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温故知新(詰パラ385号)

 今日読んでみるのは、詰パラ385号(昭和63年3月号)。まずは学校から2作紹介しよう。

           駒三十九

(詰パラ 昭和63年3月号)

25飛、同龍、38角、17玉、19香、18歩、同香、同玉、19歩、同玉、55馬、37桂、同馬、18玉、19金、17玉、29桂、同龍、18金、同玉、29角、同玉、19飛迄23手詰。

 初手からいきなり25飛と捨てるのが、気付き難い伏線手。これによって、11手目55馬に対し18玉なら19金から44馬で合駒を稼ぐことが可能になる。構想を切れ味鋭く表現することにおいて、未だにこの作者の右に出る者はいない。

           添川公司

(詰パラ 昭和63年3月号、修正図)

14香、22玉、13香成、32玉、44桂、43玉、55桂、54玉、66桂、65玉、
77桂、76玉、87銀、同玉、
「88龍、76玉、85龍、77玉、88龍、76玉、67金、同玉、78銀、76玉」
「77龍、65玉…67銀、65玉」
「66龍、54玉…56銀、54玉」
「55龍、43玉…45銀、43玉」
44龍、32玉、23成香、同玉、34銀、12玉、13角成、同玉、33龍、12玉、
23龍迄65手詰。

 殆ど変化らしい変化もない、非常に古典的な追い趣向。添川氏による黒川氏へのオマージュだろうか。ちなみに、発表図は16歩が15歩だったため、53手目45龍、33玉、88角以下の余詰があった。

 次は、第1回詰将棋トーナメントから。こうしてみると、柳原編集長時代は結構色々な企画にチャレンジしていたのだなあ。

           柳原裕司

(詰パラ 昭和63年3月号)

67銀、同と、49龍、同玉、48金、39玉、38金打、29玉、95角、18玉、
19飛、同玉、73角成、18玉、28馬迄15手詰。

「59角を95-73と移動させるにはどうしたらよいか」という問題設定からスタートして理詰めで作りました、という感じの作。金をべたべた打ち付けるのも、見ようによってはユーモラス。

最後は、岡田さんの実戦形展示会から。

           岡田 敏

(詰パラ 昭和63年3月号)

22金、同玉、31銀、同玉、41飛打、22玉、33飛成、同桂、31角、12玉、
13角成、同玉、11飛成、12合、14香迄15手詰。

 作者の意図を全く感じさせない端正な実戦形から、ちゃんと詰将棋らしい手順が飛び出す。こういうのを掘り出す岡田氏もエライが、こういう図面をいくつも抱えている9×9の盤と39枚の駒、そして詰将棋のルールもスゴイと思う。

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