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そもそも反ワクチン攻撃に意味があるのか?


ツイッターは、「黙る」という選択肢がある

従って、万が一、説得されてもフェードアウトするだけ

ツイッター医が泣いて未接種に詫びる事を渇望しているが、

それが絶対に起こりえないとの同じく、

反ワクチンが反ワクチンを訂正する事もありえない。

仮に、叩き切ったとしても、アカウント消すだけ


実際に、ここ数年、毎日毎日”頑張ってる”けど、


1個でも成果あった?ゼロじゃん。無駄じゃん。

地獄に落ちた時の予行演習でもしてるのか?


挙げ句の果てには

「僕のプライドが傷ついた」って泣き喚いてる

反ワクチンにノーダメどころか、反ワクチンにただいな利益をもたらしている


では、推奨派は、反ワクチンにダメージを与える為には、どうすべきか?

具体的に戦力を削ぐ為には

(推奨派インフルエンサーを一新すれば解決するが、それ以外で)


まず敵を知るべきだ


一般的に、自然派、反標準には2種類居る

根っからの自然派と、転向組だ


根っからの自然派は、カフェでヨガしていたり平和である

和食が好きと同じく、趣向の範囲であり、

自らが楽しめればそれで良い。


一方で、転向組はより重い

後悔や罪の意識がある場合は、標準を憎みさえする

だいたいの活動家がこのパターン


これは界隈にも通じる

我々未接種は、声こそ大きいけれども、ネット弁慶で、行動力皆無

自分が打ちたくないだけ


一方で、接種した罪を感じている医療者、接種を後悔している患者は格別に強い


つまり、最優先されるのは、

この罪と後悔の気持ちにどうアクセスしていくか?という点だ


昔、患者の会が未接種から批判されていた。

その時私は

「当時の状況で接種したのは仕方無かった。

一般人として、接種判断は間違っていなかった。」と主張した。

一気に患者が心を開いてくれた気がする。

なぜ、推奨派がそれを言ってやれないのか。


また、医療者として責任を感じて寝泊まりした経験があるはずだ。

同じく、有志の会も、接種した責任を見てとれた。

私は、カンファで後出しで批判する人だろうか

論文を紹介する度に、罪の意識が深まるのが見てとれた。


未接種が、ひたすら「接種のリスク」を強調するのと違い、

彼らは、「事実としてリスクがある事を認めて欲しい」とニュアンスが違う原因でもある

私が、あまりにも残酷な論文紹介をすると、砂を噛み締めていた


我々がひたすら接種のリスクを強調するのに対して

認めて欲しいというスタンスで、微妙に違う

特に、あんまり残酷な表現をすると、露骨に嫌がられた


そうして、後悔や罪の意識は、正義に変わっていく

正義や他人の為に行動するとき、人は一番強くなれる


基本的に「自分が打ちたくない」の我々にはない強さである


この強さの前提になるのが

「不当な扱い」であることは間違いない


いわば、この「不当な扱い」の維持が反ワクチンの前線でもある

これはHPVでも同じで、

医者がエビデンスオナニーしている間に、

「不当な扱い」の宣伝に全振りし、実質的な勝利を納めたのである


推奨派は

「僕のプライドの為に、相手を泣いて詫びさせたい」というのを止め、

永遠に分かり合えない未接種と距離を置き、

どうにかなる層に向くべきだ



そうして、中間層への対応も重要になってくる


例えば、何とか麹の会社


例え被害者にどれだけ保証しても、中間層の批判に比べれば軽いとの判断なのだろう


もし、「有意差が無いから詐病」「サプリは自己責任」

とか言った日には、倒産まっしぐらだろう


推奨派のしてる事は、そういう事だからな

クーデター並みの権力と支持を得ていながら、なぜ、加速度的に失墜してるか自覚ある?


国民に

「流石に後遺症患者が可哀想」

「なんで国や医者は後遺症患者を見捨てるのか」

と意識づけられれば、全ての決着がつく

それに持っていけるかの、瀬戸際にいる自覚が無いのか?


だから、「全力で対処してる姿勢」が一番大切


極端な話


患者の会の訴訟があったとして

推奨派が全力で救済運動をしていれば


こんな新聞記事になっただろう


「接種者の団体が訴訟を起こしました。

被害者の救済と、責任を追求しています。


ワクナビは

接種は有効であったが、こういった事例も起きている

救済制度の申請の紹介をしており、

医者として今後も接種者のサポートを行うそうです


厚労省の救済HPはこちらです」


と言った形であれば、かなり違ったものであろう。


なぜ?そうならなかったのか?


まず第一に、

反ワクチンは「後遺症は詐病理論」の申し子達を育ててきた。

最近は、「俺の気持ちが傷ついた」系を育てているらしい

完全にペイしている現状だ





そもそも


産婦人科にとってHPVは、呼吸器におけるタバコと一緒だった

癌というエンドポイントに対して

医療介入として禁煙と同じくHPVvを勧めた

リスクベネフィットを主軸に、医療判断の一貫として


それは置いておいて、問題は、その流れを組んでmRNAワクチンにおいても


コロナ感染をエンドポイントに設定して

リスクベネフィットを主軸に医療介入として行った


重要なのは、ワクチン政策視点では無かった点だ

これで歪みが出てきた


「ワクチンは社会システム」という発想が無かった


感染をエンドポイントとし、医療介入として勧めたので、

当然、Get back は拒否された


それだけならまだしも、この歪みを反ワクチンは突いてきた


つまり、「社会システム」つまり国民へのアピールという点をほぼ行っていないのだ


大多数に接種して貰う為には、国民の信頼と安心感が大切

「5生率云々」よりも

「何かあっても安心と思える」事が大切だったのだ


ところが、無能厚労省は十分にアピールできず

推奨派は、ひたすれレスバと俺の気持ち優先で


国民の目に

「医学的には正しいのかもしれないが、

これでは、あんまりにも可哀想だ。

一方で、自らを救うには、あまりにも必死だな」と映るようになった


挙げ句の果てには、リスクを受け入れろ、自己責任だと言い放ち

「ワクチン接種とは、どうにもならないリスクを受け入れる行為」と吹聴した


推奨派がエビデンスオナニーで盛り上がっている時に


反ワクチンは、国民に対して

「もし何かあれば救われない」

「患者を切り捨てる」

「僕のプライドが大切」

と延々とアピールに成功した。


訂正

アピールしたのは推奨派だったね


その推奨派を選んだのが、反ワクチン


反ワクチンはそれ程影響力が無いが、

影響力の格段にデカい推奨派のお陰で、

易々と国民全てに印象づけれた