梁山泊訪問記(平成28年)その3

 相馬君は12時過ぎに到着。ヱビスを飲みながら、弘前時代の昔話やレトロプロブレムのことを中心に話をしたように思う。何しろ、初めて会ってからもうすぐ30年になろうかという間柄で、しかもその半分くらいは彼が音信不通だったので、こうして久々に会ってゆっくり話をすること自体感慨深いものがある。お互い、二十歳の頃に思っていたところとは随分違った場所に辿り着いたような気がするが、それもまた人生だ。とにかく、あの弘前での濃密な2年間があればこそ、今でも作家としてやっていけていることだけは確かだと思う。
 4時半頃、とうとうこちらが先に力尽きる。若手連中はまだ大半が起きていたので、久保君に後を託してベッドへ倒れこみ、そのまま10時頃までぐっすりと眠った。

 私が起きた時には、もう相馬君は帰っていた。久保君は、私が寝た後も律儀に彼の相手をしてくれたらしい。お疲れさま!21日の午前中も、若手は詰棋談義。「再帰構造」や「呼び出し剥がし」の話をしていた。梁山泊主人が古本市に行きたいとのことで、昨日より早めに昼ご飯を食べに出る。みんなで昼食を食べながら歓談し、いよいよ今回のえび研もフィナーレ。最後に記念写真を撮って海老名とお別れした。 

旅行記(2-4)


 七戸十和田には7時前到着。晩御飯を食べて、自宅に戻ったのは8時過ぎ。風呂に入ってから荷物を整理していると、何とリュックの中から白R発見!といっても、この前の探し方が雑だった訳ではない。このマグネットの白R、私が今回持って歩いていた目覚まし時計にずっとくっついていたのだ! 

旅行記(2-5)


見つけた時には、「お前、そこにいたのか!」と思わず声を出してしまった。でも、まさかこんなところに潜んでいるとは思わなかったもんなあ。梁山泊の部屋で普通に使っていたのに、全然気づかなかったよ。

 と、こんな間抜けなオチがついたところで、今回の旅行記も終わりにしたいと思う。最後になりましたが、集まってくれたみなさん、どうも有難うございました。梁山泊の御主人には、昨年に引き続きお世話になりました。いずれ青森訪問の機会があれば、是非恩返しをさせて頂きたいと思っています。(完)

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