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鈍臭くて何が悪い

今日は、無意識の思い込みを掘り下げるお話です。


私昔から「ドジ」をやらかす人間でして。


よく手からものは滑り落ちるわ、ここぞというところで「なぜ、今それをやってしまったんだ...」を起こすタイプです。


その度に「私って鈍臭くて、ほんとに役に立たないなー」なんて、落ち込むことも多くて。


なぜ、今日その話をするのかというと。


私「ザ・ファブル」が好きで、完結まで単行本で追いかけてたんです。

(今回リターンズが出ててたことを知り、私大歓喜)


無性に読み返したくなって、快活クラブで読破してたのですが。


本を返しに行くときに手から滑って、漫画が地面に落ちました。


一瞬キャッチしそうになったけど、見事にバサッと。


その時、なんとなく思ったんです。


「私って、ほんとに鈍臭いなー」


って。


もう先月から親が度々登場しているのですが、やはりこれも小さい頃から親に言われた言葉でした。


「あんたって、ほんと鈍臭いねー」


何かをやらかす度、何かを手間取る度に言われ続けたので「鈍臭いのって悪いことなんだな、ダメなことなんだな」って思ってました。


ここで補足しておくと。


もちろん、親から度々言われた言葉はすごーく嫌なのですが。


これを引きずっているのは私の問題だと思ってます。


これまで抱え続けている「否定的な思い込み」がどこからきているのか、無意識を掘り下げ、向き合う作業をしていくことが大事だと思ってこれを書いています。


親の発言はただのきっかけにすぎません。


それらの言葉を気にしないこともできたはずですが、「傷」として持ち続けていたのは他ならぬ私自身です。


なぜ、これを掘り下げるのか?と問われれば、無意識の思い込みにあえて突っ込んで向き合う作業をすることが、この先の私の目指すことに役立ってくると確信しているからです。


それがなんなのかは、正直、今はわかりません。


けれど、自分にしてあげられたことは、後々人にも自然と与えられることは知っているので、まずは私が自分を掘り下げることを頑張っています。


「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」byアインシュタイン



人間はピュアな状態で生まれ、それから自らで傷をもらっていきます。


どんな辛いことでもそこから立ち上がろうともがいて「解き明かし」「手放し」「気づき」を得ることで、自分自身の「楽しみ」や「得意」、「人生の指針」を見つけて行く生き物です。


だからこそ、人生で無駄な経験は1つもないし、起きた出来事は予定調和なんだなーと捉えています。


あとは、この傷を癒して、私自身を否定せずに丸っと受け入れた時に、面白い世界がみられることも本能で知っているので。


その世界を見てみたいという好奇心です。


そして、自分がみれたら、同じことで悩んでいる人の手を引いてこういう世界もあるんだよー面白いよーって伝えられるなーというおせっかいな下心もあります(笑)

 

補足はこのくらいにしまして。


まとめると、親のグサッとくる言葉を都合上出してはいますが、私にとってはその思い込みを理解することがこれからの「私自身」のために必要だと考えております。


本題に戻ります。


これまでの私は、親からの「鈍臭いねー」の言葉を受けて。


「鈍臭い」=「悪いこと」「恥ずかしいこと」「あってはならないこと」


と思い込んでいることに気がつきました。


そして


悪いことだから直さないと!



と、脅迫的に感じていた部分もある気がします。


さらに掘り下げると、鈍臭いといわれるようなことをしてしまう度に


「鈍臭くてごめんなさい」


「私みたいな鈍臭いやつと一緒にいたい人なんかいない。だって役に立たないし」


「どーせ鈍臭い私なんて誰からも愛してもらえない」



自分で書いてても悲しくなってくる思い込みです。


ドジする度に、生きていることへの後ろめたさというか、自分の価値が一気に下がるようなヒヤッとした感覚を味わっていました。



だから、これまでは、それが起こらないように気を張っていました。


それでも、もって生まれた宿命のように「ドジ」なことは起きるので、なんで私って役に立たないんだろう→気を付けないと!→ドジしての負のループ。


でも、今日はそれが「思い込みであること」に気がつけました。


だからこそ私は問うのです。


「それって、ほんとうに悪いこと?」


と。


考えた結果、


普通にドジっ子って可愛くない?


て思いました(笑)


まぁ、嘘なんですけど。(ごめんなさい)


悪いことではないよね?


ドジをしたら、フォローすればいいだけじゃない?


今さら直せないんだから、直そうとするんじゃなくて受け入れて「どうしていくか」を考えたほうが早いよね?



という結論に達しました。


直すことに労力を使って自分を責めるように生きていくよりも、フォローに労力を使って楽しく生きていくほうがいいやん。てことです。


偉そうに言うほど、どうフォローするかなんてすぐに思い付きはしませんが(笑)


自分と向き合うことで、自分の在り方に対して「疑問を投げる」ことができ、「別の選択肢」があるのだと気づけることが何よりも自分の心を自由にしてくれる。


これが楽しいです。


本題のほうが短くなってしまいました。


私の中でもまとめきれず、伝わりにくいことところがあるかもしれません。


こんな話書いて誰が得するんやって正直自分でも思ってます。自己満足だなーって。


しかし、これは私のライフハックに近いものになっていますし、誰かに私の成長をみててほしいなーなんて気持ちもあるのかもしれません。


きっとこれからも、これからもポツポツと無意識を掘り下げて気づいたことを投下していくと思いますので、どうぞ宜しくお願いします。


そして、私はこれから「鈍臭い」自分をどんどん肯定していけるように開き直って生きていきます!頑張る!


あと、そのうちタロットを本格的に始める予定なので、私に掘り下げられたい人のお申し込みをお待ちしてます😁


今日はこのへんで。


また、明日✨


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