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雑記夜行 240629

 東日本大震災の頃。

 自分は、ちと、ワケあって京都に行ったんですね。震災から2か月後くらいかな。

 でさ、関西だと「東日本大震災」っつっても、他所の国の出来事っていうか、誰も関心がない!?っていう感じで「これが同じ国内なのか?」ってガチで思ったんですよ。まったく別世界。

 んで、太秦のファミマかローソンで、初めて「東日本大震災 義捐金」って書かれたさ、募金箱を発見したわけ。 「関西の連中は、まぁ・・・ 自分達のところさえ良ければ他所は無関心ってか」ってそう思いましたよ。 だって、義捐金ボックスでさえこの有様だから・・・。


 逆に、自分が京都の太秦くんだりまで足を運んで、そこで1000円募金したからね😅 被災者なのに、他所で寄付する自分・・・。


 正直ね、「こりゃ、そのうち、神様から手痛い天罰を食らうぞ? 関西・・・」って思ったけど、まぁ、関係ない人たちはさ、なかなか自分の事おは思えないよね。


 思うんだけど、震災のボランティア活動に行く人ってさ、東北の人が多いと思うのね? 具体的データはないけど肌感覚で。その次に関東の人。 んで、自分たちが被災者だっつーのに、ずっと支援に行ってる同僚とか何人かいたしね。

 反面、関西の方っていうのは、同胞の苦しみに無関心というか、極端なのは分かっているけど、あんまり関西の人は他所の人助けに行かないのを感じるね。


 さて、自分は、東日本大震災は「予行練習」だと思ってるのね? あれ以上がもう一回くるのは考えたくないけど、生きている時にあれが経験できたのはさ、凄く良いことだと思ってるんですよ。


 前にも書きましたが、自分は震災直後から5日間、臨時避難所の運営ボランティアをしていました。 だって、近隣の爺ちゃん婆ちゃんをほっとけないじゃん。

 職場だったんだけど、自分の家がどうなっているかすら分からない。津波にヤラれたかもしれない。家が全壊しているかもしれない。家族が生きているのかどうかも分からない。 電話は遮断され、何も情報がない中、それでも、「今、皆さんに恩返ししなきゃ、いつ恩返しできるんだ。今しかないだろ、今しか。これ、不惜身命、今、このシチュエーションで皆さんのために尽くさなきゃ、死ぬ時、絶対に後悔する」って思って、まぁ、頑張ったわけですよ。

 もちろん、ボランティアだから任意。家族のある者は帰宅が許されたけど、独身で、そこそこ指示ができて動ける、こうなるとさ、自分は残らざるを得なかったわけよ。だって、被災者をほったらかして自分も帰るってわけにはいかないから。 人々が助けを求めて怒涛の如く押し寄せてくる、これに救いを差し伸べる、これ、誰かがやらんといかんわけよ。


 だから、自分の家族を犠牲!?にして、もしかしたら、親不孝かもしれない。 でも、自分や身内のことよりも、今、日本人として何を選択するか、と自分は思ったわけ。 震災だけど、自分は「チャンス」って思ったのね。恩返しの。

 5日分の、朝食・昼食・夕食だから、ずっと薪で300人分くらいの食事を煮炊き。だから、1日中ずっと食事作り。 で、夜は、電気がなくてお年寄りがさ、不安になるから、ずっと懐中電灯で照らし巡回、もうね、不眠不休よ。 手元を照らしてあげて、必要なものが取り出せるように。

 200~300人分の布団なんぞあるわけがない。市役所の防災課の職員とガチ喧嘩しながら「バカヤロウ!!! 毛布をこっちに手配しろ!!!」と。 爺ちゃん婆ちゃんたちが凍死でもしたらどうするんだ、と。毛布があればさ、そりゃ、不安も少しは和らぐだろ、と。

 防災課の職員も自分が被災者で非番なのにさ、無償で市内を巡回し、必要な毛布をかき集めて手配する、それが足りないこともこっちは分かってるけど、交渉とかしてる場合じゃないからさ、一つ一つ、命がけで真剣なやり取りがさ、もう、喧嘩みたいになるわけよ😅

 300人分の食料なんて、2日で底を尽きましたよ。 水もない、電気もない、ただハッタリで「何も心配ありませんよ」って安心させながら、具体的に何も方策がない、この綱渡り状態の中で、智慧を絞って、食料や毛布を確保していったわけ。


 でさ、自衛隊の給水車が来たのなんて、5日後だからね。。。 で、自衛隊と連絡が取れるようになったので、6日目に我々はボランティア避難所を閉鎖したわけ。 もうさ、ドリフの爆発コントのように全身真っ黒煤だらけ🤣🤣🤣


 でさ、6日目の朝、初めて自宅に戻ったわけ。 戻る道中、もう、ゴーストタウンっていうか、コンビニは何にも商品はないし、道には石塀が崩れて進めず、地割れが至る所に凄いし、「これ、家まで帰れるのかよ・・・」と。


 んで、家について「うわぁ、倒壊してなかった・・・」と。


 たぶんね、もう一度、あの揺れが来たら倒壊すると思う・・・。


 んでさ、家について食糧難で困っているのかと思えばさ、普通にカレー食ってて、「おいおい!!! なんでカレーなんて食ってられんの!?」と。 信じられない光景だったわけ。

 米はあったし、ガスはプロパンだから普通に使えるし、お隣さんが井戸水給水だったから水には全然不自由してないし、カレーのルーはいっぱいあったから、それを食ってた、と。

 俺が5日間、ほとんど寝ず、食わずだったのに、家では暢気にカレー食ってやがったのかッ!!!と。


 でもさ、3月下旬で、クソ寒いわけよ。 電気がないし、灯油もなかったからさ、家で一日中、布団にくるまって寝てる状態じゃないとさ、寒くて無理なわけ。 んで、何にもないからさ、何にもやりようがないわけよ。

 で、ガソリンを入れるのもさ、一人10ℓ限定で、その10ℓのために8時間並ぶからね。 そのスタンド渋滞8時間中にさ、そりゃ、ウンティもしたくなるわけよ🤣 こんときがさ、周りに何もないからキツいわけよ。。。 1時間で車10台分くらいしか進まない感じだからさ。

 逆に、8時間ってさ、エンジンつけてるので10ℓ以上使っちゃうでしょ? だから、もう、エンジン切っちゃ、付けて進んで、の繰り返し。。。

 飲み水はお隣さんから分けてもらえたけど、風呂とかトイレの水はさ、使えなくて、3週間かかったかな、来るまで。 電気は1か月くらいか。 1か月、電気ナシ生活はさ、キツいで?


 んで、プロパンが使えたから、鍋でお湯を沸かして、それを風呂にもっていって、それで体を洗うみたいな、それも冬だから寒いし、少ないお湯でだから、急ぐと「熱ッ!!!」だし。。。


 その経験でさ、やっぱり、「薪」がさ、重要なのが分かったのね。 水はさ、川があるから、煮沸したり蒸留させたりしてなんとかなるけど、燃料っていうのがいかに大事か、と。


 さて、2025年7月に大災害が来る、と。 あたしゃ、「来ない」って思ってるんだけど、まぁ、来る説が流れておりまっさーね。


 来たとして、大津波がきて、「山に逃げろ」っつったって、ありゃ、無理だね。 平素と同じ感覚で考えてては無理。


 所用で書くの断念〆





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