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家づくり中の小話 棟梁の心意気

 〜設計者が建築現場に行った時の事〜
施工中の現場。大工工事が終わりこれから左官工事(壁を塗る)が始まるという段階。現場に行ってみると 一箇所、壁から「込み栓」(柱と梁を留める棒)が出ているのです。通常は凸部分は切って、壁の中に隠してしまうもの。他の「込み栓」は全部切ってあるのになぜか一箇所だけ残してある。
あれ?なんだこれは?ミス?
何で壁から「込み栓」が出たまま壁を塗ろうとしているのか?

現場監督に聞きました。
私 「○○さん ちょっといいですか。こっち ほら これ 何で?」
監督「ああ 切りますか?」
私 「えっと なんで?切り忘れ?」
監督「△△さん(棟梁のこと)たまにこういうことをするんですよ」
私 「えっと なんで」
監督「いや 気になるなら切りましょう」
私 「いや 気になるけど なんで?」
監督「こういう家だっていうこと ま 洒落でしょう」

みんな 知っていて 残しているのですね。
棟梁がわざとやって
監督が そのままほおっておいて
左官屋が そのままで壁を塗ろうとしている。
それを設計士が無粋なことはしてはいけない。

木をしっかり組んだ家だよっていう表現もあるでしょう。
でもそれだけではないと感じました。
じつはいろいろ苦労があった現場だったのですが
この、ひとつだけ残された「込み栓」になぜか励まされたように感じました。
(この現場に何があった?)

完成間際になって 住まい手もその「込み栓」に気付きました。
じ~っとしばらく見ていましたが その後、何も言いませんでした。
住まい手は あの「込み栓」に何を感じ取ったのでしょう?
(一体この現場に何があったんだ!)

今も あの込み栓事件は(事件?)私にとって物語になっています。
面白い棟梁だったなあ。
こういうのって 人肌を感じるというか 気持ちがいいと感じます。
棟梁の家に対する熱意や思いがあり 周りの人(住まい手や設計者など)への気持ちがある。

家にそのような物語があることは そこに住む人たちにとって、どのような意味があるのでしょう?
時としてそれは、青臭いし面倒くさい。
でも気持ちの豊かさ 情操を育んでいけるのは 
やはり 人と人との関係 人と自然との関係 人とモノとの関係だと思います。
10年以上も前の話ですが 今はこういうやり取り 出来なくなって来てるなあ。伝わらないしクレームの元だと思っちゃってるのかなぁ。 気持ちを入れてやっていこう!   

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