トイレットペーパーが切れた

トイレットペーパーが切れた。

すっかり冷え切った脚を摩りながら、そんなことに気が付いた。

この妙に綺麗なアパートに来てからたった2週間である。

住んでいるのは私だけだ。

冷気が充満した一室で私以外に熱を発するのは、隅にあるガスストーブか、布団に潜り込んだ湯たんぽくらい。

そんな人気のないアパートの一室で、私はひどく驚いた。

トイレットペーパーが切れた。

切れたというのは勿論、切れ目が入ったとかそんな話じゃない。

すっかり痩せ細った芯だけが、ホルダーでカラカラと虚しく回っているのだ。

誰が使った?

言うまでもなく、それは私だ。

段ボールが積まれた部屋と寒さに凍える私を、嘲笑いに来た友人達も使ってたかもしれない。

ただやっぱり、トイレットペーパーを切らせたのは私。

流石の私でも、用を足したら手は洗うし、尻だって拭く。

ウォシュレットなんてのもよく当てている。

自慢じゃないが、ウォシュレットのないトイレじゃ用は足せないくらいだ。

人よりトイレットペーパーの消費量が多い自信のある私だが、そんな私が驚いた。

トイレットペーパーが切れた。

最後に取り替えたのはいつだろうか。

1ヶ月?

いや、もっと前だと思う。

3ヶ月とか、半年とか。


ちょっと考えたところで、このちょっとした不思議は解けた。


私は先月、交際相手と別れた。

恥ずかしながら「結婚」なんて言葉を出しながら、同棲生活を送っていた。

トイレットペーパーが切れたのはいつだったか覚えてないが、同棲期間は覚えている。

きっかり2年半だ。

20代の私にとっての2年半は、とても長く、重たかった。

気の重さとかではなく、私にとって「貴重な」2年半だった。

そんな生活がここ1ヶ月で、急速的に変化した。

どんなに仕事が忙しくとも、どんなに予定が詰まってようと、関係が解消されたカップルの行動力は凄まじい。

即刻、家具家電の権利を主張し合い、新居を互いに決め、荷物をまとめる。

散らかりっぱなしの部屋も、みるみるうちに埃が舞うだけの空間になるのだ。

退去の立ち会いでは、2本の鍵を握りながら部屋を回った。

フローリングの汚れだとか、トースターの熱で焼け焦げだ壁だとかを指摘される度に、心の中で思う。

私じゃない。

フローリングで洗剤をぶち撒けてもないし、壁に接地させて惣菜の揚げ物を温め直してもない。

人間というのは不思議なもので、「あったもの」が「ないもの」になることで強烈に記憶が呼び起こされていく。

鍵を返したあと、鉄臭い手のひらを嗅ぎながら、そんなことを思った。


トイレットペーパーが切れた。


私じゃない。

「ないもの」を見て、「あったもの」のことを考えた。

トイレットペーパーを交換してたのは、誰だっけ。

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