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戦前の日本に現代の混乱を透かし見る - 高見順「昭和文学盛衰史」

高見順の「昭和文学盛衰史」
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を読んでいる。

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で何か文学系のおもしろい本がないかと探していてたまたま見つけたのだが、なかなか勉強になる。

「昭和文学盛衰史」といっても、大正の終わりから太平洋戦争が始まる頃までの昭和初期の「暗い時代」の話であり、その頃の世相を反映しての文学を志した作家や詩人たちの離合集散の歴史の思い出話でもあるので、聞いたこともない人物や雑誌の名前をたくさん並べた部分など、読み飛ばしたくなるようなところも多々ある。

けれども、当時の芸術と政治の関わり、戦前の左翼運動の実態、そして全体主義化する国家体制からの抑圧によって左翼的思想・行動を捨て転向していく人々の様子など、1960年代半ばに生まれたぼくには初めて知ることも多く、例えば雑多な記述のうちに散らばる辻潤や林芙美子の動向などをちらちらと読んでいるうちに、戦前の昭和という時代がうっすらとその姿を脳裏に表してくるのである。

一時は盛り上がった戦前の左翼運動が壊滅していく様子は、戦後の学生運動の盛衰とも重なり、繰り返す歴史から何が学べるのかという疑問が頭に浮かぶ。

中でも最終章25章「徴用作家」においては、高見順が、太平洋戦争開戦前夜に徴用され、ビルマに派遣されたときの経験を書いており、この部分だけでも読むに値する。

宣伝隊報道班として徴用され、宗教班、通訳班とともに輸送船で大阪を出港、1941年12月8日、香港沖で開戦を知る。

そのときの気持ちを高見はこう書いている。

あの瞬間は私も、日本が非常に悪いことを仕掛けたという自覚はなかった。やった--と飛び上がったり、しめた--と欣喜雀躍する、そういうことでは、もちろんなかったが、しかし、私も、スーッとしたような気持ちがしたことはたしかだ。
(中略)
宣戦の詔勅、あれが私に与えた、なんとも言えぬもの悲しいおもいを、いまも私は思い出す。それは私の心にひそむ戦争反対、戦争憎悪の気持ちからのものでもなければ、戦争謳歌、開戦歓迎の気持ちからでもない。日本というものが、なんとも言えず悲しい、そうした悲しさへと私の心を誘っていくもの悲しさなのだった。
船をサイゴンで降り、陸路カンボジアのプノンペンを経由し、タイのバンコクへ行きそこで年を越す。ビルマのラングーンへは1942年3月初旬に入ったという。

ただし、様々な作家の文章を引用して描かれる戦時の情景は生々しいにもかかわらず、作家として「優遇」されている者の経験にとどまっているきらいはあり、本当の戦場の悲惨さからは遠い描写になっているかなと感じてはしまう。

ともあれ、敗戦から八十年近い歳月が流れ、再び全体主義化する日本社会を生きる人間として、一人の知識人が巻き込まれた時代の嵐を知ることは多いに得るところがあると思うのです。

[2022.10.15 北インド・ハリドワル]

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