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温故知新(詰パラ288号)

 今日は詰パラ288号(昭和55年2月号)を読んでみることにしよう。この号には「かぐや姫」に関する一連の騒動が載っているのだが、余詰を指摘してもらったにも関わらずやたらと高圧的な駒場氏の文章が読むに耐えないので引用は差し控える。私自身「父帰る」に感動して詰将棋の世界に入ったので、あの名作の作者がこんな性格の人間だと知った時には大いに幻滅させられたものである。

それはさておき、サロンに目を通すと以下のような投書を発見。

☆キズもの
ミロのヴィーナスは両手が欠落したキズものでもあれだけもてはやされている。それと同じで、キズもの即ダメと決めつけることはよくない。駒場氏の36人斬は看寿賞受賞後も入選保留のままである。
 そこで、例えば不完全作でも一定の評価(1.8以上)とれば入選としたらどうか。36人斬を不完全というのではないから為念。

要するに、詰将棋を芸術作品と同様に評価しようという考え方である。それに対し、主幹は次のように答えている。

★36人斬看寿賞は「入選」とか「入選保留」とかをのり超えた措置です。(原文ママ)

 しかし、乗り越えちゃ不味いでしょ。「詰将棋かどうか分からないが看寿賞に値する」なんて言い方は違憲合法論などと同様矛盾そのものであり、全くナンセンスである。数学的な厳密性の上に芸術性を表現できるからこそ、詰将棋は素晴らしいのではないだろうか。

 あと、大学院に橋本哲氏の看寿賞受賞作が載っている。これを引用しておこう。

           橋本 哲

(詰パラ 昭和55年2月号、第19期看寿賞長編賞)

「22歩、11玉、12歩、同玉、89角、23飛、同角成、同玉、25飛、24香、同飛、13玉、23飛成、同玉、25香、24角、同香、13玉、23香成、同玉、 89角、22玉、78金、21玉」
「22歩…77金、23飛…89角、22玉、67金、21玉」
「22歩…66金、23飛…89角、22玉、56金、21玉」
「22歩…55金、23飛…89角、22玉、45金、21玉」
 22歩、11玉、12歩、同玉、44金、
11玉、21歩成、同玉、31香成、同玉、 32成香、同玉、33金、同龍、
同角成、同玉、34銀、44玉、43飛、54玉、55歩、同玉、45飛成、
66玉、56龍、77玉、67龍、88玉、78龍、97玉、98龍迄127手詰。

 手数伸ばしの意味の飛合を絡めた合駒の展開は「極光」第35番と同様だが、本作では更に1サイクル毎に角の遠打が入るのが巧妙な構想。打歩を避ける為に金鋸をする関係で最初の角打ちが89なのはいいとしても、2回目以降も89角が成立するのは何故なのか、初見の方は是非自力で考えてみて下さい。

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