見出し画像

温故知新(詰パラ301号)

 今日は詰パラ301号(昭和56年3月号)を読んでみることにしよう。
表紙は柳原さん。詰襟の学生服姿でなんとも初々しい。300号記念で大いに盛り上がり、また新たに一歩踏み出した詰パラの表紙に、後年2代目の編集長になって詰パラの危機を救う柳原さんが載っているというのは、何となく因縁めいたものを感じなくもない。ちなみに、表紙に作者の写真が載るようになったのは299号の宇佐見さんからのようだ。

 まず55年度下半期の半期賞の発表に目を通すと、秋元龍司氏の作品が目に留まる。どう手を付けてよいのか分からない不安感漂う初形から、強烈な主張を持った手が表現されている。

           秋元龍司

(詰パラ 昭和55年11月号)

44角、同玉、53角、55玉、67桂、同と、56金、54玉、45金、同玉、
35角成迄11手詰。

 本当ならもっと前に気付くべきだったのだが、1月号から学校の担当者が柳原裕司(幼稚園)/塩沢邪風(小学校)/伊藤 正(高校)にそれぞれ代わっていた。しかし凄いメンバーだね、これ。
 この中でも特に魅力的なのが、塩沢さんの文章だ。一例として、301号の結果稿のマクラを一寸引用してみよう。

「詰将棋は楽しくあるべき」と岡田敏さんはいう。成程と思う。が、もう一つピッタリこない所もある。そこで私は私なりに、こう言い換えてみた。「詰将棋は嬉しくあるべきだ」――鑑賞して嬉しくなる様な作品を待っています。

 別にたいした事は言っていない。でも何ともいいんだな、これが。私はリアルタイムで塩沢さんの小学校を体験した訳ではないのだが、この頃の小学校は作家にとっても解答者にとっても、文字通りパラダイスだったのではないだろうか。そういう雰囲気を醸し出すことこそが担当の役割なのだし、担当は結果稿の文章によってそれができる筈なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?