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イタリア代表優勝特集 ~感謝状~

ユーロ2020はイタリア代表の優勝で幕を閉じた。今回は、イタリア代表優勝に関して、大きく育成などで貢献した人物に感謝を述べていきたい。

イタリア代表は、2018ワールドカップを予選敗退。失意の中でユーロ2020へ向けてマンチーニ監督を招聘した。結果的にマンチーニの細かなマネージメント、そして彼が自身のサッカースタイルを変化させたことが、イタリア代表の優勝に大きく貢献したと考えている。

しかし、今回のイタリア代表チームメンバーを見ていると、イタリアサッカーのさまざまな名チーム、名監督の名前が浮かんでくる。それをまとめながら紹介していきたいと思う。ここでしっかり言及しなければ忘れ去られそうな人なので記録にも残しておきたい。


アントニオ・コンテ

コンテ

コンテ監督は20-21シーズンにインテルをスクデットに導いた名監督。また、マンチーニ、アンチェロッティと並んで、プレミアリーグ、セリエAの2つのリーグで優勝した名将でもある。

とくにセリエAでは、ユベントスを2011年から、インテルを2019年から、それぞれ率いていた。

コンテのユベントスは稀代のレジスタであるピルロ中心のチームだった。ただ、それだけではなく、ピルロがマンマークされた場面ではバルザーリ、ボヌッチ、キエッリーニのイタリアのBBCと呼ばれる3CBがボールを動かしながら司令塔の役割を担う。このレジスタ+3CBでのボール保持、前進という流れは、ユベントスが9連覇を達成するための基礎になった。

このイタリアンBBCは、イタリアサッカー、セリエAのサッカーに大きな影響を与えた。コンテユベントス以後、イタリアではCBからボールを繋ぎながら保持、前進、フィニッシュを目指すチームが増加。

また、コンテインテルでは、イタリア人の若手であるバレッラを中盤の軸に据えた。コンテは、攻守両面と攻守の切り替え部分でも活躍できるバレッラを、身長などのフィジカル部分で切り捨てずに起用し続けた。結果、バレッラは20-21シーズンのセリエAベストMFに選出された。

上記の例のように、コンテ監督はユベントスではボヌッチを我慢強く起用し続け、世界有数のCBへと成長させ、インテルでもバレッラをイタリアトップクラスのMFへと成長させた。

コンテのイタリアサッカーへのスタイル的な影響力、若手選手を我慢して使い続ける育成力は、この10年間イタリアサッカーの向上へ大きく貢献したと言えるだろう。

マウリツィオ・サッリ

サッリ

ユベントスが連覇するセリエAで、サッカーの内容、戦術面で最も評価されたチームの1つが、サッリ監督のナポリだった。サッリ監督は、元々銀行員でありプロサッカー選手の経験がない異端の監督。サッリ監督が志向するスタイルは世界的にみてもモダンで、現在の最先端サッカーにも通じる。ボール保持、前進、トランジションでのプレッシングは、世界的に評価されて、後に彼の監督としてのキャリアに大きく影響した。

そんなサッリがナポリ時代や、ステップアップしたチェルシー時代に、ボール保持、前進、トランジションの軸として起用していたのが、ジョルジーニョだった。

ジョルジーニョはブラジル生まれながら、10代からイタリアのユースチームで育成され、イタリア代表を選択したイタリア人レジスタ。

ジョルジーニョはサッリの指導の元、ワンタッチパスでボールを動かす能力、味方へ指示を与えつつポジショニングでボール保持、前進を指揮するコミュニケーション能力を向上させた。結果、ジョルジーニョはイタリア屈指のレジスタと評価され、正解のメガクラブが欲しがるほどの選手へと成長した。

サッリ監督がナポリからチェルシーへステップアップした時にジョルジーニョは、サッリに請われる形でチェルシーへ移籍。ジョルジーニョは選手として大きくステップアップし、結果としてサッリが去った後のチェルシーでの20-21シーズンはCL優勝の立役者の一人となった。

サッリ監督は、元々、中盤の底としてフィジカル的に恵まれていなかったジョルジーニョを信じて、レジスタとして起用し続けた。それが今回のイタリア代表のユーロ優勝にも大きく影響を与えたと言えるだろう。

ジョルジーニョは2020ユーロで全試合に出場し優勝に貢献し、2021年のバロンドール有力候補の1人となっている。

ズデネク・ゼーマン

ゼーマン

イタリアサッカーは長い間、勝利優先主義、守備的な戦術が蔓延していた。90年代~00年代初頭まで、この流れは続いていた。そんな保守的なイタリアサッカーの中でリスクを犯して攻撃的なチームを作り上げながら、若手選手の抜擢をしていたのがゼーマンだ。

ゼーマンのシステムは433で、ハイプレスとショートパスでのコンビネーションを軸にした攻撃的な戦術が特長だった。当時が90年代だったことを考えても、ゼーマンが如何に先進的だったかが伺える。さらにゼーマンは若手選手のポテンシャルを見出すことも得意で、ネスタ、ネドベド、トッティらを抜擢し、彼らを指導していた。

上記だけでもゼーマンはイタリアサッカー界に十二分に貢献しているが、彼は2010年代にセリエBペスカーラで今までと同じように、若手選手を抜擢し、攻撃的な戦術でセリエB優勝を成し遂げる。そして、当時のゼーマンが抜擢した若手メンバーは、今回ユーロ優勝を果たしたイタリア代表のスタメンに名を連ねている。エースストライカーでゴールデンブーツ受賞者であるインモービレ、ナポリのエースとして活躍し続けているインシーニェ、PSGでCLでも躍動する世界的ゲームメーカー、ヴェラッティの3人だ。

ゼーマンはインモービレ、インシーニェ、ヴェラッティのポテンシャルを早くから見抜いて攻撃的な戦術の中で、彼らを成長させた。もしかすると、ゼーマンの抜擢がなければ現在のセリエAの勢力図、イタリア代表の未来が大きく違ったものになっていた可能性もあるだろう。今回のイタリア代表レギュラーメンバーのキャリアに大きく関わったゼーマンの貢献は大きい。

そんなゼーマンは21-22シーズンセリエCフォッジャの監督に就任する。ここから、さらなるタレントが登場することを願っている。

アリゴ・サッキ

サッキ

2010ワールドカップ、イタリア代表はCL優勝、ワールドカップ優勝を経験している名将リッピが監督に復帰していた。パラグアイ、ニュージーランド、スロバキアと同組となったワールドカップでは、2分1敗でGL敗退。

結果としてリッピは解任され、イタリアサッカー協会は窮地に陥った。結果も試合内容も批判されたイタリア代表。そんな失意の中でイタリアサッカー協会のディレクターポストに就任したのが、かつて世界のサッカーを変革したアリゴ・サッキだった。

サッキは2010年以後のイタリア代表年代別チームのシステムを442に統一。さらにハイプレスなどの戦術面も統一していき、イタリアサッカーの再構築を試みた。

サッキはイタリアサッカーに足りていないのは、攻撃的な姿勢であると見抜いていた。イタリア代表の監督に就任する人物の多くが、勝利至上主義、守備的な従来のカルチョを選択しており、この伝統のもと5回のワールドカップを勝ち取ってきた。しかし、様々な要素から、イタリア代表チームにはスタイルの刷新が必要であるとサッキは考えて改革を実行。

2016年にサッキは、惜しくもこのポストを去ることとなったが、後任を右腕のビシディという人物にしっかりと任せて改革の足がかりを作った。

ビシディのイタリアサッカー改革については、フットボリスタの記事なり、ネットに色々な情報があるので、そちらを参照していただきたい。

サッキのディレクター就任以降、イタリア代表チームは紆余曲折ありながら、ユーロ2020で優勝を成し遂げる。そのチームはかつてサッキが考えていたような攻撃的な姿勢を、ボール保持、非保持で貫くチームだ。おそらくサッキが描いていたような攻撃的なハイラインのイタリア代表チーム。今回のイタリア代表優勝の下地を耕して、イタリアサッカーに2度目の変革をもたらしたサッキは偉大だ。

まとめ

1つの成功事例に対して、サッカーファンは1人の監督の手柄だけにしがちだ。勿論、責任者として監督が存在する以上、優勝という結果の手柄も称賛されてしかるべきだ。しかし、細かなところを見ると、いろいろな事象が重なることによって、成功事例はできあがっている。当たり前のことではあるが、我々は1人の手柄にしたほうが理解しやすいという理由で、さまざまな事象を忘れがちだ。

元来、イタリアサッカーが攻撃的になった下地には上記に挙げたような人々の個々の努力があった。

言及できなかったが、イタリア人の中堅選手、若手選手を中心にチームを作っているサッスオーロのようなクラブがセリエA常連になったことも、イタリアサッカーに与えた影響は大きかっただろう。

このような現場での努力の積み重ねは、セリエAでのピッチ上から確認できるものだ。これからもイタリアサッカーの変化をピッチの上を中心に見続けていきたい。





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