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Zakii夜行 240628 腐らない

 時たま、ある方の言葉が脳裏を過ることがある。

 『広島焼きはソースを食べに行く』

 焼きそば・たこ焼き・お好み焼きの「粉物三種の神器(コナモノミクサノカンダカラ)」が好きな自分にとって、その言葉が、見事に自分の中のそれをアウフヘーベンさせたんですよ😅

 自分の中で「ソースを食べに行く」という視点と発想がなかったのね。 なるほど、ソースが主役で、麺やたこ焼き・お好み焼きというのはサブ、ヴァリエーションの一部、そういう捉え方なら自分の中でスっと納得がいった、と。。。 逆にそっちが付け合わせだったのか的な。

 はい、どーでもいいですね。 まさに、コペルニクス的視点を入れてもらった感じ。


 さて、ソースっていろんな種類がありますが、トンカツソースみたいなのって、基本、どうやって作るかご存知ですか?


 ↑ やっぱり基本はこれ。業務用っぽいやーつ。 これが最強。

 皆さぁーーん、最強ですかーーーッ!!! 常磐でぇーーーっすッ!!!っと。


 さて、ソースってさ、基本、ニンジンだのタマネギだのキャベツだの、放置しておくとどんどん黒ずんでいって、更に放置しておくとさ、ドロドロに溶けてソースになるわけ。

 んでさ、自分は2回ほど、自分でソースを作ってみたことがあるが、クズ野菜を纏めて容器に入れておいて、放置しまくるとソースができるわけ。

 でもさ、その黒ずんでドロドロになった液体を「ソース」と思って舐めてみる、この時の勇気ね🤣🤣🤣


 それはさ、酸味があって美味しいわけよ。酸味多めというか。 で、市販のものはそれでは味がキツいので、更にいろいろブっこんで味を調えるわけ。

 で、ソースを作るまでにはさ、結構、時間がかかるんですよ。 かなりの期間、放置しとかないと最後までのドロドロにならないわけ。

 でも、それだと大量生産できないから、「なんちゃってソース」を作ってるわけ。似たような味になるように。 野菜がドロドロに溶けるまで待っちゃいられないから、砂糖だのミリンだの調味料だの混ぜ込んで「それっぽい」ものを出してるわけさ。


 で、昔の人はさ、その野菜がドロドロに溶けたもの、ソースをペロっと舐めてみて、「これ、肉料理に付けたら美味いな」って思ってやってみたわけよ。

 西洋では肉がメインだからさ、それだと、それに必要な野菜の量ってさ、もう、山ほど野菜を食わないとバランスがとれないわけよ。 中国とかの大陸はさ、とにかくいろんな種類の食事を出すのもそのため。ものすごくいろいろとらないと体に悪いわけさ。

 でも、それほど大量の野菜は一気には食えない。 そうすると、野菜の栄養を凝縮しまくった「ソース」これがさ、ものすごく適しているわけ。 もう、栄養の塊になっていて、だから、お肉と野菜、このトータルバランスが脳が「美味しい」って感じるわけよ。 バランスが良いから美味しいと感じるわけ。 必要だから。

 だから、西洋はソースの文化が進んだわけよ。

 で、日本は、同じ手法だけど、醤油やミソなわけ。 醸成は同じだけど、たくさんの野菜を使って作るか、大豆や米で作るかの違い。 日本人は肉を食わなかったから、別に、大量の野菜を食う必要がなかったわけよ。


 ハンバーガーにピクルスが合うように、肉にはさ、酸っぱい野菜、これは体が望むわけよ。 だって、めちゃくちゃ酸性になるしね。


 さて。 自分は最初にソースを作ろうと思った時、市販の野菜を使って作ってみたのね?

 しかし、結果は「腐っただけ」と。異臭もあった。

 次に、完全無農薬で、無化学肥料、除草剤なしで育てた野菜を収穫して、それでソースを作ってみたら、普通に黒く枯れて、後にソースが出来上がったわけ。 無臭。


 なんでこんな違いが生まれるか、ご存知ですか?と。


 高野誠鮮さんも仰っているが、「自然界で腐るものはない」と。 木の葉っぱや雑草が腐ったのを見たことがあるだろうか?と。

 山に行って、「うわぁ、落ち葉が腐った異臭が凄い」とかないでしょ?


 自然界のものは、腐るんじゃなくて『枯れる』わけ。 だから、市販の野菜は腐り、自分で作った野菜で作ったソースは枯れた後、ソースになったわけよ。


 では、なぜ、腐るのか?と。 腐るって何なのか?と。


 昔の米農家さんは、絶対に田んぼに獣を入れなかった。特に鳥。 それは、田んぼの中に獣の糞が入ると、それを収穫した後の米が「腐る米」になることを農家さんたちは誰しもが知っていたから。

 畑でも、肥やしで人糞を撒いて作った野菜は枯れずに腐る。

 メカニズムはよく分かっていないのだが、そうなるんだから、そう、の世界よ。


 で、肥料ってさ、大体、海鳥のフンで、それを与えて二次肥料とか、結局、それを使うから腐るわけよ。 あと、除草剤を使ったりすると腐るね。


 たぶん、「命と反対のもの」が宿ったもので育てないとそうなる、っていうさ、今の人はそういうことが分からないわけよ。 だから、「腐る」って言うわけ。

 干し柿なんかを作る時、今さ、煮沸してからじゃないと干し柿にならないのね? 腐っちゃって。 でも、自然の柿は、そのまま吊るして干し柿になるから。 それが生きている、っていうことよ。


 カルガモ農法とかいってさ、除草剤を使わない代わりに、カルガモに雑草を食べさせてエコみたいな風潮があるけどさ、あれをやると、カルガモが田んぼの中に糞をしてしまうので、昔の人はあんな農法をしなかったわけ。そうすると、どうしても田が硝酸化しやすくてダメなわけ。


 サツマイモを育てる時、「今年は豊作だな」「今年はダメだな」っていう年を繰り返す。 で、肥料を入れればアフォみたいに育つけど、それでもダメな年があるのね?

 で、一番育つのは、「3年以上、放置した畑」で、やっぱし、田は生き物だから、3年は寝かさないと正常な土に戻らないわけ。 正常に戻ってない土地に農作物を植えて育てようとするから余計なものを入れて、豊作だの不作だの不思議がるわけよ。

 でも、3年も土地を寝かせられない。そうしたら、食っていけないからね。 だから、昔の人は、土地をローテーションして使ってたわけ。一か所でずっとやるなんて愚かなことはしなかった。

 その間、植林して山に栄養を蓄え、その栄養が海に流れ、魚が増える。 そうすると巡り巡ってまた森が豊かになって、その森の養分が流れてきて、畑が潤うわけよ。 その循環システムをDSたちは日本の農家から似非教育によってそれを奪ったわけ。 日本の農家でそのトータルシステムを知っている人のほうが少なくなっちゃったくらい。

 で、痩せた土地にさせて、肥料を売りつけて、「これを使わないと儲けられないぞ」っていうSリングに入れていくわけさ。 で、それは腐るものしか育たないから、もう単年主義になるわけよ。


 んで、更に、腐る食べ物を防止するために防腐剤ダラケにしてさ、食べ物にそれを混ぜ込みまくってるわけ。


 昔さ、「マッ〇ドなるほどー」をよく食べる人は、体内に防腐剤が蓄積されまくっているから、遺体が腐らない、っていう話、ありましたよねぇ? 逆に、それで腐らないみたいな。


 普通はさ、人間の体も、死後、赤鬼・青鬼を経て、ミイラ化するわけよ。腐りはしないわけ。 でも、「腐る食材」ばかり食ってきたから、人間の体も、死後、腐敗するようになっちゃったのね? だから、ドライアイスを棺桶に入れておくじゃん?

 昔なんか、ドライアイスないのに棺桶に3週間入れてても何もなかったから。

 しかし、逆に防腐剤が蓄積されまくって腐らない、と😅


 はてさて。神真都Qが出来てから、村おこし活動っていうのがあって、そのためにさ、「種子を残そう」っていうプロジェクトがあって、自分は、「米の種の保存」これをやろうと思ったわけ。

 で、メンバーの米農家さんから収穫後のお米を小袋くらい頂いて、それをさ、翌年にさ、陸稲(おかぼ)といって、畑で育てる農法で増やしてみたわけ。 別に、食べるためのお米ではないから陸稲で十分なわけ。 陸稲は味が落ちるからね。

 で、まぁ、おかげさまで、5倍くらいには増えたわけよ。 もうね、全部手作業で収穫、千刃したから・・・。


 んで、高見盛の如く、「にまぁ~ぃ、にっばぁ~~い」作戦、一粒万倍、買わなきゃハドソン大作戦と称して、まぁ、その米を更に育てようと思ったわけ。

 するとさ、全滅よ・・・。


 その米から芽が出ない。 芽が出ないどころか、腐り始めたわけ。 もうね、異臭が凄いのよ。

 いくら水につけて芽を出そうと思ってもダメ。毎日、湧き水に入れ替えてもダメ。 全然芽が出ない。 3か月待ってもダメ。


 『これがF1種というやつかぁぁぁ!!!』と。


 いくらF1種の米っつったってさ、全部が全部、「二度と作れない種」になるわけがなく、少しは遺伝子学的に正常なものが紛れて残っているだろうと予測はしてたんだけど、まさかの、1粒も目が出ない全滅っぷり。 鳥でさえ食わない米。


 この現実を目の当たりにしてさ、「日本の米はもう既に終わってたんだな」ってものすごいショックを受けたのね。 翌年は米になるけど、その翌年は全滅の米。 完全に日本の米はDSに乗っ取られたわけよ。


 美味い米とか、病気に強いとかさ、そうやって品種改良していると見せかけて、二度と日本が自分たちで米作りできないように乗っ取られたわけさ。 だから、もう、種子の確保はさ、急務よ?

 そりゃ、米自体は育つよ? だって、キャツらがオリジナルの遺伝子を持ってるから。 でも、そこから買わないと再来年以降育たない米を植えさせられてるからさ、もう、自分たちで育てられない米になっとるわけ。


 腐る米。翌々年、育たない米。


 米ってさ、八十八夜みたいに書くじゃん? でも、これは縄文の文字からすると、っていうか、粟・稗・米とか全部「コミ(小実)」が変化して「コメ」になったんだけど、五穀で「コメ」なわけ。それが揃って栄養価がそろうわけで、どう説明したらいいか、象形文字の数字として、そもそも意味がある形なわけ。

 神というのが、「田んぼに光のエネルギーが突き刺している形」を表しているように、そのエネルギーを受けたものが栄養があるわけ。「氣」を頂けるわけよ。


 だから、本当にちゃんと育てた米は「氣」の味がするよ? ちゃんと生きている味がする。 全然違うから。 まぁ、新米を食べたくらいの感動と譬えたらいいかな?

 その「氣」で育てたものが腐らないわけよ。 氣が入ってない米をいくら育てても、そりゃ、人間が正常に活動できる「氣」は補充されないわけ。


 だから、米を神社に奉納し、氣をお返しするわけよ。お礼として。それで、逆に、ちゃんと氣が入ったお米を育てられたかどうかのチェックもしているわけ。 だから、単にあれはお供えしているわけじゃないのよ。 そういうことが分かっているから、伊勢神宮の周りは天皇家の田んぼになってて、それが奉納されるわけさ。

 やっぱり、イナバ、100人乗っても、大嘗祭ッ!!! 新嘗祭!!! 新嘗祭ケンジ、嫁にこないかぁ~~♪ですよッ!!!


 最後に。


 これも以前に書いたネタだけど、昔、高野誠鮮お坊の家に行ってさ、精進料理をご馳走になったことがあったのよ。

 その時食べたものが、めちゃくちゃ美味くて、ちょうどそこで出会った群馬県と埼玉県の地域創生アドバイザーをされてるどっかの大学の教授がいて、「これ、なんでこんなに美味いんすか?」って質問したのね?

 すると教授は「氣がちゃんと入っているからだよ。あとEM水を使ってるから」と教えてくれたんですよ。

 もうさ、シンプルな食事でしたよ。 自分の年代は知らないが「恵比須」っていう食べ物とかさ、赤飯とか、菜っ葉のお浸しとかそんなもん。 でも、ド美味いわけよ。

 もうさ、それを食べると、「今まで俺が食ってきたものは、もう、何のそっけもないプラスティックを食べてた感覚だな」ってガチで思うほど、命の味を感じたわけ。 躍動の凄さというか。

 偽物を食べ続けてきた感覚。


 もうさ、それ、味じゃないんですよ。味云々じゃなくて、もう「感動」しかない味なわけ。 食べ物が生きてるんですよ。 喜びしかない食事。


 これを食べてたらさ、美味いだの不味いだの、そもそもがないな、って思ったわけ。 これを食べていれば美味さを追求することがいかに愚かなことか痛感するというか。

 で、米が生きてるわけ。炊いたのに。 だから、それを食べるから、自然と「命を頂きます」になって、自然と手を合わせちゃうわけ。だって、それだけ凄いんだもん、それ。


 ちなみに、その周りの田んぼである経験をしたのだが、あまりにスピすぎて信じてもらえない内容なので今回は封印。「あぁ、そういうことなだなぁ」っていう感じ?


 人間もね、腐ってはイカンのですよ。なんで腐るかは、まともなもんを食べてないからッ!!! ちゃんと育てたものは少量でも全然大丈夫。 食料不足というのは「氣」が入っていない証拠。 氣のある社会では、量はあまり必要がない。


 っということで、下ネタ念司のニュースの下ネタ、ニャーッ!!! 今日もドン深闇でお送りしました。〆





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