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2.小学生からの習慣と次兄のこと

小学生から身についた習慣。
それは、学ぶ習慣です。

やっていた習い事は、
公文、そろばん、学習塾、ボーイスカウト、
スイミングと5つもありました。
多い時は週6で習い事をしていました。

今考えれば、よくこんなにやっていたなと
思うのですが、当時はこれが当たり前だと
思っていた節があり、特に疑問を感じて
いませんでした。

おそらく、オカンは僕の相手をする暇が
なかったこともあって習い事をさせたのでしょう。
親父の会社を手伝いながら、家事と育児を
こなすためにとった手段だったのだと思います。

公文は幼少期から通っており、
小学生のうちに高校の範囲まで進んでいました。
なので、小学校の算数はクラスの誰よりも
早く解け、自信になりました。

自由帳(何をやってもよいノート)には
短時間で終わらせることができるので
計算ドリルばかりをやっていました。
担任のM先生からは「毎日やっていて感心です」
とみんなの前で褒められたこともありました。

そんなこともあって算数は自然と好きになり、
どんどん難しい問題にチャレンジするように
なっていました。

受験する気もないのに有名私立高校入試問題
ばかりを集めた問題集をやっていたのですが、
さすがに骨のある問題が多く解けませんでした。

学習塾に持って行って先生(兵庫教育大学の学生)
に聞いていたのですが、ある時に
「きみは私立に行かへんねやろ?
 だったらこんなんせんでええで」
と言われてしまいました。
先生でさえ解けない問題がちらほらあり、
かなり負担になっていたからだと思います。

僕はオカンから
「勉強しなさい!」
と言われたことがなかったと思います。

逆に、夏休みに家族で(親父は不在)
旅行に行った際にも勉強道具を持っていき、
「あんた、こんな時ぐらい勉強せんで
 ええのんちゃうの?」
と言われたぐらいです。

こうして、自学自習をする習慣は小学生の頃に
築き上げられました。

いずれの習い事もオカンに「行きなさい」と
言われたわけではなく、「どないする?」と
聞かれ、自分で行くことを決めて行った
と記憶しています。

幼少期から判断を任されることが多く、
たいていはその判断を尊重されました。
自分で考え、行動する習慣も、
この頃から身についたのではないかと思います。

その習慣は大学生や社会人になってから
とても役に立っています。

自分の子どもたちにもと思い、
同じような手法をとっているつもりです。

長兄も僕ほどではないですが、
たくさんの習い事をしていました。

一方、次兄は途中で辞めてしまうことが
多かったです。

ある時塾の先生が
「これ、もらうわけにはいかないです」と
月謝を家に返しに来られたことがあったそうです。
次兄は月謝を先生に渡すだけして教室から姿を消し、
その間友人と遊んでいたようです。
それが何カ月も続き、さすがに先生が月謝を
返しに来られたのです。

このように、次兄はあまり勉強をしませんでしたが、
ずる賢さは三兄弟で一番でした。

これも大人になってから長兄に聞いたことです。
ある時、長兄が次兄に呼ばれました。
「にいちゃん、ちょっと来て。凄いもんみつけた」
長兄が次兄についていくと、実家近くにあった
西脇中学校のグランドの砂場から
なんと1万円札が出てきました。

それはオカンの財布から次兄が盗んだお金でした。
ただ、あまりにも額が大きかったため、
次兄が拾ったことにすることにしたのです。
ただ、一人だと疑われると判断し、
長兄を証人として巻き添えにしたのです。

「普段一緒に遊んでたのオレやったのに
 なんで兄貴に声かけたんや?」
その話を聞いた時にそう次兄に聞いたら
「お前連れてったら警察に届けようとか
 言い出すと思ってな」
と言われました。
こういうことには頭が働く次兄です。

長兄と僕は進学校である小野高校に
進学しましたが、次兄は地元にある
西脇工業高校に行きました。
最大の理由は学力がなかったからです。

しかし、次兄は一部上場企業で管理職をし、
それなりに稼いでいます。
次兄によると高卒で初の管理職らしいです。
アメリカに5年間長期出張していましたが、
それも高卒では初らしいです。

やればできる人なんでしょうけど、
子どものときはそれを違う形で使うことが
多かったということなのだと思います。

次兄本人に聞いた話ですが、
高3のとあるテストでクラス全員が満点をとった
ことがあったそうです。
それは、次兄が先生のパソコンをハッキングし、
問題と解答を事前に入手し、
それをクラスメイトに教えたからだそうです。
まだパソコンが珍しかった時代です。
もちろん実家にもパソコンはありませんでした。
そんな時代にハッキングとは、恐れ入ります。

そのことが発覚して当然担任から怒られましたが、
「お前の能力は凄い」
と褒められもしたそうです。
そして、
「『カプコン』を推薦してやるから行け」
と言われたそうですが、
拒否して自分で就職先を見つけ、合格し、
今に至っています。

子どもの頃は毎日にように喧嘩し、
憎たらしい存在だった次兄ですが、
今は分かり合うことも多く、尊敬する存在です。

(つづく)


次のはなし

3.中学生の頃のはなし
https://note.com/totoro0129/n/n3d412f081dc3/edit


<0.プロローグと目次>
https://note.com/totoro0129/n/n02a6e2bda09f

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