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小説「天上の絵画」第二部

「来週から私は誰を担当すれば―」
 通常は二、三人のアーティストを同時に担当するのだが、弥栄子は契約満了と三島の打ち切りが重なり、担当アーティストがゼロになってしまった。
 「うーん。ここは人が足りてるから、大阪とか福岡にかけあってみるか。弥栄子さんは身軽だから、出張も大丈夫だよね」スマホを操作しながら、投げやりに言った。
 「はあ、まあ―」
 「何?嫌なの?」
 「いえ…」地方にも魅力的なアーティストは大勢いるから、出張は苦ではなかった。癇に障ったのは、使い勝手の良い駒だと思われていることだった。三十過ぎの独身女性は、適当に仕事を振っておけばいいと思われている。
 「三島先生の報告書を提出したら、今日はもう帰っていいよ」踵を返した吉中は、スマホを耳にあてて出て行った。
 自分のデスクに戻ると、大きなため息が出た。胸にぽっかりと穴が開き、空虚な風が吹き抜けた。
 「どうかしたの?」
 同期の村石理恵が心配そうに顔を覗かせた。
 「実は―」三島から首を切られたこと、吉中からぞんざいな扱いを受けたことを話すと、やれやれといった感じで肩をすくめた。
 「災難だったわね。最近契約の打ち切りが続いてて、吉中さんちょっと気が立ってるのよ。三島先生の件は、運が悪かっただけだって、さっさと切り替えた方がいいわ。あの年代の芸術家はわがままな人が多いから、何でもないことでもすぐにマネージャーのせいにしたがるのよ。弥栄子ちゃんは丁寧だし、相手をちゃんと見てるから、すぐに相性の良いアーティストが見つかるわよ。元気出して」
 理恵とはこの事務所に入ったのは同じ時期だったが、別の事務所でのマネージャー経験が長く、困ったことがあると何でも相談に乗ってくれる頼れる先輩的な存在だった。
 「先生とは上手く行ってると思ってたんだけどなぁ」椅子の背もたれにもたれかかった。「次回作の構想も聞かせてくれたし、ちょっとずつプライベートなことも話してくれてたんだよ。それなのに突然首だって。明日から来なくていいって。ひどいよね。しかもそれを私に直接言わないで、事務所に言っただけで『はい、さよなら』だよ。さすがにショックだわ」
 「わかるよ!わかる。私もそういう経験が一度や二度じゃないから。でも引きずっててもしょうがない!」肩をバンバンと叩かれた。「相手が悪かったと切り替えて、次に行こう!」
 「でも、担当ゼロになっちゃったよ」弥栄子はデスクに力なく突っ伏した。「吉中さんに言われたわよ。独身だから出張も楽だよねって」
 「何?出張が嫌なの?」
 「出張は嫌じゃないけど、自分が使い勝手のいい駒みたいに思われてることが嫌なの」
 「なんだ。そんなことか」
 「いいよね。理恵ちゃんは結婚して子供がいるから、気を使ってもらえて」
 「そうよ。安月給の旦那の面倒を見ながら、わんぱく盛りの男の子の世話してんだから、近場で物事の分別があって、扱いやすい芸術家しか担当させてもらえないわ」
 目を合わせるとほぼ同時に吹き出した。こうやって嫌味にも冗談で返してくれる、大らかな理恵にいつも救われている。
 「でも、担当ゼロって言うのは、可愛そうね」顎に手を当てて、首を傾けた。「良かったら、来週から担当する画家さんを譲ってあげよっか」
 「えっ、いいの?」弥栄子が顔を上げた。
 「うん。担当はもういるし、子供も四月から四年生に上がって、部活動が始まるから、お弁当とか父母会とかいろいろやることが増えるのよ。だから、どうしようかなって迷ってたの。二十三歳の新人さんでまだ駆け出しの子だから、今の弥栄子ちゃんにはピッタリだと思うわ」
 「資料ある?」
 「これよ」理恵がパソコンの画面をこちらに向けた。

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