ボーイズ・ラブ未満

ちょっと恥ずかしいような話の第二弾です。
(って、第一弾は昨年三月という太古の昔……)

前回は、ぼくがそのときしていた仕事について、いかに仕事をせずにすませているかというような話を書きましたが、今日はその仕事を作ってくれた友だちにまつわる、わが青春の日の恥ずかしい話を書いてみましょう。

その友だちの名を、ここでは仮にミチモトくんとしましょう。
彼とは中学のときからの付き合いで、高校の三年間は、そして大学に入ってからも、他の友人も交え、本当によく遊びました。
ぼくの一番親しい友人といってもいいくらいの存在です。
そういう長い付き合いの親友が作ってくれた仕事に対して、ぼくがいかに情けない態度で臨んでいるかというのが前回のお話でした。

さて、ぼくらの三年間の高校生活は、むさくるしい男子校での、ほとんど女っ気のない、奥手の少年たち同士のの友だち付き合いでした。
1980年代初頭の話ですが、当時ぼくらはSFの同好会をやっており、何人かの学外の参加者も交え、月に一回喫茶店に集まってはだべるといった活動をしていました。
日常的には、放課後ゲームセンターに行ってテレビゲームの腕を磨くのも重要な活動で、ミサイル・コマンド、ディフェンダー、ガッタン・ゴットンといったマイナーなゲームがぼくらのお気に入りでした。
また、その頃はコミックマーケットがそろそろ有名になりはじめた頃で、みんなで川崎や横浜の会場に行き、我が心の先輩、吾妻ひでお氏の「ミャアちゃん官能写真集」を買ったりしたのもいい思い出です。

ぼくらの高校は自由な校風だったので、勉強の分からなさにはほとほと鬱屈していたものの、それ以外の点では、とても呑気に、いい加減に、楽しい三年間を送らせてもらったと、いま振り返って改めて思います。
そして、その中でも、ミチモトくんとの当時の関係性は、ぼくの五十数年の人生を振り返っても、もっとも輝きに満ちた時代の一つとして思い起こされます。
というのも、その頃、「やおい」という言葉がようやく生まれたような時代の話ですが、ぼくはミチモトくんに「恋」をしていたからです。

さて、こんなことを書いていると、「いい年したおっさんが」など思われる向きもあろうかと思いますので、続きは有料部分に置かせていただきます。

まずは、ここまで読んでくださったみなさん、どうもありがとうございました。

なお、この「恥ずかしいような話」のシリーズは、少なくとももう一編は書きますので、 お読みいただける場合は、マガジン https://note.mu/tosibuu/m/m23cc02be9e83 を購入いただければ幸いです。

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