私のマイラバ論 ― evergreenは何故唯一無二の名盤となり得たのか

皆さんはMy Little Loverのevergreenというアルバムをご存知だろうか。
1995年に発売された彼らのファーストアルバムにして、200万枚を超える売り上げを記録した90年代J-POPの金字塔である。

今はサブスクという便利な手段で聴けるので気軽に再生してほしい。

マイラバは今でこそボーカル・akkoのソロプロジェクトであり、リリースや活動頻度は極端に減っているが、オリジナルメンバーであるギターの藤井謙二やプロデューサーの小林武史が共に在籍していた期間で計4枚のフルアルバムをリリースしており、そのどれもが高い評価を受けている。
しかし、やはりevergreenの存在感は大きいし、後世から追っていった私のような身でもその偉大さは自然と感じるところがある。

その存在感はどこから生まれ、何故唯一無二の境地に至る一枚となり得たのか。それを自分なりに3点から考察してみる。

①メロからの考察 ― Aメロ・Bメロから既にキャッチーであることの強み

2015年に発売されたre:evergreenのインタビューでakkoがこのように語っている。

今振り返ると、未熟な私にとっての「evergreen」は、1stアルバムにしていきなりハードルの高いアルバムだったと思います。どの曲も音数が多かったり、メロディラインが難しかったり……言葉を畳みかけて跳ねまくるっていう曲調はマイラバらしいし、自分の得意とするところではあるけれど「デビューアルバムでここまでやるか!?」って、今となっては思います(笑)。

音楽ナタリー My Little Lover「re:evergreen」特集

ここで語られていることからも窺えるように、「音数(言葉数)が多い」「メロディラインが難解、言葉を畳みかけて跳ねまくる≒メロのアップダウンが激しい」という特徴がこのアルバムには見られる。
シングル曲で言えばMan & Womanの言葉の詰まり方、白いカイトのサビで登場する最高音C5への上昇とそこからの下降、Hello, AgainのAメロやBメロから登場してくるA4、B4といった高音域が当てはまるだろう。
そしてこれらの要素はリスナーにメロディを印象付ける効力があり、(少し飛躍するが)キャッチーさへと繋がる要素でもある。

一方、evergreen以降のシングル曲やアルバムリード曲を見ていくと、言葉数が少なかったり、Aメロ・Bメロの起伏があまり見受けられないという例が頻繁に見られる。
言葉数が少ない曲でいえばNOW AND THEN ~失われた時を求めて~、DESTINY、Daysなどが挙げられるだろうか。比較的ゆったりとしたメロディで余白も多い。Aメロ・Bメロの起伏が少ない曲ならばYES ~free flower~、空の下で、STARDUSTが当てはまるように思う。

特に私が好きなSTARDUST(3rdアルバムリード曲)はそれらが顕著に見られる。言葉数の少なくゆっくりとしたメロで起伏も少なく、リスナーを引き付けるポイントが現れるのはサビの頭が最初になる。

一応補足しておくがこれは決してマイラバdisではなく、むしろサビのフレーズだけで十分にリスナーの耳を掌握する彼らのセンスと技術が際立っているという意味でもある。

それを考えるとevergreenの収録曲はほとんどが音数が多くアップダウンも激しい。そして、それがAメロやBメロから現れるというのも共通している。
めぐり逢う世界はAメロからハイトーンを要求してくるし、FreeやDelicacyのように序盤から言葉を詰めてくる曲も点在している。

最も目立つサビだけではなく、AメロやBメロからキャッチーさを追求し、10曲50分の中で高密度に凝縮している。
これがevergreenの一つの特徴ではなかろうか。

②アルバム構成からの考察 ― 緩急とロマンを余さず拾い上げた曲順

これはもう個人の好みと言われてしまっても仕方ないのだが、evergreenには曲順のロマンが詰まっていると常々感じる。
具体的には以下の3点だ。

・シングル表題曲がバラけて配置されている
・レコードのA面/B面を意識した前後半の組み方
・アルバム全体を通して緩急がしっかり付けられている

まずシングル表題曲だが、アルバムにおいては新規収録曲との繋ぎ方で大きく化けるということを強調しておきたい。曲調や詞など様々な面から既発曲に新しい解釈を見出せる。
そして今作のシングル表題3曲はそれぞれ序盤(白いカイト)、中盤(Hello, Again)、終盤(Man & Woman)とバランスよく配置されているのだ。

白いカイトから溢れ出んばかりの少年性という魅力は単発でも十分注目されているが、前曲であるFree=I Want You Back歌謡からの繋ぎでそのアレンジのポップさにフォーカスが当たる。
Hello, Againの持つ切なさとノスタルジーは、前曲にしてアップテンポなめぐり逢う世界の儚さを感じる詞とアレンジという助走によってその威力を倍増させている。

続けてそのまま2点目の解説に移るが、10曲収録の本作は折り返し地点である6曲目でガラッと雰囲気が変わる。
ノスタルジーの極致たるM-5 Hello, Againが終わった後、ストリングスが映える軽快なポップナンバーのM-6 My Paintingへと続く。

これはレコードのA面/B面のようにアルバム全体が半分に分けられる感覚に近いのではないだろうか。
先程凝縮云々という話をしたが、冷静に考えれば50分という相応な長さのアルバムである。その中間地点にリフレッシュポイントが設けられているというのはリスナー側への配慮とも言えそうだ。

この話題に関連するのが3点目の緩急である。アルバム全体を見ても似た曲調の楽曲が続きすぎるという部分はないし、アップテンポ・スローテンポの曲がバラけて配置されている。

例えばM-1 Magic Timeの夜明けのようなスローな雰囲気から始まり、M-2 Free・M-3 白いカイトで明るめのミドルナンバーへ。そしてM-4 めぐり逢う世界は相対的にBPMの高さが際立ち、M-5 Hello, Againはその切なさを受け継ぎつつ再びミドルテンポへと戻される。

先程述べた折り返し地点であるM-6 My Paintingに注目すると、比較的近い系色のM-8 Delicacy、M-9 Man & Womanの間にM-7 暮れゆく街でが挟まれている。

この3曲が続くとマンネリでダレてしまいそうなところに、このアルバム唯一のバラード曲M-7が差し込まれることでリスナー側を飽きさせない構成に仕上げられているのだ。
おまけに暮れゆく街でから続くDelicacyのイントロはリズム隊のみの比較的地味なアレンジから始まり、徐々にシンセ・ギター・ブラスが入ってくるという構成になっており、前曲の暗さから急激にテンションが上がり過ぎないよう配慮されている。この点も見事だ。

③歌詞からの考察 ― 全体に通底する切なさと哀しさ

このアルバムが発売されたのは1995年。バブル崩壊後の重いムードが漂う日本では、世相に似通ったのかマイナー調の楽曲が広く受け入れられた時代である。そしてevergreenの歌詞にスポットライトを当てると全体的に切なさと哀しさが共通要素として挙げられている。

そもそもデビュー曲であるMan & Womanの歌い出しが「悲しみのため息 ひとり身のせつなさ」だし、Hello, Againや白いカイトではその胸に刺さるメロやアレンジに歌詞の相乗効果が乗っていることは同意してもらえるだろう。

アルバム曲ではM-2 Freeの「失恋で相手を失くした私はフリーである」というシチュエーションと諦念を交えて描いた詞が印象的だし、M-4 めぐり逢う世界では「滅びゆくはかなさ」「愛することの喜び 悲しみ」といった哲学的なフレーズの切なさと、「泣きくずれる程 孤独が」「心の壁を作らずに いきてゆけない悲しさ」といった身近に感じる切なさを多角的に捉えている。

M-7 暮れゆく街でに関しては不倫からの離別をテーマにした曲であり、想い合いながらもバッドエンドを迎える二人の姿が悲しみに満ちている。

アルバム一枚を通して綴られる切なさと哀しさ。それがリスナーにとって物語的であれ、自己投影の対象であれ、何かしらの意味で没入して聴くことができ、それがある種の広がりを持って受け入れられたのではなかろうか。

そしてここまで意図的に言及を避けてきたが、それがラストトラック・M-10 evergreenという生命の力強さに満ちた包容力のある楽曲で救われ、大団円を迎える。しかもevergreenのラストが小林武史渾身の壮大なコーラスワークである。
アルバム全体に通底する切なさと哀しさというコンセプト、そしてそれを最後に全て掬い上げる表題曲。これはもう見事と言うほかない。

駆け足だが以上が私の思うevergreenの魅力であり、名盤たる所以である。

ちなみに2015年には前述の通り本作のリプロダクトを含む2枚組のアルバム・re:evergreenが発売されており、リズム隊の新規収録とリマスタリングが施され、原盤とは違った味わいが楽しめる。
ちなみに私はre:の方が好みである。やはりベースは生に限る。

来年もたくさんマイラバを聴いて過ごすとしよう。ではまた。