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自己紹介

みなさまこんにちは。
初めてのnote投稿ということで、
まずは自己紹介から。
totoはこんな👇流れで現在まで生きてきました。
どうぞ、最後までお読みください。

家族構成

蒔絵職人で陶芸を趣味にもつ発想力豊かな父とお父さんやりたいことを一生懸命支える母の元に3人姉兄の末っ子として石川県で誕生。お父さんっ子でお風呂も寝るのもお父さんと一緒だった。私が社会人になった年に亡くなってしまいましたが、父の残してくれた作品で我が家は溢れてます♪

小学校時代

運動が大好きで、男の子とばかり遊んでしました。しかし、高学年になるとそうとはいかず、女子との関係を豊かにしなければ生活できなかった。高学年女子というものはめんどくさく、気に食わないことがあるとすぐ人を仲間外れにし、いじめをするという陰湿な生き物だと学んだ。仲良くすることを諦めた。人間関係や、雰囲気を気にするようになった。

中学時代

近隣の小学校が3校集まる中学校だったので、新しい出会いがあり充実した日々。
ベリーショートで常に男の子に間違われていました。この時から髪の毛はほぼ伸ばしたことはない。

高校時代

テニス部に所属。同期13人と多く、3年生ではキャプテンを務める。干支が龍年ということで地に足がつかないパワフルメンバーばかりで泣きながらキャプテンを務める。日々けんかをしていたが、言いたいことを言いあえる、環境であった。大人になってからも繋がっているのはこのメンバーが多い。

大学時代

アルティメットに明け暮れ、アルティメットのためにバイトをしていた。

アルティメットとはニュースポーツでフリスビーをつかった、7対7の団体戦である。バスケとアメフトを足して2で割ったようなスポーツと言われてます。

3回生の時は近所の居酒屋さんの店長にかわいがってもらい、朝5時まで飲み、8時に大学に登校するというバイタリティーあふれる生活をしていた。変なところ律儀なため学校をさぼることはなかった。

教員生活とアルティメット(8年)

特に希望していなかった教員になり、これでいいのかの日々。土日は愛知に行き、アルティメットで現実逃避。いつか転職したいと思いSTART。受け持ったのは肢体不自由の女の子。電動車いすで移動し、会話はできるがものすごく時間がかかる、もちろんトイレは要介助。とてもハンディがあるが何事にも一生懸命な女の子。やったことがないことが多く、傘を差させてあげたり、花壇への水やりをさせてあげたりしただけでも「初めてやったわ。ずっとやってみたかったんや。」とその度に笑ってくれた。この子が笑ってくれるたびにやりがいが増し、この子のためにいろいろと試行錯誤、出たアイディアをすぐに形にしたし、させてもらえる環境だった。新聞にも2回ほど取り上げてもらった。この子と周りの先生のおかげで講師を続けようと思った。結果、この子を入学から卒業まで担任させてもらえた。教員としては最高の「持ちあがり」を最初に経験させてもらえた。(4年前に成人式を迎えたので、無事任務完了。)

採用試験頑張ろうかなとか思うが、社会人アルティメットの魅力に取りつかれる。正教員になると世界大会の休みの融通がきかないと思い、教員採用試験は適当に受けていた。

平日は先生、土日は選手という1週間を思う存分フル活用していた。事故もせず、毎週一人で愛知に車で5年通い、全日本3連覇と4度の世界大会を経験。今はそんな体力残ってなく、過去の自分を尊敬しております。笑

3校目の学校では、お局のおばさまが校長の手綱も生徒指導の手綱も握りしめ、パワーでコントロール。なぜそんなに権力があるの?という謎な構図の中、6年の1クラスが学級崩壊。だれも助けに行かない。みんな関りたくないと見ないふり。私はそのクラスの音楽と家庭を持っていて、担任の休憩時間になるなら、子供たちの救いになるならと頑張っていた。崩壊しているとはいえ、子供たちは可愛いんだよ!この悶々とした学校の雰囲気や協力するとをしらない先生方とお局をどうすることもできず、教員への魅力減。

4校目では、先生のやる気のなさが半端なく、すべて私任せ。生徒指導、体育主任という肩書を持ちながらも、何もしない正教員。私がやるしかなかった。先生たちからでるのは不満や悪口ばかり、覇気がない環境。BESTを目指さずGOODで終わる風潮。教員への魅力さらに減。

5校目。人生を決める1年になる。
これが最後の学校になるのだが、とても良い環境だった。私のアイディア力、企画力をかわれた。
皆さんが採用試験を受かってほしいと言ってくれ、たくさん指導してくれた。教育委員会からも「今年はしっかり試験を受けなさい」とわざわざ連絡があり、ダメ押しのお言葉をいただいた。
この年はアメリカで世界大会があり、不運にも大会最終日と試験日がかぶっており、世界大会の途中で試験を受けるべく帰国予定だった。

しかし、いざ世界大会に行ってみるとすごくいい試合をするじゃないですか!帰国予定日がベスト8掛けの試合になった。もちろん、フライトをキャンセルし、教員採用試験もぶっちした。ベスト8掛けで負けてしまったものの最後まで残ったことにとても満足している。

迷惑をかけてしまった周りの先生からは「そうなると思っていたよ」「私でもそうする」と言われ、救われた。
ただ、教育委員会と校長からは怒られまくったのは言うまでもない。この年が教員最後と思って生徒と向き合うことができたので、最高のクラスになった。教員生活を悔いなく終わることができた。

転職活動

教員生活では、子供たちのことで悩むのは当たり前だし、そんなもの屁でもないと思っていたが、教員同士の人間関係に悩むことが多く苦痛だった。なので、人と人をつなぐ仕事がしたいと思い、いろいろ探しているとまさに同じ思いの会社を発見!現在のイベント会社でした。エントリーしたのに全然返事が返ってこず。忘れたころに、ほとんどしゃべったことのない大学時代の先輩から連絡が来る。
その先輩にイベントの体験会に呼んでもらった。久々に会った先輩は朝からお酒臭くて、助手席にいる代表は爆睡していた。
なぜか「この人たちオモロ!最高!!!この人たちと仕事したい!」と思った。体験会の最後に代表に「totoちゃんうち入りなよ」とジャニーさん的ノリで誘っていただいたが「本気なの?どうなの?そんな簡単に決まるの?」ってなった。後日、役員さんと面談飲みをして、採用して頂いた。

現在

コロナの影響を受けながらも、会社がなくなることもなくコロナ期を無事に復活!
コロナ禍の始めたSHEにはとても救われている。自分のやりたかったことや学びたい内容がたくさんあり、充実な日々を送っている。
新しいコミュニティもできて、みんなからたくさんの刺激をもらっています!
ありがとう❤️

この先は安定と時間の余裕を求めて転職する予定です。

これからもどうぞよろしくお願いします🥰

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