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小説「天上の絵画」第二部

『アーティストマネージャー募集』と書かれたチラシが目に入ったのは、女性への謝罪を口にし視線を下げた時だった。
 「あっこれですか?」女性がチラシを手に取った。「美術品の修繕や鑑定をお願いしているデザイン事務所が、新しい方を募集されているみたいですね。美術品を好きな人であれば、興味をもつだろうと思われたようですが、仕事と趣味は違いますからね。もしかして、興味がおありですか?」
 チラシには職務内容と応募資格が書かれていた。

 『職務内容:当社と契約するアーティストのマネージャー

 具体的な職務内容:担当アーティストのプランニング、実行、絵画・彫刻など美術作品の制作活動の推進、外部取引先とのやり取り、スケジュール管理、現場への同行。

  求められるスキルと応募資格:・社会人経験五年以上の方・責任感が強く協調性のある方・アーティスト本人、関係各所との円滑なコミュニケーションが取れる方・美術品への興味と関心がある方』
 
 弥栄子が興味を引かれたのは『美術品への興味と関心がある方』と書かれた文言だった。十年以上の社会人経験の中で培われた責任感と協調性には自信がある。円滑なコミュニケーションも心がけてきた自負がある。さらに今の自分は美術品への興味と関心、いやそれ以上の深い愛情を持っている。

 女性スタッフはアーティストマネージャーの仕事がどういったものなのか、かいつまんで教えてくれた。
 アーティストを影から支え、ときに寄り添いながら二人三脚で作品を作り、世に送り出していく。孤独で対人関係に難があるアーティストが多く、どれだけ素晴らしい作品を作っても、それを世に広める術を知らない。論理的に物事を組み立て、計画的に遂行し、さらに金を生み出すことができる参謀役がアーティストには必要だ。
 アーティストマネージャーなら、これまでのキャリアを存分に活かすことが出来るかもしれない。そして何より「自分が担当したアーティストの作品によって、同じように救われる人がいるかもしれない」という誇らしさで心が震えた。
 チラシを食い入るように見つめる弥栄子に「あの…」と女性スタッフが戸惑いながら声をかけた。
 弥栄子が過去の出来事と、今の率直な想いを打ち明けると、女性スタッフの目がだんだんと光を帯びていった。
 「これは運命ですよ!」運命という言葉に、弥栄子の気分は高揚した。「先方には私から連絡しておきますから、お話だけでも聞いてみるべきです」
 弥栄子は力強く頷いた。
 
 アーティストマネージャーになってからの三年間は、あっという間だった。
 頭の中は作品のことでいっぱいで、ビジネス的な考えを持たないアーティストに、マーケティングやブランディングの方向を示す。ときには意見がぶつかることもあるし、理不尽な要求を突き付けられることもあるが、作品が完成しそれを手にした購入者の幸せそうな顔を想像するだけで、まだ頑張ろうと思えた。
 アーティストの多くは、頑固で偏屈で融通が利かず、マネージャー契約を結んだからといって、すぐに心を許してはくれない。時間をかけ忍耐強く、信頼関係を築いていかなければならない。一度心を開いてしまえば、こちらの話に素直に耳を傾けてくれる。
 だが、穢れを知らない未成熟な一面に振り回されることもある。
 数カ月前に担当することになった彫刻家の三島信弘は、芸歴三十年以上の大ベテランだった。気難しい性格の上に、時代錯誤も甚だしい男尊女卑を未だに抱えており、初対面のときの人を見下した物言いと軽蔑の眼差しは、今でも忘れることができない。
 彼の信頼を得るため、打ち合わせのたびに好物の饅頭を持参したり、工房や自宅の庭の掃除、次回作の資料を集めなどの雑用を嫌な顔せず引き受けた。そのかいもあって、ある程度の信頼関係を築けたと思っていたが、突然契約の打ち切りを上司から告げられた。
 「どうして―」弥栄子は愕然とした。
 「契約の更新はしないから来月から来なくていいと、三島先生の方から連絡があって―」マネージャーリーダーを務める吉中卓哉が不機嫌そうに眉根を寄せた。「上杉さんさ、先生の機嫌を損ねるようなことしたんじゃないの?」
 「そんな―」心当たりがなかった。
 先週も次回作のマーケティング戦略について、打ち合わせをしたばかりだ。
 「年寄りのわしにはよくわからんから、あんたに任せるよ」そう言って、弥栄子が自腹で購入した一箱五千円もする饅頭を頬張っていた。
 「考えを強引に押し付けたんじゃないの?」吉中の懐疑的な眼差しに腹が立った。
 「何度も打ち合わせをして、細かくご説明しました。確かに広告やマーケティングは専門用語も多くて、あの年代の方には難しいとは思いますが、先生にご理解していただけるように、出来る限り嚙み砕いて分かりやすくしたつもりです。資料まで見せて一つ一つ丁寧に―」
 「でも、よくわからんって言われたんだろ?自分では伝わったって思っていたのかもしれないけど、独りよがりだったんじゃないの」
 「先生は打ち切りの理由をおっしゃっていなかったんですか?」気がつくと上司に対して、詰問口調になっていた。
 「来月から来なくていいの一点張りで、理由は教えてもらえなかった」
 「だったら、私のせいとはかぎらないじゃないですか。もしかすると費用や事務所の対応が問題だった可能性もありますよね」
 「契約打ち切りの大半は、マネージャーとの相性の問題か対応不備と相場が決まってる。これまで事務所への不満を訴えてきたアーティストは一人もいない」
 それはマネージャーが直接の窓口となっており、事務所まで不満が届かなかったからではないか。現に事務所の対応の不備をアーティストから直接言われたこともある。
 「そういうことは、ちゃんと報告してもらわないと」吉中が眉の皺を深くした。「とにかくそう言うことなんで、来週からは行かなくていいから。今回の件は次のボーナス査定にも影響があると思うので、そのつもりで」吉中が片手を振った。これ以上この話はしたくないという意思表示のつもりなのか。到底納得できなかったが、雇い主から首を切られれば、雇われる側にはどうすることもできない。自分にできることは、精一杯取り組んだ結果だ。素直に受け止めるしかない。しかし胸の奥のわだかまりは、消えることがなかった。

(つづく)

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