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不成長体験記(仮)

大学受験の頃、Z会に「不合格体験記」というのがあった。

大学受験の「合格体験記」が世の中にあふれる中、なんて逆張りなことをするのだと、当時感心した覚えがある。そして僕は、その「不合格体験記」が好きだった。合格体験記は個別事象が多く、いわばn=1の集積に過ぎないが、不合格体験記は容易に抽出しうるエッセンスにあふれていたからだ。というわけではなく、その方が生々しい人間らしさがあったからだ。ドラゴンボールだとベジータが、ヱヴァだとアスカが好きな僕がそこに「好き」を感じたのは、今になって考えれば自然なことだった。

僕は実に不真面目な受験生だった。白や黄色に取り組むべき実力だったのに数学の青チャートに取り組んだり、格好つけて大学への数学の微積分ムックを買ったりしていたが、真面目なフリをしていただけだ。不合格体験記も、役に立つ使い方をしたわけではない。読む際に一時的な衝撃は受けたが、それを他山の石とするわけでもなく、単純に読み物として、コンテンツとして消費しただけだった。

そんな体験記を、30も半ばになった今、記してみようと思う。大学受験の話ではない。社会人としての不成長体験記だ。誰かの役に立つか立たないかはわからないが、少なくとも自省にはつながるだろう。こういった先を考えない姿勢も、これを思いついてから書きはじめるまで数年を要した実行力の低さも、僕の不成長力の一端を示している。書きはじめるにあたり、なんらかの構想を立てようかとも思ったのだが、ここは培った不成長力でグダングダンにはじめていく。考えてみると受験生のころから変わっていない何かがあるが、軸としては社会人になってからの話としていく、つもり。

一応の目標、野心はある。不成長体験を記す → ほとんどしたことのない「振り返り」を行い、整理することになる → 不成長事例やこれまでの成長の試みがうまくいかなかった事例の分類かや原因の掘り下げが多少なりとも行われると期待(このへんから怪しい) → 新たな試みや心構えにつなげる → ほとんどしたことのない「PDCAの回転」が起きる(怪しさの頂点) → 多くの不成長の傍らで徐々に成長事例が出現する → 自然と成長体験記に移行。

まあ、あれだ、アヤしいカタカナを使うならばプロセスエコノミーというわけだ。なんにせよ底辺レベルのGRITしかない僕である、どこまでできるかはわからないが、この構想が浮かんだときから静かに浮遊するワクワク感だけはある。その、海中の泡沫のような、集めようとしても手からすり抜けていくようなワクワク感を、せめて潰さないようにしながら、記事を重ねていければと思う。

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