[航宙日誌] 人生はかくかくしかじか
##1 前口上
結局のところおれは何が書きたいのか。
それが問題といえば問題なのだが、そんなことを問題にしていると、書きあぐねて筆が止まる。
とすれば。
自意識過剰の問題設定などすっぱり忘れて、さっさと書けばいい。
とは言え。
だらだらと意味もなくどうでもいい文章を書けばいいというわけでもない。
誰かに何かを伝えたいのか、それとも自分の存在をとにかく認めてもらいたいのか、自分でもそこのところが何なのか分からなくったってかまわない、今この体の中で、現に起こっているその情動を、 まさにここに書き記す、それさえできればいいってことよ。
というわけで、せっかくこの文章を読んでくださる皆さんには誠に申し訳ないのだが、 ここにあるのは川のせせらぎか虫の鳴き声、 いやそこまで爽やかには響かないだろうな、遠くの通りから聞こえてくる車のエンジン音程度の雑音に過ぎないだろうけれども、とりあえずそこに耳を澄ませていただければ、 少なくともしばしの暇つぶしくらいにはなるだろうかと、そんなような次第の文章を書いているのでございます。
##2 同人誌のころ
15年も前の話だが同人誌を出していたことがある。
「思想としての現代」というすごい名前の同人誌だ。
その頃は精神障害の方のための作業所で、非常勤として働いていた。
作業所に通うメンバーに文学好きで作家を志すシトーさん(仮名)という人がいて、僕が本を読むのが好きで学生のころ同人誌を出していたことがあるという話をすると、 一緒に同人誌を出しましょうという話になったのだ。
作業所の所長のウーイさん(これも仮名)をシトーさんが誘って同人は三名、折々にゲストも参加して、全部で十号以上は出したのだったか、編集会議と称してシトーさんのうちに集まり、ワープロで版下を作り、作業所の備品のリソグラフで謄写版印刷、みんなで帳合をわらわらとしたのが懐かしい。
シトーさんは決してうまい文章を書く人ではなかったが、文学に賭ける熱情には並々ならぬものがあった。
彼が誘ってくれて、この同人誌で小品を書く機会がなかったら、今の物書く自分はいなかった気がする。
人生はやっぱり出会いだなと思う。
ウーイさんは絶妙に力の抜けた哲人で、所長のくせにいつもぞうり履き、浮浪者と見まごう小汚い格好をしているものだから、初見の保健師さんなどからは、 メンバーさんにしてはやけにしっかりした人ね、と褒められるほどの大物だった。
「としべえさんは 今までの人生を書けば、きっと面白いものが書けるのに」とウーイさんに言われたことがある。 自分の人生をさほど面白いと思ったことのなかった僕は、「 うーん、そうですね」と曖昧に頷いてお茶を濁した。
その頃の僕は、現実的すぎる話が苦手だったのだ。
この数年インドに長くいて、暇つぶしに太宰やら芥川やらあたりの日本の古い小説を読むようになってみると、自分の人生をそれなりの角度で切り取り、もっともらしく継ぎ接ぎすれば、まあ読める作品が描けそうな気もしてきた。
そのうち本当に書けたらいいなと思っている。
##3 あとがき
こんな短い文章にあとがきもないものだが、音声入力で適当に書いていたら、前口上が出来上がってしまったもので、釣り合いを取るためにあとがきを置きます。
僕はもともとSFが好きな人間でして、その周辺にあるものとしてダダやシュールレアリズムにも興味があります。
シュールレアリズムは基本的にナンセンスであり、無意識からくる意外な情景というものが日常を超えて面白い、そんなことをダリの絵などを見ると思います。
そうした面白さと比べると、日常の風景や想念を書くことはやっぱり退屈だなと思ってしまうのですが、でも今の僕にはまあそれぐらいのことしかなかなかできないってことなんですから、それはそれでいいじゃないですか、勝手に開き直ることにします。
開き直りにこそ、味があるってことで。
この鯵(あじ)がいいねと君が言ったから9月21日は干物記念日
と、戯れ言を述べてこの超文を終わることにします。
読者のみなさまの人生に幸あれかし!
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