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温故知新(詰パラ331号)

 今日は詰パラ331号(昭和58年9月号)を読んでみることにしよう。学校を覗いてみると、赤羽氏の看寿賞作が載っている。

           赤羽 守

(詰パラ 昭和58年9月号)第22期看寿賞

55飛、77玉、66龍、同玉、57銀、55玉、76桂まで7手詰。

 解答者があっと驚くことをやってやろう。それも、これまで誰も目にした事の無い詰上がりを用いて。きっと作者はそう考えたのだ。そしてその企みは見事に成功している。この頃脂の乗り切っていた作者は、大駒の足の長さを最大限に利用し、本作を7手詰とは思えないようなスケールの大きな作に仕上げている。個人的には、本作は初めて100m走で10秒を切ったような作だと思っている。
 超短編が秘めている可能性は一般の詰キストが漠然と思っているよりもずっと大きいという事実を知らしめたこと、これこそが赤羽氏の最大の功績ではなかろうか。

 それから、大学院の山本昭一氏の担当の言葉が実にいいので、これも引用しておこう。こういうゼニのとれる文章って、最近のパラではとんと見かけないねえ。

 日本文化は縮み志向の文化である。いつだったか新聞にそんなことが書いてあった。ある韓国人が言った言葉らしい。以下、俳句、ウサギ小屋、超LSIと記事は続き、島国のチョット特殊な国民性を捉えて仲々面白い読み物になっていた。
 同様のことが詰将棋の世界にも言えないだろうか?詰将棋という物、40枚の駒を使って81格の盤上に自分だけの小宇宙を案出するのだが、舞台の大きさが限られているから勢い創造のエネルギーは内へと内へと向かわざるを得ないと思うのだ。そして、その中心に凝縮したエネルギーが限界に達した時、名作は生まれるのである。
冒頭の一行をこう書き換えてみる。
詰将棋は縮み志向の芸術である。

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