[詩小説] 今日もインドで低空飛行
その気持ちをどう描写したところで、何がどうなるものでもない。
いや、違うな。やはりどうにかはなるのだ、何かが。
たとえば、「将来に対する唯ぼんやりした不安」のために死んだ人がいる。
むろんそれは、ある心情を仮の言葉で表したにすぎない。
けれどもその表現がこの世界に何らかの足跡を刻む。
ほんのやずかではあっても、それによって何かが変わるのだ。
たとえそれが、砂浜に残された足跡のように速やかに消え去ってしまうものであったとしてと。
* * *
どうにかしようとして何かをするのではなくて、するべきことをした結果、自然に何かが変わる。
初期仏教の瞑想をこの十年ほど練習して、そういう態度で生きる方がいいのだということはだいぶ身に染みてきた。
そういうわけで、このどうしようもなく低空飛行な気分を、とにかく文章に表している。
低空飛行で悪い理由はない。
悪い理由はないのだが、決して愉快な気分ではないので、ついそこから逃げ出したくなる。
しかし、逃げ出そうと思って逃げ出せるものでもない。
瞑想の王道としては、ただその不快な気分を「あ、また不快に感じているな」と観察してやればいいだけのことなのだが、どうも僕にはそれがうまくできない。
で、こうして文章を書く。
文章を書くことでその気分と少し距離を取り、気分を落ち着いて観察ことができるようになる。
* * *
誰もが、寂しさを抱えて生きている。
とはいえ人生は寂しいばかりではなく、楽しい瞬間もある。
隣の芝生は青いもんだから、どうして僕の人生はこんなに寂しさに満ちているんだろうなどと悲観的な想いも湧き上がってくるというものだが、そんなもの結局気のせいだ。あるいは悪い癖だ。
低空飛行が不愉快だって?
アマゾンの密林を蛇行するどろりと濁った川すれすれにぶっ飛んでみなって。ワニが日向ぼっこをしているのが、びゅんびゅんすっ飛んでいっておもしろいぞ。
そんなわけでぼくは、今日もインドの片隅で低空飛行を楽しんでいるのです。
* * *
妙に印象に残る西東三鬼のこの句は、多分その昔、曲乗りの飛行機が見世物になっていた時代のものなのだろう。
願わくはこの小文が、日本に笑顔をもたらすことはないにしても、誰かが少しの慰めでも感じてもらうのに役立つことがありますように。
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