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国立競技場でのAdoのライブ「心臓」の音響について

2024年4月27日、28日に東京の国立競技場で行われたAdo SPECIAL LIVE 2024「心臓」。

諸事情により、すり鉢状の会場の天井近くとボトム付近という両極端な座席にて2日間を通して参加した。
ここでは初日の音の聞こえ方を中心に、回想する。

初日の聞こえ方、高所にて 本編開演まで

まずTeddyLoidによりDJタイムが演じられるのだが、DJブースは南サイドスタンドの最高所にあった。
初日、高さではブースと似たような高所の座席で聴いていた。メインスタンド側に設えられたメインステージに対しては正面ではなく、角度のあるエリア。

木材と鉄骨を組み合わせた屋根庇には、見た限り柱というものがなく、長大な空間のはるか下方にあるアリーナからステージまで、視界はかなり開けていた。
傾斜と階段の段差はきつめで、前の座席との間隔は鞄を一つ置いてももう少し余裕のある感じ。高低差は、手すりがあるものの、手元足元の暗くなる公演中は少し危なっかしいぐらいに感じた。
見える範囲ではアリーナに一定の間隔で置かれたものと、メインステージ以外に、演出や音響に関係する機材やタワーは見当たらなかったように思う。
ホールなどでも上層階の奥まった席ではそうであるように、屋根庇の下ではそこまでの開放感は感じられなかった。

率直にいうと、急勾配のスタンド席下方から上がって来る音は、くぐもっていた。重低音がきいているという風でもなく、高音だけがシャカシャカ聞こえるという風でもない。吹き抜け部分から逃げるというよりは、半分ドーム状のような空間で音がにじむ、ぼやけるといったほうが近いだろうか。さらに比喩を使うと、残響が新たにやってくる音を塗りつぶすというよりも、音がフリスビーのようにゆれながら届いてくる、といった感覚に近い。

DJが煽るような言葉を放ったときも、なんとなくで明瞭には聞き取れなかった。アリーナがわっと沸いて上がってくる歓声のほうが大きいぐらいだった。

DJタイムが終わると、公演中の注意事項について場内アナウンスが流れる。
この女性の声によるアナウンスもまた、くぐもって聞こえにくかった。
同内容と思われるがステージのスクリーンと南北のビジョンに出る注意書きの文字は、小さすぎた。
(もっとも読みやすさは座席位置の遠近にもよるだろう)

最上階(層)の、暑さ対策と明かり取りのためかオープンになっている吹き抜け部分は会場の全周にわたって黒い幕で覆われており、風で一部が揺れていた。
初日は懸念された雨もやみ、曇り空ではあったが大きな風はなく、野外フェスのオープンな会場では強風により音が流れるようなことがあるが、似た現象はなかった。

この時点で、本編の音についてはあるていど想像ができた。

本編はどうであったか

では本編の音楽が、歌声が聞こえなかったかというと、そんなことはない。
バンドサウンドの細かいところを聞き取れたとはいえないけれども、勢いのある前半はイントロから知っている曲ばかりでリズムにのれた。それにあるていど耳は慣れる。
シークエンスはあまり聞き分けられなかった。どちらにせよ、ファンは合いの手を入れている。
♪ Rap Tap Tap Tap
歌唱では「愛して愛して愛して」や「ショコラカタブラ」の文字通りの七変化や、発表時スポーツ番組のテーマソングであった「マザーランド」の核心的な歌詞や後半のヴィヴィッドな高音にも感心した。「ギラギラ」「永遠のあくる日」と続くミディアムなテンポの曲、またアンコールになるが「DIGNITY」のスぺシャルゲストのレスポール・ギターの音色も、歌唱も、落ち着いて、胸がじんわりとするほど、聴くことができた。
♪ Two-Sided Two-face
「踊」のリップロール風のアレンジや「FREEDOM」の歌詞の一部を英語で煽るところなど、ゴーっ、ゴーっと沸き上がる歓声のただ中でもけっこう聞き取れている。

主観的には、屋根庇のある広い空間からわんわんと音が反響して広がってくるようなとき、受身的に待ち受けるよりも、一番自席に近い下方のスピーカーに意識を集中すれば、少し聞こえ方はましになる。

座席によっては(第1層でも)ドローンの演出や花火が見えないか見えにくかった、という感想もweb上で散見した(ビジョンにも映されていなかったはず)。また、さまざまな感想を読んでいると、低層だから聞きやすく、中層以上は聞こえにくい、といった単純さでもないようだ。
どんなコンサートにも、いわゆるはずれ席や見切れ席はあるだろうし、本公演では当日券はなかったはず。券種について触れ出すと別の話になる。
中途で行方知れずになられたのも、また別の話になる。

こんなことを書くのは、2日目は屋根庇のないずっと下方の席で聴いて音響に関してほぼ何のストレスも感じなかったからだ。今回の音響に関する疑問点を、もし検証するのであれば、そのエリア・範囲も焦点となるだろう。
これほどの大会場なのだからホールやアリーナで参加する音楽ライブとは体験の質が変わってくる、と表現するのは、控え目すぎるだろうか。

MCの聞こえ方についても、書いておいたほうがよいだろう。
本編の終わり近くになってはじめてのMCが入る。公演前の場内アナウンスほどではなかったと思うけれど、初日はやはり聞き取りやすいとは言い難い座席位置であった。しかしながら、そういう広い場内を意識してか、これまでのツアー公演より言葉を区切ってゆっくり目に話しているようだったので、内容は把握できた。感極まったような箇所も、伝わってきた。

その他の音や演出について 大型の公演を楽しむということ

その他の音や演出についても、触れておこう。

ハイライトの一つとなる、ある曲のロング・バージョンでは、歌唱が終わってもとぎれない後奏の中途で、シャーッというノイズが聞こえだした。
おや、と思っていると、夜空に大量のドローンが点灯して、鮮やかな心臓のかたちを描き出したのだった。

音響と少し離れるが、7万人が手首につけたLEDライトシステム「フリフラ」が描く模様を高い座席位置から俯瞰するのは、壮観であった。
(「FreFlow®️」はリストバンド型のLEDライトが発光する応援アイテム。手に握って応援するファンの姿も見かけた)
一面の白や、赤と青の明滅が多かったようだが、アンコールではコール&レスポンスに合わせて「WOW」の文字がスタンド席に現れたり、心電図のラインが座席を端から端まで走ったりと、高層階ならではの壮観さもあった。
腕を振って無数の光が揺れているのだと思うが、俯瞰していると、アリーナ席前方と後方でも、光の波にぶれがあったようだ。ずれるにしてもいわゆるウェーブのようにばっちりそろってうねるのでなく、いわば荒波のように見えた(あくまでも主観)。
2層目スタンドの前方壁面の光の帯(リボンボード)が端から端までぐるっと、やすみなくカラフルに走っている様や、曲によっては夜空にそそり立ったり、交差したりする白いレーザー光線は会場の大きさを示しており、圧巻であった。

それらすべてを含めてライブ空間であり、大型の公演だろう。

そこに音楽はあったし、楽しめた

以上、国立のライブでの音に関する私見を述べた。
釣りタイトルを執拗に拡散する悪意のある行為は論外として、それでも、言い方というものがある。

最悪だと放言しっぱなしでは、全否定しているように見える。何をかというと、ライブ公演のみならず、自らの体験と、時間と、あらゆる労力を全部否定しているように聞こえてしまう。ゴシップ風のサイトへネタを提供し他一切を全部否定するのが目的ではないだろう。

(ここからは想像。もとより個人批判ではありません)

アルバイトか残業を増やして、連休の予定を調整して駆けつけたライブ・コンサートが、いわゆるはずれ席であったときのショック。内容が期待と違うときの不満。最悪だ、と全部否定したくなる。だけど数行言いっぱなしにしただけでは、せっかくの時間が、もったいない。上記のような位置でも、バラードや、MCの内容や、演出など、ポイントはいくらでもある。それらに目を閉じてしまっては、もったいないのではないか。屋根のないスタジアムのライブで、拍手・クラップの音が遅れて何度も波のように押し寄せるのを浴びたことがあるだろうか。審判の笛が聞こえないほどの歓声の中でスポーツを観たことがあるだろうか。その中の一声となったことがあるだろうか。曲数も時間もわからなくなるぐらいアリーナで踊ったことがあるだろうか。あるいは、全編着席しての鑑賞をのぞんでいたのだろうか。そういったことは、何一つわからない。自分の一番の推しが同規模の会場を使う可能性を考えただけで、いろいろ違った見え方がしてくるかもしれない。少なくとも、大まかな座席の位置を示すぐらいの配慮には、思い至るかもしれない。知見をもちよれば、より良いものができるかもしれない。仮に何かが一歩進捗したときに、はじめて参加したと感じられるかもしれない。

予算や技術的な面を批判している意見もあるようだが、そういったことは数字や具体例を出すか、探求する姿勢がなければ憶測に憶測を重ねるだけになりはしまいか。

コンサート会場に取り入れられた「イマーシブサウンド」について言及しているつぶやきもあった。これは、アリーナクラスの会場で経験したことがある。確かに、立ち見席でも非常にクリアーで迫力あるサウンドが聴けた。

国立競技場の音響について卒業論文で取り上げる(予定)という頼もしいつぶやきも目にした。アンケートのみならず取材申し込みなども検討されれば、いろいろなことが開けてくるのではなかろうか。

一個人として、そこに音楽はあったのか、楽しめたのか、と問われれば、音楽は聴けたし、楽しめた、と答えよう。

2日目、開放的な座席にて 何の問題もなし

ここまで書いた内容はあくまでも天井付近の座席からの印象が中心であり、2日目の、もっと下方の非常に開放的な座席では、DJのボカロ曲や、TeddyLoidの、「みなさ~んAdoちゃんを迎える準備はできてますか~」という言葉も明瞭に聞こえ、本編の歌声や音楽に関しても、申し分のない状態で聴くことができた。
ふつうに考えて、連続する公演では2日目に調節が入るであろうから、全く同じ位置で2度聞いたのでないかぎり、比較はしにくい。

2日目で一つ付記すると、花火が連続する際、楕円の空間内で増幅されたおそろしい爆裂音が、遅れてやって来たのは、すさまじいインパクトだった。開口部か屋根の上方で炸裂している花火と、この音の異様なとどろき方から、何か計算できるかもしれない。

両極端な位置でライブを2日とも聞いたという感想が見当たらなかったので、音に絞って書くのは本意ではないが、長々と綴った。
チケットは2日とも自分で取った。

この文章は一定期間公開しておきます。