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着物というコミュニケーションツール

着物を着始めてから、見知らぬ人に声をかけられることが増えた。年配の人やお年寄りが多い。たいていは「若いのに偉いわね」とほめてくれる。努力して無理に着ているのではないので、趣味で着ているのを偉いと言われるのは歯がゆい。

「お仕事で着ているの?」と訊かれることもよくある。実際に職場でも着物姿なのだが、別に職務のうえで和装が求められているわけではないので、一瞬答えにつまる。が、ここは無難に「いえ、趣味なんです」と答える。やはり「あらそうなの。でもよく似合っているわよ」と言ってくれる。そういえば、三味線を習い始めてから近所のおばさんやおばあさんが感心しきりだったという話を、高野秀行が私小説に書いている。「若者が昔のものに目を向けると大人は寛大になる」と高野さんは言う。私はもう若くはないが話の根っこは同じなのだろう。

お年寄りのほかは外国人が声をかけてくることも多い。歩いている時に目のあいざまクールとかワンダフルという言葉が飛ぶ。こっちは笑顔でサンキューと答える。

喫茶店で「それはなんという着物ですか」と質問された時は少し困った。女物と違って男物には振袖とか訪問着とかの区別がない。紬とかお召とか、あるいは生地の産地を答えるのも違う気がする。「名前はないんです」有名な猫よろしくそう答える。ほかに答えようがない。
「ただ着物、です」
「そうですか。でも、とても素敵です」
彼が求めていた答えとは違ったかもしれないが、あるいは素敵だという感想を私に伝えたかっただけなのかもしれない。

初対面の相手とのコミュニケーションを円滑にするという利点が着物にはあると思う。「お着物、素敵ですね」「お似合いですね」と言われれば普通は嬉しいので会話のきっかけとして上等である。着物姿は印象に残りやすいので、その後も「着物の人」として覚えてもらえるだろう。もっとも着物ばかりが記憶にとどまり、次に会う時に洋服を着ていったら誰だかまるで分からない、などということもあり得るので注意が必要だ。これは着物の欠点、‥‥‥とは言えないだろう。

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