人狼ゲームにおける「暴言」

今日は人狼ゲームについてコラムを書く。

「暴言」というのは人を傷つけ、基本的に好まれない言葉のことである。ここで暴言の例を出してしまうと一部の人は不快な感情を抱くし、そもそもこの記事は、人狼ゲームの暴言について理解を促す記事である。

きっかけ:ある村での出来事

オンライン人狼において、ある村が開かれていた。その中で、ある人がこのような言葉を用いた。

「Aは残念村だと思う。村だと思うのは確かだ」

その村では「暴言は禁止、廃村」という村ルールが課せられていた。

そこで「残念村」というワードは暴言であるとされてしまい、村は廃村、途中で終わってしまった。

確かにニュアンス的に「残念村」という言葉には否定的な意味合いが含まれ、暴言と捉えられても仕方ない言葉である。しかし、「残念村」はその人に対する適当な評価であるという指摘もできる。ここでの適当はいわゆる「適切」である。

本当に「残念村」は暴言なのだろうか?暴言を吐いただけで廃村という村ルールは些か過激ではないだろうか?

人狼ゲームにおける暴言の問題だ。

人狼ゲームと暴言は切っても切れない関係である

率直に述べてしまうと、人狼ゲームから暴言を無くすのは困難であり、人狼ゲームをやるにあたってはある程度暴言への耐性や理解が必要である。

もちろん、暴言はないのがベストだし、暴言を吐いたプレイヤーに対して注意をすることは至って当然である。

しかし、暴言を吐いたからそのプレイヤーは即座に危険なプレイヤーとみなされるわけではなく、または、「貴様は無能だ!」と罵られてしまうようなミスリードを、今ここでこの記事を読んでいる方がしてしまうこともある。その時飛んでくる暴言に心を痛めすぎないようにしてほしい。

どう説得しても意見の対立が消えず、または全くこちらの推理を聞き入れてくれない人に対して、反感や敵意、または呆れの感情を抱いてしまうのは、人間としてものすごく本能的で自然なことである。

人狼ゲームは「暴言」が生まれてしまう環境である

ここで、一度前提を確認するが、人狼ゲーム、または「汝は人狼なりや?」は村人に紛れた人狼を推理で探し出して打倒するトークゲームである。村人は誰が村人で誰が人狼なのか分からないが、人狼は仲間の人狼が分かる。その上で話を展開する。

人狼ゲームには占い師という役職があり、占い師は毎晩1人を占ってその人が人狼かそうではないかを調べることができる。

例えば、とんでもなく的外れでいかにも無能そうな推理をする人がいた。もちろん、人狼ゲームなのだから疑われもする。だが、占い師がとても信頼されている状況で、占い師はその無能で疑わしい件(くだん)の人物を占い、人狼ではないと証明した。

「残念な奴だ」「まあ、そうだとして次はどうなる?」「無駄な疑いをかけてしまった」

各々違う感想を口にするだろう。

ここである人がこんなことを言い出した。

「「残念な奴だ」という言葉は暴言だ!」

もちろん、そうである。ニュアンスを踏まえてみるも、どちらかというまでもなく暴言であり、下手をすれば一発レッドカードだ。

しかし、ここで省みるべきことが1つだけある。それは「残念な奴だ」という言葉が生まれる環境である。

なぜ「残念な奴だ」という言葉が生まれたのだろう?

それは無能で疑わしい件の人物が、無用な疑いを生み出してしまい、多くの人から人狼だと疑われたからであり、挙げ句の果てに推理にも信用できないという、まさに存在が利敵行為であると言わんばかりの人物であるからだ。そして、この感情は仲間である村人からすれば、「残念な奴だ」という感情は湧き出て自然な感情である。

人狼ゲームは対立が基本である故に

このように、人狼ゲームという環境は、無能な味方や意見が対立する人への憤りを頻繁に生み出している。憤りは暴言につながる要素の1つだ。だが、この憤りは当然の感情であり、それを無くすことは困難を極める。

そもそも論であるが、この人狼ゲームというのは、村人と人狼の戦いなのである。対立する2つのチームが戦うゲームなのである。それはもう、相手と対立してるのは明らかだ。シリアスな雰囲気は人狼ゲームでは当たり前。

和気あいあい、そんな呑気な気構えではすぐに村は滅んでしまう。真剣な雰囲気の中で、時間をかけて人狼を吊り上げるゲームなのである。

最初は疑っていたが、日が経つにつれて村ではないかと考えるようになった、というのは人狼ゲームにおいてはあるある的なことである。その中で、「残念村」というワードは、「この人のことを疑っていたが、人狼とするなら言動が残念すぎる」という逆説的な考えの果てに生まれた言葉であることを理解しなければならない。

適切で辛辣な評価を暴言とすることは、人狼ゲームにおいてはタブーな行為であると筆者は考える。

フォーカスされるべきはその暴言だけでなく、暴言が生まれる環境でもあるのだ。

まとめ

まとめれば次のようになる。

暴言は吐くな、絶対
だが、人狼ゲームから暴言を取り除くことは不可能
適切で辛辣な評価が暴言めいたものになることは自然である

人狼ゲームの上級者層であれば、分かりやすい文を書き、スマートに振る舞い、暴言など吐かないのがあるべき姿である。

しかし、人狼ゲームは対立のゲームなのである。対立は暴力を生む。言葉の暴力、すなわち暴言は自然発生してしまう。それも適切な考察においてだ。

我々人狼プレイヤーは、日々暴言を無くすように努めなければならない。しかし、暴言の範囲を広げすぎることもあってはならない。「残念村」などに代表される言葉は、適切な評価を下したが故に生まれており、適切な評価は暴言とは言い切れない。例えその評価が魂が飛び出るような辛さだとしてもだ。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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