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できない事をできないと言える雰囲気で(前)

こうして始まった仲良しさんクラス1組。

6年生ばかりの8人と先生二人のクラスでは、

通常学級での6年生の学習と同じように授業を進めていく。

始まって、3日目のことだった。

国語の単元「カレーライス」で、主人公の気持ちを想像して

言葉にしてみようという活動になった時、

みんなの手がなかなか進まないことに気付いた。

中でも特に、はや君が辛そうだったので、

「はや君、思いついたことからでいいから、言葉に書いてごらん。」

というと、はや君、髪をガシガシ書きながら、

「いや、ヒロシと俺は違う人間やけん、わからん。」

なるほど、そういう風にとらえてるのか。

「もし自分がヒロシだったらと思ったらどんな風に思うとかある?」

「もし?いや、もしだとしても、それはヒロシじゃなくて俺の考えになるから、書けても正解じゃないやん。」

こちらの方が、確かに。と納得してしまった。

本文から人物の気持ちを考えよう。国語では、よくある活動だ。

だが、その物語を、一つの状況としてとらえて、

そこに想像とかではなく、場面を客観的にとらえてみれば、

確かにこの6年生が読み解ける内容の文章だけで、

中の人の気持ちを考えるなんて言うのは、間違いなく難しい。

かといって、それも正解これも正解だったとしたら、

表現の解釈は、なんでもいいんじゃないかという拡大解釈という、

考える意味が薄れてしまう。これはなかなかの問題だ。

「うん、はや君。確かに言うことは納得した。みんな、ちょっと手を止めて顔を上げて。」

なかなか文章が進まないみんなは苦しそうな顔から、

ほっと一休みの表情になって、顔を上げた。

「みんな、先生とはや君のやり取りは聞こえていたと思うんだけど、どう?ノートに書けた人はいる?」

「これでいいですか。」

とそうくんが持ってきた。

「ちょっとみるね。」

・・・なるほど、あらすじの様に本文を写しながら状況をまとめているが、

気持ちを想像するというところには、まとまっていない。

みんな、物語の人物の気持ちを想像するのが難しいのかな。

それともそれを言葉で書くのが難しいのかな。僕も考えた。

少なくとも現状の質問では、子ども達はどうしていいのかわからない。

であるならば一つずつ、確認して行こう。

「じゃあ、一旦今の質問は無し。そうくんのは文はよくまとまっていたので、それはそれで先生は丸を付けさせてね。で、今の気持ちを言葉にするのが難しいなと思ったので、ちょっと質問を変えます。」

一呼吸間をおいて。

「この場面、どんな場面か今からやってみようと思います。」


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