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[投げ銭小説]ミズモの夢時間 (承前)
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母ちゃんのあまーいキャベツとミミズ牧場の夢が、会社をやめて幼稚園からやり直すという男の野望と交差する。奇天烈な物語の切れ端をお楽しみください。
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ミズモの夢時間 (承前)
おれも今年は還暦だからな。そろそろ老後の楽しみに取りかからせてもらってもバチは当たらないだろう。
そう思ってうちのカミさんに、そのことをちょろっと話したら、どうも様子がおかしくなっちまってね。それまではカミさん、鼻唄を歌いながら上機嫌でキャベツを刻んでたのに、その音がふっと途切れちまったんだ。
あのキャベツを刻む音ってのが、おれは好きでね。こう、タンタンタンッ、タンタンタンタンッと、リズムも軽やかに刻む音を聴いてると、それだけで至福の気分だよ。
ほんとはあの音を寝床から聞けたら一番いいんだ。冬の寒い日なんかに、布団の中でうとうととまどろみながら、キャベツを刻む小気味良い音が少し遠くから聴こえてくる。そこに味噌汁の香りなんかが、うっすら漂ってきたりしたら、それこそ極楽じゃないか。
うちの造りの問題もあるし、それぞれの時間の刻みもあるし、なかなかそこまでの贅沢は言えないが、食卓で新聞を広げながら、キャベツを刻む音が聞けるだけでも、おれは幸せ者だなって、ほんとに思うわけだよ。
ところがだ、そのキャベツを刻む素敵な音が、ぱたりとやんじまったんだから、これはまずい徴しだ。
まずい徴しなのは分かっちゃいたんだが、人間には勢いってもんがあるだろう? いっぺん口にした話を、中途でなかったことにもできないから、素知らぬ顔でおれは続けたよ、会社をやめて幼稚園からやり直したいんだってね。
まあ、そのとき読んでた新聞記事が悪かったのさ。国民総幸福倍増計画ってのが、発表されただろう。そういう夢みたいな話を鵜呑みにするトンチンカンなんだよ、おれってやつはね。そのくらいのことは、自分でも分かってる。
けどなあ、分かっててもやめられないことってのもあるじゃないか。おれは自分の幸福も倍増したいって思っちまったんだ。幼稚園からやり直すのが長年の夢なんだよ。
あとから考えりゃ、そんなこと言わないほうがよかったってことだな。なんだかうちのカミさん、おかしな顔して、ぶつぶつ言ってたさ。血の涙がどうしたとか、畑のミミズたちがとか、なんだかそんな妙な言葉が聞こえてくるもんだから、こっちはもう口をつぐんで、それ以上は何も言わなかったよ。(続くはず)
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