詰工房参加記(平成25年)その2

 小林宅に到着したのは9時過ぎだったろうか。それからもまた詰将棋とチェスプロブレムの話は尽きず。作品を解いたり解かれたり、某有名作家の作品を鑑賞したりして、1時半ごろようやく就寝。次の日は9時起床。10時ごろ遅い朝食を頂き、それからまた時を忘れて詰棋談義。ふと気付くと4時間が過ぎようとしていた。(でも、上田・若島は喫茶店で7時間くらい話すらしいから、それに比べたらまだまだ)
 今回、小林氏所蔵の貴重な資料をいくつか見せて頂いたが、中でも私の興味を惹いたのは「詰将棋の詩」だ。ご存知の方も多いと思うが、伊藤 正、有吉弘敏、山本昭一、小泉 潔といった当時売出し中の若手がそれぞれの詰将棋に対する思いをぶつけあった、熱気あふれるミニコミ誌だ(私たちの世代だと、服部さんが出していた「将」がそういう立ち位置だった)。メンバーはみな一家言ある猛者ばかりだが、そういった人たちが忌憚のない意見をぶつけ合っていて、読んでいて非常に面白い。
 これに目を通していて今回発見したことのうち、最も衝撃的な事実をここでみなさんにお知らせしよう。実は、「天女」は一時「楊貴妃」と命名されていたのだ!!「天女」が最初「青春」と命名されていたことは、本人のインタビューで知っていたが、更に「楊貴妃」だった時代もあったとは…。これを見付けた時には、伊藤さんの創作技術と命名センスのなさのギャップに頭がくらくらした(笑)。山本さんがいて本当に良かったねえ。
 
 結局4時ごろ、小林さんと一緒に小林宅を後にする。その後、秋葉原の交差点で生まれて初めてリアルなメイドさんを見たり(残念ながら、ハリセンボンの貧相な方にそっくりだった)、話のタネにと思って江戸前寿司に入ってみたり(でも、ネタの新鮮さでは青森には敵いませんな)、その翌朝駅へ歩いていたら路上で「おい、信号無視すんなこら!」と安物のヤクザかチンピラらしき男に絡まれかかったり(すいません、ちょっと急いでたもんで)といった個人的な小事件があったのだが、これらはどれも詰将棋に関係ないので割愛する。

 やはり会合に参加するというのはいいものだ。また詰将棋をやってみようかという気にさせられるしね。最後になったが、今回お会いできた詰キストのみなさん(特に小林さん)に心から謝意を表して、この会合参加記を終えたいと思う。


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