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41.コンサル時代のはなし(転職決意編)

最後に、転職を決意することになったトラブルのはなしです。

札幌市でもっとも多く寄せられる苦情は、除排雪に関する苦情です。
年間数万件の苦情が市に寄せられ、苦情の半数以上を占めます。
年間累積降雪量が5m程度、最大積雪深度が1mにもなる街に、190万人もの人が住んでいるのですから、それもやむを得ないことだと思います。

それでも、札幌市はこうした苦情を減らすべく、市内で100のモデル地区を選定し、『除雪に関する住民懇談会』を開催することにしました。
住民の率直な意見を伺ってガス抜きをするとともに、除排雪のルールをきちんとご理解いただくことが目的でした。

前職の会社がその大きなプロジェクトを受注したのですが、正社員が5人しかいない会社でまわせるはずもなく、札幌市内にある同業他社すべてに声をかけ、そのとりまとめをしました。

プロジェクトの中での取り組みとして、除排雪に関するアンケートを数万世帯に送付するというものがありました。
アンケートのポスティング自分たちではなく、とあるポスティング会社にお願いしました。
しばらくすると、アンケートの送付先となっていた市役所から連絡が入りました。

「いくつかの地域から全然アンケートが返ってこない」

すぐにポスティング会社に行き、社長にどのような体制になっているか聞きました。
ポスティングはその都度バイトを募集し、彼らに全て任せているとのことでした。

そこで社長に担当者を事務所に呼び出してもらい、きちんと配ったかどうか尋ねました。
すると、みんな配ったと言いました。
「この後、僕が一軒一軒回ってアンケートが届いていたかどうか確認することになります。
 もし配っていないとそれがバレることになりますよ。
 その場合再度お呼び立てすることになりますが、本当に全部配っていただけましたか?」
そう言ったところ、多くのバイトさんが本当は少ししか配っていないことを認めましたが、それでも全部配ったと言う人が二人いました。

きちんと配られていなかった地区をどうするかですが、一番簡単なのはすべての世帯に再度ポスティングをすることです。
しかし、苦情の多い除排雪に関するアンケートを、立て続けに2通送ると苦情の上乗せになりかねないため、事前に住民に事情を説明するためにもヒアリング調査が必要でした。

その日からプロジェクトから一旦僕は外れ、数千世帯にアンケートが届いていたかどうかのヒアリング調査の専属になりました。

気になっていたバイトさんが全部配ったと言い張った2地区は、どちらもさらに残念なことが起こりました。
1つの地区は、僕が調査に入る直前にアンケートが配られていました。
どうやら本人が慌てて配ったようなのですが、いずれにせよ再度配ることになっていたのです。
彼の行動はムダな行動であり、正直に言ってもらいたかったです。

もっと残念だったのは、もう一人の女の子でした。
やはり配られていなかったと再度ポスティング会社に呼び出したのですが、その時は車いすのお母さまと一緒でした。
そして、お母様は次のように言われました。

「この子は雨の日もタクシーを使って配っていたんですよ。
 届いていないと言う家庭は無意識にアンケートを捨てたんじゃないでしょうか?
 それとも、うちの子が嘘をついているって言うんですか!」

1件当たり数円の対価しかないポスティングを、タクシーを使ってまでやるとはとても思えません。
届いていなかったのは数件ではなく、数百件です。
無意識に捨てた方がそんなにいるとも考えられません。
車いすのお母さんを登場させてまで(もしくはお母さんの判断なのか)事実を認めず、謝罪を拒むのかと、腹立たしいを通り越して悲しくなり、それ以上は追求せずに帰ってもらいました。


車をもっていなかった僕は、ヒアリング調査をある時はレンタカーで、ある時は経費を削減するために同僚Tの車を借りて行いました。
対象となる地図を助手席に置きながら各家庭を回っていたのですが、早くヒアリング調査を終わらせるために信号待ちの際に次のエリアの場所を確認していました。
そして、その行為が原因で追突事故を起こしてしまいます。
前日運転していたレンタカーに比べて、Tの車のブレーキは効き方が甘いことに気づかず、助手席の地図を見た際にブレーキを踏んだ足から力が抜け少しずつ前進していたのです。

本プロジェクトにおいて、アンケート配布がきちんと行われていなかったこと(ポスティング会社の管理不行き届き)、事故を起こしたことに対して社長から叱責を受け、始末書を書くよう指示され、かつ担当を外されました。

担当を外されてからAさんの下で指示されたことをこなすだけの仕事がスタートします。
自分で考えてやりたい派なので、この時点で既に面白くありませんでした。

さらに、早い段階でチェックする人に方向性を確認して仕事を進めるタイプの僕と、完ぺきに近い状態で出して欲しいと思うAさんと馬が合わず、どんどん関係が悪くなり、仕事がぜんぜん面白くなくなりました。
そして、このプロジェクトに一区切りがついた時に、社長に退職を申し出たのです。

社長は一度僕を引き留めようとされましたが、決意が固いことを察して諦められました。
給料もボーナスも減らされましたが、最後は穏やかに送っていただけたように感じました。

退職後はしばらく会社訪問をしていなかったのですが、退職して2年後に結婚報告のために社長を訪ねました。
その時にはよく来てくれたと笑顔で迎えてくださり、喜んでくださいました。

退職後に恨み節たっぷりのメールを送ってくれたAさんは、その時すでに退職されていて会うことができなかったのですが、そのさらに数年後に衛生工学科の同期会で会った時には、「今の会社の方が内藤君に合ってそうだね。がんばってね」と声をかけてくれました。

そんな訳で、2つめのコンサル会社はわずか2年3カ月で辞めました。
メーカーにいた時よりは正しいと思ったことを正々堂々と主張でき、それを評価してもらえる環境にはありましたが、それでもやはりエンドユーザーであるお客様の方向を向いて仕事ができないことが少なくなく、それが仕事へのモチベーションとパフォーマンスが上がらない原因になっていました。

そこに、彗星のごとく現れたのが今の会社の支社長でした。

実は、今の会社にはコンサル会社を辞める1年前にリクルートを受けています。
しかし、その時は入社を断っています。
一度入社を断った会社になぜ僕が入社を決めたのか?
それはまた別のはなしで。

(つづく)


次のはなし

42.札幌に戻ってからのバスケのはなし(前編)
https://note.com/totoro0129/n/nfc2d192465fb


<0.プロローグと目次>
https://note.com/totoro0129/n/n02a6e2bda09f

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