ハンフリー・デービー(Sir Humphry Davy)

イギリスの化学者で発明家(1778年12月17日 - 1829年5月29日)。

「デービーは記憶力がよく本から素早く知識を吸収した。特に好きだった本としてバニヤンの『天路歴程』があり、歴史書もよく読んだ。8歳ごろには、市場の荷車の上に立ち、少年たちを集めて最近読んだ本の話を聞かせていた。そうして詩を愛するようになった。同じころデービーは科学実験を好むようになる。これは主にクエーカーで馬具工を営んでいたロバート・ダンキンの影響である。ダンキンは自分でボルタ電池やライデン瓶を作り、数学の原理を視覚化する模型を作ったりしていた。

それらを使ってダンキンはデービーに科学の初歩を教えた。後に王立研究所の教授になったとき、デービーはダンキンから教わった実験の多くを再現することになる。1793年、デービーはトルーローに行き、Cardew という博士の下で教育を終えた。Cardew は後に「彼がこれほど才能があることを見抜けなかった」と述べている。デービー自身は型に嵌められずに放っておかれたことが自分にとってはよかったと後に述べている」

「デービーはボルタ電池を使った電気分解の先駆者であり、よくある化合物を分解して様々な新元素を発見した。彼は溶融塩の電気分解によって非常に反応性の高いアルカリ金属であるナトリウムやカリウムといった新たな金属を発見。カリウムは1807年、水酸化カリウム (KOH) の電気分解で発見している。18世紀になるまで、ナトリウムとカリウムは区別されていなかった。

カリウムは電気分解で単離された最初の金属である。ナトリウムは、溶融した水酸化ナトリウムを電気分解することで同年デービーが単離した。1808年には石灰と酸化水銀の混合物を電気分解することでカルシウムを発見した。これは、ベルセリウスらが石灰と水銀の混合物の電気分解からカルシウムのアマルガムを得たと聞き、自分でも試してみた結果である。その後も電気分解実験を続け、マグネシウム、ホウ素、バリウムを発見した。6つの元素を発見した化学者は、デービーただ一人である」

「塩素は1774年、スウェーデンの化学者カール・ヴィルヘルム・シェーレが発見したが、「脱フロギストン海塩酸気」"dephlogisticated marine acid air"(フロギストン説参照)と名付け、酸素を含んだ化合物だと誤解していた。シェーレは、二酸化マンガン (MnO2) と塩酸 (HCl、当時は「海塩酸」と呼ばれた) から塩素を作った。

4 HCl + MnO2 → MnCl2 + 2 H2O + Cl2

シェーレは塩素ガスの特性をいくつか観察しており、リトマスを脱色する効果があること、昆虫を殺す効果があること、色が黄緑色であること、王水とよく似た臭いがすることなどを記している。しかし、シェーレはその発見を公表することができなかった。

1810年、塩素を現在の名称である "chlorine" と名付けたのはデービーで、彼はそれが化合物ではなく元素だと主張した。彼はまた、塩酸(塩化水素水溶液)を電気分解しても酸素が得られないことを示した。この発見により、酸は酸素の化合物だとするラヴォアジエの定義を覆した」

ハンフリー・デービー Wikipedia

http://bit.ly/1olO0Wl


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