トシヤの雑記帳(17) ~noteが希望を思い出させてくれる~
皆さん、愉しんでますか~?
「愉~more」(「愉しい」をもっと(more))のトシヤです。
時折襲う、せつなさ・虚しさ
ふと、せつなさというか、虚しさを感じたので、noteに向かってます。
・テレビが楽しくない(さっきまでオールブラックスの試合を観てたのに)
・Facebookを開くのが怖い(自分だけが乗り切れてない気がして)
・Twitterのライムラインが響いてこない(クスっと笑えない)
etc...
ココロの疲労度が高いときは、これらのせつなさ・虚しさが襲ってくることが多いです。
noteだけが欲求や希望を思い出させてくれる
でも、不思議なことに、noteを開いて思いを綴ることはできます。
そして、noteに入力しているときは、せつなさや虚しさは感じません。
・もっと文字数を増やしたい
・自分のためではなく、他の人に役立つコンテンツを発信したい
・コメントで自分も他人も愉しく交流したい
etc...
せつなさや虚しさとは真逆の、欲求というか希望すら持ててきます。
「やっぱり、自分は活字優位(造語です)なのだな」とひしひしと感じてます。
こうやって、文字にすることでせつなさや虚しさが少し消えました。
これも一種のジャーナリングでしょうかね^^;
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