人間はコピー機にあらず。

丸暗記するのとただコビーするのはだいぶ違うのではないか。
丸暗記といっても、人間にはその過程が残る。コピー機はコピーだけが残る。

普通の人は、あまり文字を書かないのかもしれない。文字を残すというのは自分の痕跡を残すことだから。痕跡を残さないほうが、いざという時に逃げやすい。

会社勤めの頃、やたらと文章の下書きが回ってきたのを思い出す。つまりは、自分は書きたくないから、ていのいい代書屋として使われていたんだと思う。
会社の中の文章は、通達であり、それは盾にも鉾にもなり得た。それだけに、書くのが面倒くさい代物だった。

ユーザーサポートの時の文章は、別の意味で面倒くさかった。通達に加えて、サービスの一環でもあったので、句読点のつけ方まで文句を付けられることがあった。

誰からって?消費者から。

そんな面倒くさい国の言葉の文章だから、書きたがらないのもよくわかるし、そんな大人の態度が子どもの作文に対する意識に反映される。正直者は馬鹿を見るかもしれないのが、文章だ。

本来、文章は自由に書くものだ。自由に書くといっても、それは最低限読み手に伝わらなければならないが。読み手といっても、今自分の目の前にいる人もいれば(そんな時は文章でなく口頭で言えといわれるはず)、そこに居ない、まだ見ぬ人ということもある。

読み手は自分の経験と知識の範囲で読むから、書き手も書き方を工夫しなければならない。読み手もそれに慣れなければならない。そして、前述したややこしさだ。

ネットで文章の閲覧が手軽にできるようになったせいとはいえ、コピーや匿名が横行するのもわからないではないご時世だな、と。

今や、PCは筆記具でしょ?

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