緑竜館のビール!!(という名だが実際は飲み物の味の話)
Oh, you can search far and wide
町から町を歩き
You can drink the whole town dry
ビールを飲み干しても
But you'll never find a beer so brown
故郷で飲むような
As the one we drink in our hometown
濃いビールはない
You can drink your fancy ales
大ジョッキにあふれる
You can drink 'em by the flagon
飲みつけたビール!
But the only brew for the brave and true
でも勇者と忠義者には
Comes from the Green Dragon!
"緑竜館"のビール!
参照:
http://www5e.biglobe.ne.jp/~midearth/bessatsured/songs/greendragon.htm
僕の人生で見た映画ベストランキングを作ったときに、必ずトップになるのが「ロード・オブ・ザ・リング」三部作。その中で主人公のホビットたちが歌を歌いながら、ビールを飲むシーンがあり、それはもう旨そうにビールを飲むのである。だから、うまいもんなんだろうと思い、中学・高校生の頃の筆者は成人して彼らホビットのようにビールを滝のように飲めるのを楽しみにしていたのであった。
しかし、成人したばかりの頃、初めて飲んだビールは、それはそれは酷い味だった。アルコール度数の高い物は余計だ。ウィスキー?辛いだけではないか。なぜこんなものが好きなのか。舌が馬鹿になるのか大人は。お酒を入れた時、筆者はハイにもロウにもならず、お酒をよって楽しくなる前に頭痛がし始めるタイプの酔い形をする。酒の美味しさはわからんし、飲んでも頭痛がするだけなのになぜ飲まにゃならんのだ。というのが22くらいまでの筆者の思考回路であった。(しかし、飲み会には参加するし、参加すれば頭痛がしない程度にはお酒を飲んでいたので酒好きと思われている節がある。不愉快な話であった。)
ウィスキーの話
さて、こんなに不味かったお酒が、おいしくなった事件が発生した。スコットランドに行ったときのこと。一応スコットランドにいるのだし、本場なら日本で飲んでた安物よりうまかろう。試しに本場のスコッチを飲んでみようと、すれ違いでスコットランドを旅行していた友人から勧められたパブに行ったときのことだった。エディンバラはスコットランドの首都だけれど、ロンドンに比べればあまりにも小さい。フラッと現れた日本人が旅行者であったことがわかったのか、たまたまお店の親爺さんが暇だったのか。あるいは、ウィスキーのオーダーが素人だったのか。飲み方を教えてくれたのだ。
その飲み方で、ウィスキーを飲んでみた。と言っても、大したことではない。ウィスキーを少量口に含み、口の中でコロコロ転がして、飲み込む。そのときに水を少々一緒に飲む(チェイサーというとか)。さて、するとどうだろう。今までただ軽いアルコール消毒液だったウィスキーから全く違う風味が飛び出すではないか。麦の香り、土の香り、そしてほのかな甘味である。ただただ辛いだけのウィスキーが飲み方を変えただけで甘くなった!
というウィスキー大革命が起こったわけで、それでもビールが嫌いだった筆者はとりあえず飲み会になったらハイボールかコークハイか、、、とにかくウィスキー系を飲んで誤魔化していた。
ビールの話
そんなこんなで働き始めて一年が経ち、コロナ禍と言われるようになった頃、久しぶりに再読した小説『虐殺器官』の中で主人公が戦友とバドワイザーを片手にスポーツの試合中継を見るというシーンに触発されて、嫌いにもかかわらずビールを買って仕事終わりに飲んでみた。すると、なんということだろう。美味しかったのだ。何がかはわからない。今まで通りの苦さで、何も変化がないのに、飲んだら美味しかった。大学時代、運動終わりの一杯や、当時のバイト終わりの一杯では感じなかったのに、なんとも言えないが、とても美味しかった。これがみんな大好き仕事終わりの一杯というやつか!美味いじゃないか!と感動したわけだけれど。なぜ急においしくなったのかがわからない。
おそらく数年の間に味覚が変化したのだろう。美味しいとも感じなかったものを美味しいと感じるようになり、美味しかったものがそうでもなくなったこともある。そして、味覚の変化とタイミングが合わさると物凄いことになる。
コーヒーの話
筆者の代名詞のような扱いになっているコーヒーだ。今では、毎日コーヒーを飲んでいて、もはやコーヒーが手元にない仕事の光景は想像できない。仕事人生の生命線である。しかし、実は大学生になるまでコーヒーは飲めなかった。そもそも苦いのがダメだった。
大学に入り、ふと暇だなと思った。コーヒーをインスタントのカフェオレで済ませていたが、ふと「時間ありあまってるし、豆から引いたら美味いんじゃね?」と思い、自分で淹れる練習を始めたのだ。それでも最初の1年は、何も知らないでネットを参考に入れていたので飲めたものじゃなかった。そこで諦めれば良かったのに、何を思ったのか、コーヒー屋さんで淹れ方を教わってしまったのだ。おそらくタイミングが良かった(悪かった)のだろう。練習をしている間に、コーヒーの苦味を美味いと感じる味覚が育ってしまったところで、本職の人の淹れ方を教わったのだからそれはうまく感じるに違いない。旨さを感じたら終わりなのである。コーヒー沼へようこそ。豆を買い、他の淹れ方を試すようになってしまった。味覚の変化と外部の環境がうまくはまった結果、ここにまた一人コーヒー党が誕生してしまった。
味覚は変わるよ年取れば
味覚が変化するよという話はよく聞く。ピーマンが食べられるようになった。椎茸が美味しい。などなど。そう言えば歳が経つにつれて、好きなものも少しずつ変わってきている気がする。昔は、とんこつの横浜家系ラーメンが好きだったが今は魚介風の比較的あっさりしたものが好きになったり、昔は酸っぱくて苦手だった梅干しを美味しいと感じるようになったり。味覚は歳によってこんなにも変わるものなのだなあ、と思うと、以前美味しかったものが特段美味しいと思えなくなったときに少し寂しくなる。
一方で、ビールしかり梅干ししかり椎茸しかり、味覚が変化することによって美味しいものが変わるということは、これすなわちどれだけ歳をとっても新しい発見を見つけられるということだ。と思うと楽しみでもあるわけで。
今苦手なものが数年後どれだけ美味しいと感じられるようになるのか。いささか楽しみでもある。
ちなみに、冒頭で出したっきりの緑竜館のビールだが、緑竜館は実在する。ニュージーランドはオークランドから車で1時間ほどのところにあるロードオブザリングのロケ地にまだ立っているはずだ。(まだ残っていて欲しい本当に)。残っていたら今飲んだときには以前よりおいしく感じられるのだろう。再訪したいものだ。