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温故知新(詰パラ247号)

 今日は詰パラ247号(昭和51年8月号)を読んでみることにしょう。今号の「私のベストテン」は森田正司氏。角銀連続中合の名作、森田手筋の1号局、25香が邪魔駒になる構想型短編など、詰キストなら誰でも知っている作品がずらりと並んでいる。その中から、一寸毛色の変わった作を引用してみよう。

           森田正司

9 森田正司

          (詰パラ 昭和41年2月号)

58龍、27玉、29香、16玉、18龍、17金、同龍、同玉、27金、18玉、
78飛、19玉、18飛、29玉、28金、39玉、38金、49玉、48金寄、59玉、
58金、69玉、68金寄、79玉、78金、89玉、88金、79玉、78飛、69玉、
68金、59玉、58金、49玉、48金寄、39玉、38金、29玉、28金、39玉、
38飛、49玉、48金、59玉、58金、69玉、68金、59玉、58飛、49玉、
59金、39玉、38飛迄53手詰。

 手数区分からいけば長編になる訳だが、この手順はまるっきり相馬流だ。まだ「難解作にあらずんば好作にあらず」といった風潮が残っていた時代に、本作はどのような評価をされたのだろうか。

 あと、短コンの結果発表があった。首位は池田豊氏。

           池田 豊

10 池田 豊

          (詰パラ 昭和51年6月号)

37銀、同と、26金、同と、35飛、46玉、48龍、同と、38飛迄9手詰。

 良く見るとこの短コン、9手に混じって7手や5手(!)も出題されている。昔の短コンは手数制限がなかったのか?不思議に思いもう一度6月号を見てみたら、やはり「9手以下」という条件だった。それなら当然9手ばかり集まるに決まっている(超短編における2手の比重は非常に大きい)。

 デパートの結果稿を見ると、森田氏の初形市松図式に対してこんな短評が載っていた。

某氏―これはちと頂けぬ。ミニ市松であろうが偶然の所産、最低作!

 いやはや、物凄い酷評である。これを目にしたら、流石の森田氏もしばらくは詰将棋を作るのが嫌になったに違いない。想像するに、昔のパラは作者と解答者が対決しているような雰囲気があったのだろう。それが高じてこういう短評が載ったりしたのではなかろうか。
 言うまでも無いことだが、単なるケナシ評と厳しい批評とは似て非なるものである。

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