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46.奥さんに出逢うまでの恋のはなし

札幌に戻ってから最初に付き合うようになったのは、家庭教師の教え子Tちゃんの親友Mちゃんでした。
知り合ったのはTちゃんの結婚披露宴でした。
彼女の披露宴の友人・知人で呼ばれた男性は僕だけで、Tちゃんが趣味にしていた着付け教室の関係者のテーブルに座ることになりました。
そこにいたのがMちゃんでした。

Mちゃんに告白したわけではないので、友達以上恋人未満の関係で、一緒に食事をしたり、映画を観たり、ドライブをしたりするだけのプラトニックな付き合いが続きました。
一緒にいて楽しかったのですが、性的衝動が起きなかったのです。
自然にそんな衝動が起きればと思っていたのですが、そうなる前に会う回数が減り、関係が自然消滅しました。


その他、ニート期間中に中高の同級生、セビアンの同期、ヨシキヨの後輩など、いろんな人が友人を紹介してくれたのですが、僕自身がその気になれず、恋愛関係に発展することはありませんでした。


コンサルに勤めることが決まった2005年4月、復縁の可能性も考えて、ダメもとで学生時代に付き合っていたOに電話をしてみました。
電話に出てくれたので、飲みに誘いました。


会社帰りのフォーマルな姿で久しぶりに会った彼女は、随分大人びて見えました。
彼女はお酒が好きで、学生の時からよく二人で泥酔していたのすが、その時も二人して結構飲みました。


お酒の勢いもあってか、彼女は職場の後輩から熱烈なアプローチを受けて困っているという話をしました。
「そんな男は相手にしないで俺ともう一度付き合わないか」と素直に言えば良かったのに、想いとは裏腹に言葉が出て来ず、「いずれ諦めるんじゃないの」ぐらいのことしか言えずに別れました。

その話をヨシキヨのY夫人に言ったら、
「バッカだな、ジャッカル。
 なんで彼女はその話をジャッカルにしたと思う?
 女心をわかってねぇな

と言われてしまいましたが、後の祭りでした。


2年後、Oから結婚報告のメールが届きました。
相手はその年下の彼のようでした。


翌年、彼女からの年賀状が届いてビックリしました。
旦那の名前がひらがなにすると僕とほぼ一緒だったからです。



ケジメのため、彼女の携帯番号もメールアドレスも結婚報告を受けた時に消去しました。
ただ、年賀状交換だけは今年まで続けて来ました。

しかし、今年の年賀状を最後とし、来年から年賀状を出さない旨の記載がありました。
時代の流れですね。
これで一切彼女の情報は入って来なくなりますが、それはそれで良いと思っています。


コンサルで働くようになった時にセビアンの後輩Sからmixiを教えてもらいました。
すぐにmixiに毎日投稿するようになったのですが、その投稿によくコメントをくれたOさんと付き合うようになりました。
ただ、彼女とも友達以上恋人未満の関係で、食事やドライブをするだけのプラトニックな付き合いをしていました。
楽しかったのですが、Mちゃんと同じく性的衝動が起きなかったからです。
痺れを切らしたOさんからより深い関係を求められたのですが応えられず、1年余りで別れることになりました。



コンサルの退職を決意した時にはもう32歳になっていました。
学生時代付き合っていたOと別れてから、もう8年以上恋人と呼べる人がいない状況でした。
そろそろ恋人ぐらいいないと結婚できないかもしれないと思い、積極的に相手を探すことにしました。

そんな時に知り合ったのがMさん。
Softbankショップで僕の携帯の手続きをしてくれた人でした。
一緒に飲みに行き、お好み焼きパーティーもし、ペアウォッチを送ったら喜んでくれ(たように見え)ました。

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そろそろ告白しようかなと思っていた矢先に彼氏ができたと言われ、わずか3カ月ほどで関係は終わりました。


こりゃぁ一生結婚できないかもしれないなと思っていた時、中学の同級生から結婚相談所の登録を依頼されます。
それはまた別のはなしで。

(つづく)


次のはなし

47.今の会社に勤める前に全国を飛び回ったはなし
https://note.com/totoro0129/n/nc8ed3ca6bdef


<0.プロローグと目次>
https://note.com/totoro0129/n/n02a6e2bda09f

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