セリフすっ飛ばし事件(1)
個性が大事、縛り付けるのはよくない。
画一性・同調性を強いるのに意味はあるのか。
個人の性質が大切にされる流れになる中で、議論にとしてよく目にする
『公教育の場での、個性をつぶすような活動のあり方の如何』
については、自分はどちらかというと、「よいものではない」
という考え方である。
しかし一方で、現場で子ども達と向き合う中で、
まず示す学級でのめあては『守る・楽しむ・伸びる』であり、
子ども達には、一人きりの世界で楽しく生きていくというならば、
気兼ねなくあなたの好きなように生きればいいけれど、
周りの人たちと楽しく生きたいというならば、
周りの人も自分も楽しいと思えるように、
色々なことを守る必要が出てくるよ。と伝えて、
決まりや時間や約束を【守る】ことの価値を確認する。
そしてそれが、最も求められる場面が、卒業式ではないかと思う。
儀式的行事としての卒業式の内容に問題はないかというと、
それはそれで時代にそぐわない部分は、
変えていかねばならないことは多いと思う。
だが一方で、現状の様式がありますという前提の中で、
その様式について無知であり、いきなり感じた緊張感のある雰囲気の中で、
様式から大きく外れた行動をとってしまえば、ほとんどの場合、
一番恥ずかしい気持ちになり、後悔や悲しみが降り注ぐのはその子自身だ。
だから一方で、そういった「式」で的確に対応でき、
それがストレスに感じない心持ちを育てるためには、いや鍛えるためには、
日常にはめったに行われない卒業式のような行事に取り組む姿勢は、
大切なものでもあると考えている。
子ども達の社会性のレベルアップのためにも、気合を入れて頑張らせたい。
そう思って卒業式に臨む担任の僕が、
子ども達にはきつさを強いるのが目に見えている卒業式と、その練習に、
一番初めに、示してあげないといけないのは、
『そのきつさを、何のために、頑張るのか』
その動機だ。そしてこれはもしかしたら、以前の話でも、既述したように、
「本当の主役は、一番後ろに座っているおうちの方。あなただけを見に来て いるたった二人の、もしくは一人のその人に、あなたがここまで立派に育ったことを、態度で示すのが、あなたたちの役割だよ。」
と言う事だ。そして6の1の子たちは、その思いもしっかりと心に抱いて、
練習に臨んでいた。そんな卒業まで残り3日となった練習の日、
何が原因かは、今でもわからない、
『【クラス全員で】セリフすっ飛ばし事件』
が、突如として発生したのであった。
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