無力さから学んだこと(後)
お母さんは、自分が話を聞いてもらってもいいのかと尋ねられたので、
もちろん大丈夫ですと伝えると、面談することに前向きになってくれた。
面談の日、お母さんが来校すると、こうくんも一緒にやってきた。
僕らは、面談に来たお母さんについてきたと言う事で、
その日こうくんが欠席でなく遅刻で登校したものとしてカウントした。
卒業の前日までに、お母さんの面談は3回することができて、
その都度こうくんも学校に入ることができたので、
こうくんの6年生での出席日数は3日となった。
そしてその3日の内の1日、30分だけ、
仲良しさんクラスの子ども達とも顔を合わせることができた。
こうくんが6年生でこのクラスで過ごしたのはその30分だけだ。
こうくんは卒業式の後の午後、お母さんとやってきて、
校長室で卒業証書をもらって帰って行った。
穏やかな笑顔とお母さんにくっついて離れられない様子だけが、
僕の心に残っている彼の印象のすべてだ。
この一年での彼との思い出は、記憶の中に欠片もない。
【小学校の全過程を修了したことを証明する】
この文言が、こんなにも虚しく響いたことはこれまで無かった。
それでも卒業させてしまう学校現場の現実に、
自分たちの仕事はやってもやらなくても、
変わらないのものなのだと思い知らされた。
これ以降、僕は子どもたちに、学校は来なければならないものではないと、
以前よりもはっきりと、伝えるようになったように思う。
「義務教育は、子どものみんなの義務でなくて、みんなを育てている親や、大人の義務だから。みんなにとって学校は、行かなくてはならない場所ではなくて、行っていい場所、権利なんだよ。」と。
その上で、子ども達が、『学校に来たい、行きたい』と感じる場所に、
学級は、学校はしていかなくてはならないという思いも強くなった。
小学校に関しては、全く出席しなくても、日本では卒業できる。
いや、卒業させられてしまうものなのだ。
歳を取れば、中学校卒業までは自動的にもらえてしまうのだ。
にもかかわらず、不登校であることを問題にするのは何のためだろう。
学校は、不登校であることを児童生徒・家庭の問題としてとらえたがり、
学校に問題があるか否かは、いじめや教員の高圧的指導などない限りは、
学校には問題ないとしようとする傾向がある。
その上で「学校は行くのが当然で、不登校は解消せねばならない。」
という意識が現場にはいまだにはびこっている感もいなめない。
だが、学校は「子ども達が行きたいと選んでいく場所」であって、
僕らは、まずそこを整えて子ども達が毎日行きたいと思う場所であるように
工夫をしたり、真摯に向き合ったりすることが大事なのだ。
どのみち、行っても行かなくても、入学して卒業していく場所だからこそ、
「行ってよかった。」と思える場所できるように。
こうくんとお母さんとの一年間のつながりは、
僕の中の学校の価値を、子ども達との向き合い方を、
大きく変えてくれる経験になった。
無力さを感じることで、もう一度前を向いてみた時の景色が
違って見えてくることもあるのだと、教えられた。