弘前グループのこと(1)

 人は誰でも、思い出す度に一寸気恥ずかしくなるような、でも自分にとってかけがえのない、そんな記憶を一つや二つ持っているだろう。僕にとっては、弘前で過ごした2年間がまさにそういう時期だった。僕は弘前で相馬慎一と笹森伸に出会い、弘前グループを結成し、彼等と濃密な時間を共有した。そんな彼等のことを、記憶が時に洗い流されてしまわないうちに書き留めておきたいと思う。

 すべてはパラ374号(87年4月号)の読者サロンに載った、この一文から始まった。
   今年3月に購読を始めたばかりの僕ですが、一つの望みがあります。
   それは創棋会のような詰将棋の好きな人たちの集まる会が、この
   青森にもあればいいなあということです。(以下略)

 この文を投稿したものは弘前の相馬慎一となっていた。弘前大学に入学して間もない僕は、これを読んですぐに彼に手紙を書いた。すると驚いたことに、彼もまた今年弘大に入学したばかりの1年生だったのだ。
 すぐに意気投合した僕等は、早速初めての会合の準備に取り掛かった。柳原編集長から東北六県のパラ購読者リストを貰って、そのうち青森、秋田、岩手の三県のパラ会員全員に葉書を送った。しかし、「残念ながら出席できません」という返事が幾つか返ってきた他は殆ど何も反応がなく、7月14日に相馬邸で行われた第1回の会合は、僕等二人のほかには岩谷良雄氏が出席してくれたのみという寂しいものであった。このとき僕等は「パラ会員といえども、みんな僕等のように熱心な(あるいは暇な)訳ではない」というごく当たり前の現実に初めて気がついたのである。

 僕と相馬君は、その年の夏休みを利用して編集部を訪問し、そこで岡村孝雄、金子清志といった既にパラでは有名だった詰キストに出会った(県外の詰キストに会ったのは、このときが初めてだった)。また、7月26日の第38回香龍会にも参加している。このときの様子は、380号のサロンに僕がレポートを書いているが、それを読み返すと、僕は酒井克彦氏に会えたことで相当興奮していたことが分かる(ちなみに、僕は初めてACTに参加したときも、上田吉一氏に会って「極光」にサインを貰っている。完全にただのミーハーである。我ながら恥ずかしい)。

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