途中の始まりは貴重な一期一会(3)
だが、やはり一人に丸投げされる状況は、自分が力不足だった時に、
何よりも子ども達に迷惑をかけてしまう。
管理職側から出された、支援の提案も全部受け入れたうえで、
『子ども達が卒業するまで、全力で向き合うので、そのためにやれる、やりたい、と思ったことは全部させてもらいます。』
という思いを伝えて、
3連休明けから6の1の担任をすることになったのだった。
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初めからの担任の先生が、病休に入られる前の3・4日は、
「体調がすぐれない」と言う事で、実は、僕は6の1に数日入っていた。
その時は、「今日もととろん先生なん?」と言いながら、
子ども達は、まだ担任に僕がなるとは思っていないので
(僕自身も思っていないので)、距離を置きながらも、
興味津々に話しかけてきて、数日を過ごしていた。
連休明けの朝、6の1の教室に上がると、
「今日も、ととろん先生なん?」
「□□先生、どうしたんですか?」
「また、プリントで自習みたいになるの?」
先週までで、だいぶ僕に慣れてくれていた子ども達は、
明るく、迎えてくれて、質問も飛び交った。まぁまぁ落ち着いてと、
手ぶりで抑えて押さえてのポーズをして、落ち着いてから、
朝のあいさつを終えて、僕は言葉を切り出した。
「えっと、今日もではなく。今日から卒業までととろん先生が担任になります。□□先生の体調がよろしくなく、長くお休みされることになった様なので、そのようになります。」
36人全員が、静かに聞き入っているが、
動揺している雰囲気は、学級全体に広がっているのがわかる。
「みんながどうなるのと言う気持ちもわかる。だからちゃんと初めに言っておきたいことがあります。先生は、死なない限りは、何があっても卒業まであなたたちの担任でい続けるから、そこだけは約束させてください。絶対にあなたたちを手放しませんし見捨てません。」
子ども達は、僕が何を言わんとしているか、すぐに悟った。
一学期、数名の騒がしい子に担任の先生が手を焼いて、
6の1に何人もの先生が監視するように張り付いて、
事あるごとに、叱られて、押さえつけられてきていた。
この子たちは、もう大人に対して不信感が募っている。
僕はこれまでにも、今の6の1どころではなく、
完全に荒れ放題になった学級や、子どもが無法地帯になった学級を、
途中から担任でお願いねと任された経験があり、そこは感じ取っていた。
騒がしい子にばかり注目が集まり、大人がそれに手が負えなくなり、
しかりつけるような全体指導でどんどん子どもたちの笑顔が消えていく。
それでも担任がいる限りは、まだ自分たちのこの一年の、
居場所を見失わないのだけれど、担任がいなくなることで、
まるで捨てられた動物のように、自分たちの居場所がなくなった不安で、
ますます落ち着かなくなる。これまで頑張っていた子の心も折れる。
そうなると、子ども達の小学校生活最後の時間は、
もはや地獄か虚無か。彼らにとって何の価値も見いだせない、
空っぽの時間になってしまう。
だから、ぼくは、この子達にそんな思いは絶対に味あわせない。
絶対にこの子たちが居場所を無くした不安にかられないように。
この子たちが小学校生活最後の時間を、価値のあるものに思えるように。
そんな思いで、朝の話を続けていった。
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