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したいことが見つからない

私は共依存関係で人間関係が出来上がっている感じがする
そうだからなのか、私は自分自身で歩く道を選べないでいる
右にしようか左にしようか・・・ 選べない

私は多少の願いは利いてあげられる力を持っている人です
私を頼りにする人は弱い人が多かったです
だから私が何でもしてあげてあげました

その最たるものが育ての親(叔母)でした
仕事もお金も生活も何もかも頼られていました
私は何もかも諦めて、そして手放して親の面倒を見ました
お陰で何もかも失くしました

簡単に言ったら親の道楽で家もお金も家族もバラバラになりました
私の子供は私の育ての親を恨んでいるそうです
そうだろうと思います
私は嫁さんも子供も手放してしまったからです

共依存関係の人と縁を切るのは別れるだけです
簡単に出来ることではないのですが、別れる事以外縁が切れません
それが私は64年も切れないでいました
切れたのは親が亡くなったからです
自分の力ではありませんでした

結果的に私は共依存を自分の力では解消できなかったのです
加藤諦三さんの本を沢山読みました
そして自分はアンテナがいっぱいある出来る人間だとわかりました
そんな自分が苦しんでいるのは共依存関係の親がいることもわかりました
別れないといけないと思っても、どうしても離れられなかった

それだけ共依存って凄い力で自由を奪っていくのです
でも、それは自分の心が自分を縛り付けているのです
親が私を縛り付けていたのでは無く、自分で自分を親の都合良い人間に
作り上げていたのです

私は小さいときから何かしたいとか言ったことがありません
思いつく事が無かったのです
だから大人しい子でいました、良い子でいました
それは育ててくれているから親の顔色を伺って親の指示を待っていたのです

私の育ての親は客観的に見ると仕事の能力のない人たちでした
だけど職人には恵まれていたので、会社を経営していました
それも、段々と居なくなり私が家の手伝いをすることに成りました
最初の一年は何も教えてもらえなかったので、家の経営状態を調べました
見積もりも一人で出来る様に頑張りました

これも親が喜ぶだろうと思ってです
だけど、親は何もしてくれませんでした
いやあとから考えたら何も出来ない人たちだったのです
ホント何も出来ない人達だったのです驚きでした

そんな何も出来ない親だから手放すことが出来ませんでした
そこから親の言いなりになって生活していました
給料は貰ったことがありませんです
もちろんボーナスも無かったです
それは結婚しても同じでした

親戚の叔父さんから会社の経営をしたら良いと言われましたが
叔母はお金に執着している人で、家族の誰にも財布の中身を見せません
だから親の意向を感じてお金から一番遠いところで生活していました

今考えると、私がお金の管理をしたらキットきっちりしたでしょう
無駄なお金を出すことも無いだろうから家も売却すること無く
会社も潰すこと無く上手に運営できたと思います
家から出て家計を別々にしたら、家計簿を付けて1円たりとも無駄にしない
生活をしています

私は本当に何でも出来る人でした
自分でもわかってなかった
仕事もお金も人間関係も親よりかは上手にこなしていました
凄い人なんだと自分のことを思いました

なのに親が亡くなり自由になったのに全然自由になれなかった
気が抜けてしまったのです
介護鬱になってしまったのです
そろそろ亡くなって二年になります
なのに未だにしたいことも無く仕事が無ければジーッとしています

大きな大きな共依存の力で結びついた人間関係は死んでも駄目ですね
原因は私自身の中にあるのだから
そんな指示待ち人間だから今も何もしないでジーッとしています
心が無い人間になっているのだろうと思いました

昨日は元嫁から貴方の背中におばあさんが見えると言われました
育ての親がまだまとわり付いているのだろう思いました
そこでお墓参りに行ってきました
死んでから一度も行ってないのになあと思いながら行ってきました

さあ、これから自由になるんだと言い聞かせて今日を過ごしています
さて、心が自由になるのはいつ頃なんだろうなあ・・・

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