが宅地化し、土地も高騰していくなか、一つ減り、二つ減り、さらにテーマパークという黒船の登場も相まって、昭和の終わりまでにそのほとんどが姿を消した。

 よみうりランド、東京ドームシティ、西武園などまだ残っている遊園地はあるが、テーマパーク的要素や派手なメディア戦略を取り入れ、純粋に昔ながらの遊園地というわけではないし、富士急ハイランドに至っては気軽に行ける距離というよりは一日がかりの旅行である。

 そうした中「としまえん」は、身近な「近所の遊園地」という大前提はブレることなく、その上でバブル期は新機軸の機種を次々に提案したり、その後は「史上最低の遊園地」をはじめ、新聞や駅貼りポスターを含む自虐的とも思えるユニークな広告で話題を集めたり、テーマパークと差別化するため、改めて小さい子供やお年寄りが安心して遊べる遊園地への回帰を宣言するなど、時代に合わせて、取り組みを変えながら生き残ってきた。

 今回、閉園に至ったのも、コロナ禍や時代の流れで「致し方なく」というのではなく、東京都でも有数の人口を抱え、近年、その住みやすさから、さらに人口流入が続いている練馬区において、いざ災害が発生したときの「避難場所」を確保するという事情がある。

 また、その土地の一部を生かして、新たに「ハリーポッター」のテーマパークが作られる。遊具の多くも同じ西武鉄道が経営する「西武園ゆうえんち」や、「八景島シーパラダイス」などに移設されるというし、ある意味でのリニューアルであり、はっきり言って「勝ち組」の閉園である。

 閉園発表から、実際の閉園までの期間が短く、しかもコロナ禍の中ということもあって、事前に予約できた人しか入ることが出来なかったため、せめて年末まで、あるいは年度末まで営業してほしいという声もあったが、実にあざやかな店じまいセールぶり

 それもまた、よいイメージを保ちながら、次へと進むための一歩なのだろう。

お見事!!

実にアッパレでした、としまえん

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