料亭

神様のお守りも楽じゃないわと彼女は言った~西園寺命記 漆ノ巻~ その13

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  *  *  *

「倉橋の娘が離婚したそうだな。倉橋が泣きついてきた。話が違うじゃないか」

 目の前のコーヒーを一気に飲み終え、憤る髭の老人を前に、もう一人の男がたしなめるように言う。

「前面的に信頼に足る相手というわけでなかったのは、あなたもご承知だと思いましたが?」

「…だが一銭もとれないとなったら、私が再登板するための資金が不安になる。その上、倉橋が刑事告訴される可能性もあるじゃないか。大丈夫なのか、こっちに危害が及ぶことはないのか」

「危害はございません」

“それ以上の害はあるでしょうがね”と思いながら、もう一人の男は答えた。

「まあ…それならいいが」髭の老人の指が震えている。

「それより…“先代薙ぎ主さま”から伝言を承っております」

「先代から?」

「はい。申し伝えます。“わが“禊”では、精鋭の者たちが一丸となり、日ノ本の国の繁栄に貢献することをその命とするなり”…とのことでございます」

「何だ。そんなわかりきったことを…」

 言いながら、頭がぐらついた髭の老人は、ハッと目の前の男を見つめた。

「はい。当然おわかりのことかと。今後は精鋭の者たちだけで、その任に務めることといたします。“禊”は、不要のものを“薙ぐ”のが仕事でございます、小宮山元首相」

「あ…」

 小宮山は両手で頭を抑えながら、ソファーに倒れこんだ。

「元々、あなた様のご要望には無理がございました。やくざまがいの者たちと、その金をバックに返り咲こうなど…日ノ本の神々の美意識にはそぐわないものでございます。あなた様の夢は我らが必ず実現しますゆえ、安らかに余生をお過ごしなされますように」

 男は目の前で二拍手二礼すると、指を鳴らし、隣の部屋から部下を呼び入れた。

  *  *  *

 多治見総研の専務室では、専務の藤原が声を荒げていた。

「久我の息子、離婚したそうじゃないか。倉橋からの情報収集も、久我からの現金収集も、これでなくなったということかね、前田くん」

「は、はい…」

「おまけに小宮山元首相にも連絡が取れなくなっている。危険を察知して逃げたということか?」

「申し訳ございません、専務。そこまではまだ…」

「先山のような奴がまた出て来ないとも限らないんだぞ。注意しすぎても、しすぎることはないんだ」イライラした様子で前田をきつく叱りつける藤原。

「は、はい…」

「ああ…やはりあの時、清流の娘が辞退したのは想定外だったな…あれは痛かった」

「あの、ですが、代わりに山階の関係者が…」

「本人に力があるわけじゃない。彼は婿養子だ。山階関係者に再び力が出ても、その情報を収集できるのか、ん?」

「それは…」

「まあ、いい。とにかく、こちらに成果が出ていない以上、我々にも、もう余裕がない。こちらの不具合が露呈する前に決着を付けるぞ」

「はい」

「ただし、あの二人には手を出すな」

「はい。それは承知しております」

「まったく、あの人も何を考えてるんだ。まあ、二枚舌はお互い様だがな。…前田、いざという場合は、多少は…手荒なことも許可する」

「承知いたしました」

 前田は深く一礼すると部屋を出て行った。

  *  *  *

 九条家の神命医、花園要は、大徳寺医師から送られてきた書面を見つめ、声を出して笑った。

「やっぱり、次のネタはこれか。指示された通りの“調整”をしなければ、あの件をバラすという念押し」

「九条の夢宮の件も、元々、九条の“弐の位”も怪しんでいたふしがありますし、あのことも含め大事にされては困ります」

「彼女、父親から勘当されて東京に行ったんだから、もう関係ないだろ」

「若、彼女はまだ伊勢の登録上は“弐の位”のままです」

「“命”は力が落ちてると、大徳寺先生が嬉しそうにそう言っていた。降りるのは時間の問題じゃないのか」

「…若が神命医として、そのようにご判断されていらっしゃるのなら、そうではないかと」

「僕には九条の“命”の力を判断なんてできないさ」要が笑う。「島津だって、わかってるだろう? それはしてはいけないんだ」

「では、なぜ神命医をお続けに?」

「やってはいけないことが何か。僕にも、それを身をもって示すことぐらいはできるかもしれない」要が天井を見つめる。

「若…」

「不思議な力ゆえ命を落とした人間に、「心不全」という死因を書く時の気持ち、島津にはわからないだろうな」

「それは…」

「まったく大徳寺先生は大したものだよ。ミスリードだらけだ。まあ、それを見抜けない “命”たちも“命”たちだが」

「おわかりの“命”さまも、いらっしゃるのではないでしょうか」

「残念ながら、僕にはそれを正確に感知できる力はない」

「若、私にできることはないのですか?」唇を噛む島津。

「あるよ。おまえにしかできないこと」

「若…?」

「3年前、父が犯した罪…安楽死に手を貸したゆえに、それをネタにゆすられて、花園は今、こういう状況にある。

 それを覚えていて、伝えて欲しいんだ。同じ過ちを犯す神命医がいなくなるように。花園は僕で終わりにする」

「承知いたしました」

 島津はうつむいたまま、頬に熱いものが流れ落ちるのを感じて、顔を上げることができなかった。

  *  *  *

 坊城の夢の話が気になった大谷は、定時になると清子の隠れ家へと急いだ。

「清子さま!」

 だが、清子の姿はそこにはなく、電話もつながらなくなっていた。美鈴にも連絡してみたが、美鈴も史緒も清子の行方は知らないということだった。

 念のため、家の中を再度探していた大谷が、喉の渇きを覚えて冷蔵庫を開けると、そこには清子の得意なBLTホットサンドと封筒が入っていた。

「お仕事お疲れ様。ホットサンド、温めて食べてください。ここは明日、すべて片付けるように手配しました。私は私なりに前に進みます。清子」

 便箋にはそう、したためられていた。

「清子さま…」

 大谷は便箋を見つめると、ソファに崩れ落ちた。

  *  *  *

 清子が家から姿を消したのを知ると、しばらく放心状態だった大谷だったが、その後、自分のマンションには帰らず、清子を探し続けた。

 大学の友人、バイト仲間のモデルや久英社の仕事関係者に電話で当たり、近所の商店街まで足を運んでもみたが、清子の行方はわからず、気が付くと大谷は再び清子の別宅前までやってきていた。

“いったいどこに…清子さま…”

「あーら、ミッキー、偶然ねっ!」

「…ぶ、部長」

 後ろから進に肩を叩かれた大谷は、意外な人間の登場に頭の中が真っ白になってしまった。

「こんなところでどうしたの?」

「あの…見つからないんです」

「何が?」

「清子が」

「そう。…お話聞かせて。一緒に探すわ」

 進は大谷をすぐ近くの公園に連れて行き、そこで事情を説明させた。

「…すみません。帰宅途中ですよね、お時間大丈夫ですか?」

 一通り事情を話し終えて、少し気持ちが落ち着いたのか、進のことを気遣う大谷。

「大丈夫、大丈夫」進が甲高い声で答える。「じゃあ、行きましょうか?」

「どこへですか?」

「あなたと彼女の愛の巣」

「ですから、彼女は家を出たんですよ?」

「正確に言うと“あなたは彼女が家を出たと思った”よね?」

「え?」

「学校と仕事関係の知人には連絡したのよね?

 あなたにも、相手の嘘を見抜くくらいの力はあるはず。つまり彼女はその人たちのところへは行っていない」

「はい…」

「ところで、清隆さんとあなたのお父さん、伊勢を上がった当日に、わざわざ京都から来るんですもの、かなり大事な御用事がおありなのよね?」

「史緒さまのイベントの説明会へ自分も出席したいと、清隆さまがおっしゃったようなんですが…」

「でも次の会合は一週間後よ。そんなに急いで来る理由にはならないわね」

「はい」

「清子さんは、その理由がわかったんじゃないかしら。そして自分は父親の前に姿を出さないほうがいいと、何らかの理由で判断した」

「その理由って何ですか?」

「さあ」進が両手を組んで、上に伸びをする。「でも、理由が何にせよ、かくれんぼ開始よね」

「清子さまは、いったいどこに…」頭を抱える大谷。

「清隆さんと大谷さん、もうご近所にいらしてるのよねえ。清子さん、やたらと距離を移動したら、かえって察知されちゃうんじゃない?」

「確かにそれはそうです。きっと父が清子さまに向けてアンテナを張っているはずです」

「アンテナを張れなくなるのは、いつ?」

「え?」

「清子さんが動いても安全な時はいつかしら?」

「え…と…伊勢の儀式の最中、神命医の調整中、他の“命”や関係者と接触している時…だと思います」

「今は?」

「明日は一条の先の宮と奥様に面会を求めているとのことです。今日は他の“命”と接触するとは聞いてません。なので今は、清子さまには安全な移動時間ではありません」

「だったら…」

 男声に戻る進。

「今は動かないのでは?」

「あ…」

 大谷は慌てて立ち上がり、清子の仮住まいのビルへと走った。

  *  *  *

「じゃあ進ちゃんは、清子さんの作戦の邪魔をしたの?」呆れた顔になる華織。

「可愛い部下が混乱を極めているのを目の前にして、放ってはおけません」

「まあ…それはそうね。私だって進ちゃんがいなくなったら、大変なことになっちゃうもの」

「私はいつでもお傍におります、おかあさま」

「当然よ」プイと横を向く華織。

「清子さまは、霧を払われたのではないかと」

「風馬の遠隔が呼び水になってしまったかしらね。あの時は心労が激しいようだから、普通にヒーリングをと思っただけだったのにね」

「タイミングもあったのでしょう。彼女の力を封じる側が力を使えない時間帯でした」

「結果、清子さんはすべてを理解した。で、進ちゃんは私に何をしてほしいの?」

「迷える子羊たちに、ひと時の安息をお与えください」

「じゃあ…清子さんの学校の近くがいいかしら。サウスガーデンの適当な部屋を用意してさしあげて」

「承知いたしました。明日、九条の“命”が一条邸を訪問中に手配いたします」

「でも、バレたら怒られちゃうかしらね」

「一条の先の宮には報告しておくほうがいいかもしれません」

「じゃあ、それもお願いするわ。未那ちゃんと一緒に、麻那ちゃんの件でご挨拶にうかがうんでしょう?」

「はい。明日の午後に。順番的には九条さまの後になります」

「西に意地悪するつもりはないけど…やっぱり彼らは勝手に事を進めすぎだわ。この辺でちょっとストップかけておかないとね」

 華織は機嫌よさそうに微笑むと、作りかけのブレスレットを光にかざした。

  *  *  *

 翌日、紗由の呼び出しに応じて、華織のマンションでは西園寺保探偵事務所の緊急秘密会議が開催されようとしていた。

「紗由。何度も言うようですけど、ここは探偵事務所の会議室ではなくてよ」

「おばあさま。こまかいことを気にすると、シワがふえるって、かあさまが言ってました」

「あらそう」

「ほらね」

「え?」

 思わず眉間にシワを寄せてしまった華織は、紗由の視線の先にあった自分の眉間に慌てて手をやるが、紗由は華織が必死にシワをのばしている間に、メンバーのほうへとスタスタ歩いていく。

「じゃあ、みなさん。きょうのきんきゅうひみつかいぎでは、まず、あたらしいメンバーをしょうかいします。まりりん、おねがいします」

「はい」

 真里菜は、後ろにいる俊の手を引っ張りながら、一歩前に出た。

「うちのママのおとうとの、俊おじちゃまです」

「こんにちは。久我俊です。まりりんがお世話になってます」

 ニコニコしながらペコリと頭を下げる俊。

「おじちゃま、えらいわ。ちゃんとごあいさつできて」

「…まりりん、どんどん、おばあちゃまに似てくるね」少し顔が曇る俊。

「おばあちゃまというのは、和歌菜どののことでござるか?」

「え…あ、うん」

「えー、俊どの。はじめましてでござる。せっしゃは花巻充ともうしまする。和歌菜どのには、たいへん、たいへん、すんごーく、おせわ…」

 途中で、真里菜のきつい眼差しを背中に感じたのか、慌てて話の方向性を変える充。

「おやくめは、紗由ひめをまもるにんじゃでござる」

「“さけみつる”の子だよね。僕、友達と行ったことあるよ。おいしいよねえ」

「和歌菜どのとまた来てくだされ!」

「ママと…?」何で和歌菜の名前ばかりでるのかと首をかしげる俊。

「えーと、ぼくは有川恭介です。えいごとドイツごの、トリリンガルスパイです」

「にんじゃみならいでしょ」

 真里菜が冷たく言い放つと涙目になる恭介。

「ああ、建介くんの子だよね。子どもの頃、よく買い物頼まれてたなあ。そうすると、何か梨緒ちゃんと建介くんがケンカになっちゃってさあ」懐かしそうに笑う俊。

「そう…なんですか」意味がよくわからず、恭介は曖昧に笑う。

“パシリにされてた自覚がなかったのかしら…?”

 向こうで聞いていた華織が、気の毒そうな眼差しを俊に送った。

「へえ、忍者にトリリンガルかあ。かっこいいなあ」

「おばかスパイも、とってもふんいきがあります」奏子が笑顔で応える。

「そうかなあ」照れる俊。

「…ねえ、充くん。このおじさん、ほんもののおばかなんじゃないかな」

 恭介が充の耳元で囁くと、紗由がコホンと咳払いをした。

「俊おじさまは、とってもおみみがいい、おばかスパイです。ないしょばなしは聞こえますからね、ちゅういしてください」

「は、はい」後ずさりする恭介。

「何か、皆もいろいろ大変だって聞いてます。僕も頑張りますので、よろしくね」

「はーい」

「では、ごあいさつがすんだところで、さっそく、きょうのぎだいに入りたいとおもいます」

「はーい」俊も一緒になって返事をする。

「イベントの“いざかややたい”のけんですが、賢ちゃんたちがそうだんして、かかりが決まりました。きょうとの子たちのかかりは、史緒ちゃんが、みんなとおはなしをしてくれて決まりました」

 紗由の言葉に充が拍手すると、皆もそれに続く。

「こうべの子たちのかかりは、きょうとの常盤井大和くんが、史緒ちゃんに言われて、いろいろやってくれました。大和くんのいとこの子も、こうべの子です」

「史緒ちゃん、だいかつやくだね、まりりん」奏子がうれしそうに笑う。

「うん。まあ、おにいちゃまのおよめさんになるかもしれないしね」

「はい。史緒ちゃんのおかげで、みんななかよく、“いざかややたい”ができそうですね」紗由も笑う。

「ねえ、まりりん。居酒屋屋台って何?」

「えーと…」俊に聞かれたものの、どう説明したらいいのか困惑する真里菜。

「それについてはですね…」

 紗由がリュックの中から書類を取り出し、俊に渡した。

「これをよんでおいてください。イベントのことがかいてある、おとなむけの紙です」

「はーい」俊は受け取った書類を読み出した。

「すごいねぇ…かんじ、よめるんだ」恭介がつぶやく。

「おばかとはいえ、おとなでござるからのお…」

 そう言いながら、充も俊がページをめくるスピードに圧倒されている。

 当の俊は、2回目に読む時には胸元から付箋とボールペンを取り出し、書類のところどころに付箋を貼り付けては、そこに文字を書き込んでいく。

「うちのパパも、ああやってむずかしいご本をよみますよ」

 奏子も興味深げにその様子を見つめている。

「うーん。これは、おやつより、おもしろそうですねえ…」

 紗由が近くで俊の様子をうかがおうと席を立つと、俊が一瞬先に席を立ち、部屋の窓際へと歩いていき、スマホを取り出した。

「あ…パパ? うん、僕。今、へーき?」

「おじいちゃまにでんわしてる?」怪訝そうに俊を見る真里菜。

「よめないかんじ、聞いてるのかなあ」恭介もじっと見つめている。

「あのさ、イマジカとのイベントなんだけど、これ、やめたほうがいいんじゃない?」

「え!?」子どもたちが声を上げる。

「…もうパンフとか配っちゃった?…ふーん、作成中。まだ、参加者の子どもと親で会合してるレベルなんだ。

 広告は?……あ、そう。途中で内容変更したから止めたんだ。じゃあ、今からでも修正きくよね、まだ2ヶ月近くあるんだから。

 …違う、違う。代表協賛を降りたほうがいいって言ってるの。税金の問題だよ。

 提案なんだけどさ、ほら、ママが代表のNPOあったよね、教育関係の。まず、あっち主催のチャリティーにするでしょ。うちは一出展企業という形にして、書籍とグッズの売り上げはNPOに全部寄付するんだよ。居酒屋屋台の食べ物はサービスでもいいけどね。

 …うん、そう、まあ、イマジカも、そうしてもらうほうがいいかもね。あくまでNPO主体のふりするの。

 …そう。だからさ、この規模だったら出費は広告費と考えて、寄付で処理したほうが税金お得でしょ?

 で、今後、このイベントのルポを雑誌に載せるときに、一行、“このイベントの収益金は”って書くだけで、なんか、うちも親切企業みたいになるし」

「み、充くん。なんか、むずかしいはなしをしてるよ…」

「うーむ」

「うん…わかった。瑞ちゃんと賢ちゃんに相談してみる。じゃあね」

 俊は電話を切ると、瑞樹と賢児に電話をかけ、今の用件を伝え、早めに打ち合わせをしようと話した。

「うん。じゃあ、これからイマジカ行くよ」

「紗由ちゃん、まりりん、ごめーん。用事できたから、今日はここで失礼していいかなあ? まりりん、後で夕紀ちゃんにお迎えお願いするから」電話を終えた俊が真里菜に駆け寄る。

「俊おじちゃま…ほんもの?」真里菜がびっくりまなこで俊を見上げる。

「え?」

「俊おじさま。どうぞおかえりください。おしごと、がんばってくださいね」紗由はポケットに手を入れ、キャンディを取り出すと、俊に渡した。「あたまのおくすりです」

「あ、あの…これもどうぞ」奏子がチョコレートを渡す。

「えーと、こ、これも」

 恭介は未開封のポテトチップス一袋をリュックから取り出し、差し出した。

「せっしゃは、これを」充が渡したのは、“さけみつる”の全品半額券3枚だ。

「うわあ…皆、ありがとう。僕、がんばってくるね」

 俊は子どもたちに手を振ると、華織に近づき挨拶をした。

「おばさま。僕、これで失礼します。おじゃましました」

「いいえ。また、いらしてね、俊ちゃん」

「はい。失礼します」

「…まりりん…奏子の…気のせいかもしれないんだけど…おばかスパイじゃないんじゃないのかなあ…」

「俊どのは、なにものなのでござるか?」

「おしごとは、ぜいりしさんだけど…」

「それって、ぜいきんのおしごとだよね? じゃあ、お金スパイにしようよ」

「いいですね。おばかと、お金、にてますし、そっちにしましょう」

 紗由が頷くと、皆も大きく頷き、離れたチェアーに座る華織も頷いた。

  *  *  *

 俊がイマジカを訪れた時、すでに瑞樹が賢児や哲也と共に話し合いを進めていた。

「おじゃましまーす」笑顔で社長室に入る俊。

「俊ちゃん、どうも。久しぶりだね」賢児も笑顔で応える。

「賢ちゃん、見たよ、双子ちゃんのハイハイ映像。かわいいねぇ」

「ありがとう。…イベントの件でも、アドバイスいただいたようで。久我社長から大体のところは聞いたけど、もう少し詳しく話を聞かせてもらっていいかな」

「うん」ソファに座ると、先ほど紗由からもらった書類をテーブルに出す俊。「これ、Ver.3になってるけど、これが最新版でいいの?」

「ああ」

「あのね、これは税金以前の問題なんだけど、このイベント、うちとイマジカがスポンサーでやるのは、世間的にはちょっと胡散臭い感じがすると思うんだ」

「胡散臭い?」哲也が顔をしかめる。

「うちは、つい先日、エコリンピックの協賛で、しかも大地とまりりんが出たから、けっこう注目を浴びたよね。

 イマジカは協賛じゃなかったけど、紗由ちゃんの出演で大注目。また彼らに注目させるようなイベントを、うちとイマジカでやったら、あの子たちのための売名行為と思われるんじゃないのかな。

 うちのパパは叩かれるの慣れてるからいいんだけど、きっと回りまわって、保先生も叩かれると思うんだ。幼い孫を露出させてまで人気維持したいのかって。敵陣営って、そんな感じみたいだもん。倉橋の両親の話聞いてた限りでは」

「…言われてみれば、そうだな」腕を組む賢児。

「こういう言い方なんだけどさ、皆、子どもたちのことが心配で、ちょっと近視眼的になってるような気がするんだよね。短期間で注目浴びすぎると、間違いなくマスコミの餌食になるよ。ねえ、瑞くん」

「そうだね」苦笑する瑞樹。「マスコミの人間が言うのも何だけど」

「だから、もっと地味にやったほうがいいと思うんだ。

 幸い、内容が途中で変更になったせいで、大々的には広告してないから、まだ大抵のことは変更がきくでしょ?

 要は、総研と“禊”っていうのを表に引きずり出したいんだよね。それなら待ってないで、こっちから出向けばいいんじゃないの?」

「NPOを表看板にしてということ?」哲也が聞く。

「うん、そう。イベントやりたいんだけど、協力してくださいって、総研に頼みに行けばいいよ。青蘭、祇園育舎、フリージア学園の優秀な子どもたちに参加を取り付けてありますからって。“禊”が総研とつるんでるなら、何らかの形で現れるんじゃないのかな」

「なるほどね…俊ちゃん、頭いいな」賢児が笑う。

「西園寺保探偵事務所のスパイにもしてもらったんだよ」少し自慢げな俊。

 “おばかスパイ”ではあるんだけどね、と瑞樹と哲也は心の中で思ったが、賢児には言わずにおいた。

「へえ、すごいじゃん。大人で入れてもらってるのって、誠さんだけだよ」

「ああ、風馬くんの義理のお兄さんだね。そういえばさ、彼、“インバーター”のマジックの師匠なんだって? 僕も弟子入りしようかな」

「あはは、それいいね」

「じゃあ、まあ、二人で一条さんに弟子入りしてもらうとして…」哲也が話に割り込む。「僕は俊ちゃんの意見に賛成」

「僕も賛成だ。今回のイベントは、本格的な研究とイベントへつなげるためのプレイベント。だから、こじんまりと」

「わかった。その線で仕切り直そう。俊ちゃん、どうもありがとう。確かに僕たちは近視眼的だった気がする。総研や“禊”から子どもたちを守れても、マスコミから守れなかったら困る」

「僕、今ひまだから、何でもお手伝いするよ」

 俊が笑うと、3人も釣られるように微笑んだ。

  *  *  *

 皆が華織のマンションから帰った後、紗由は華織とティータイムを楽しんでいた。

「何で紗由だけ残ったのかしら?」

「ごそうだんがあります。さくせんのことです」

「まあ。何かしら?」

「もうすぐ、あぶない人が来るような気がします。にいさまも、そう言ってました」

「…そう」微笑む華織。

「イベントをたのしくしたいので、はやくやっつけちゃおうとおもいます」

「紗由がやっつけちゃうの?」

「いいえ。おばあさまが、やっつけます」

「…それはもう決まりなのかしら」溜息混じりに尋ねる華織。

「はい。紗由たちは子どもなので、がんばりすぎると、おねつが出ます。イベントができないとこまります」

「それはそうだけど…」

 華織は返答に窮した。そもそも今回のイベントは、子どもたちの周囲で不穏な動きをしている人間を炙り出すための“仕掛け”であり、当の子どもたちと次世代の“命”たちに、ある意味、実戦を経験させる場なのだ。

 あくまで自分はそれをフォローする立場。それ以前に自分が出向いて事を起こすなら、イベントを画策した意味がない。

「だって、おばあさま。せっかく、いろんな人がとうきょうに来てるんでしょう? おいしゃさまの取りっこだけじゃあ、もったいないですよ」

「そうねえ」華織が笑い出した。

「おばあさまがやらないと、きっと清子おねえさまが、ピューって行っちゃいますよ」

「それだと、話がややこしくなるわよね」

「ですよねえ」

 気がつくと紗由は自分のリュックから取り出したマドレーヌをもぐもぐと食べている。

「でも、おばあさま一人でなんて嫌よ。紗由たちもちゃんと協力して頂戴ね」

「はい。じゃあ、いっぱいたべて、げんきを出しますから」

「それにしても、紗由。あなた食べすぎじゃなくて? 糖分の採り過ぎは病気の元にもなるのよ」

「和江さんのおやつは、とーしつせーげん、というのをしてます。ふつうのおさとうと、おこなじゃありません。いっぱいたべても、びょうきにならないおやつです」

「あら、そうなの。今度、私も作ってもらおうかしら」

 紗由にのせられるかのように、マドレーヌを口にした華織は、清子の動きと自分の今後の手順に思いを馳せながら、紅茶をすすった。

  *  *  *

「いよいよ明日ね、麻那ちゃん。応援してるわ」

「ありがとうございます」

 先にお礼を言う誠を見て、華織がくすりと笑う。

「まあ僕としては、出来レースを落としどころにするというのは、納得がいくわけではないんですが、彼女が無事に神命医に就任してくれればと思います」

「そうね。まずはそれが一番だわ」

「ですが、一条というコマは西川に渡して、残り総取りを狙っているというのが本当なのでしたら、それはそれで、あまりよろしくないことに…」暗い表情の麻那。

 麻那の一条家就任については、当初、経験不足だの何だのと、何かにつけ大徳寺側からクレームがつき、状況が二転三転していたのだ。

 そして3日前、大徳寺から重治のところに、麻那を一条家に就任させるのには自分も本当は賛成だから、形だけの公開調整をして、皆に納得してもらおうと言ってきた。

 その代わり、大徳寺が希望する家の担当を、大徳寺派に渡すのが条件ということだった。その数と質は、一条に匹敵するだけのバランスを考慮してほしいという。

「誰の入れ知恵だか知りませんけど、小賢しい戦略よねえ」

「申し訳ありません…」

「あら。麻那ちゃんの責任じゃないわ。それに西園寺を大徳寺派が診るというのも面白いかもしれなくてよ?」

「華織さま…」うつむく麻那。

「西の三条、東の西園寺と四辻は大徳寺に狙われるでしょうね」誠が言う。「全体の数的には大徳寺派が倍くらいいますが、全国的には主たる家は西川派が占めているのが現状ですし、大徳寺先生ご自身がバックヤードに回られたら、下々のフォローが出来ず、大徳寺派の力不足が露見する危険もあります」

「これまで自分の系列の人間ばかり、簡単に神命医認証してきたツケが回ってきているんです。辻褄を合わせるために、使える人たちを名家に送り込もうと必死なんでしょうね」

「まったく、食えない人たちね。でも、大丈夫よ、麻那ちゃん。あなたは一条家の“命”のために力を尽くすことだけお考えなさい」

「…はい」

「悪いようにはしないわ」

 華織は麻那の手をとり、誠の手の上に重ねた。

  *  *  *

 誠の父、央司が日本に戻ってから五日目、麻那の公開調整の日がやってきた。

 東京の某ホテルの一室には、重治、大徳寺の他、一条家、三条家、九条家それぞれの“命”と、その神命医たち、さらには四辻家の神命医が集まっており、精査を受けることになっている麻那は、付き添いの未那とともに控え室で準備をしている。

 このメンバーの人選は大徳寺側の発案だった。本来、公開調整ということであれば、一条の“命”である誠と精査を受ける麻那、審査側の主な神命医だけでいいのだが、一条を麻那に渡すことが内定している今、大徳寺としては、それに代わるターゲットをこの場で抑えておきたいとのことらしい。

 第一のターゲットと思われたのは、西の主な“命”側のうち、西川派の医師が神命医をしている三条家だ。その“命”を招いた表向きの理由としては、三条の“命”がまだ13歳で、配慮が必要、西の神命医全体で三条をバックアップすることを確認するためとのことだった。

 九条家はすでに大徳寺派の花園が任に就いていたのだが、若手の花園が九条の“命”に対して主導権は握れていない。九条の“命”には何とか恩を売り、大徳寺に自由が利く状態にしておきたかったのだ。

 そこで利用したのが、重治を巡る、九条と一条との因縁だ。この際、その辺に決着をつけ、一致団結、公平な決定に大徳寺が一肌脱ごうではないかという、“良心的”申し出による招きだったのだ。

 そして元々、大徳寺が一番欲しかったのは西園寺の神命医の座ではあったはずだが、重治の一番弟子、村上を西園寺の担当からどけるのは、一足飛びには難しいと考えたのだろう。華織は席に招かれてはいなかった。

 四辻については、現在“命”がおらず、翼が“弐の位”であるため、西川派の担当医、二ノ宮のみが招かれていた。翼の後見である一条家の神命医とは連携が必要という、これまた“良心的”な配慮からであった。

「形だけですから、西川先生」大徳寺が重治に向かってにこやかに話しかけた。「機関の手前と言いますか、内内の話し合いだけで重要なことを決めるとうるさいですからねえ」

「ええ、それは承知していますよ、大徳寺先生。孫のために、お気遣いありがとうございます」重治もにこやかに応じる。

「やだやだ、白々しい会話。大人ってまったく」

 肩をすくめる三条の“命”の様子を横目で確認し、気づかぬふりをする大徳寺とは対照的に、ニッコリと微笑み丁寧にお辞儀する重治。

 慌てた三条家の神命医、岩倉が息荒く三条の“命”を注意する。

「あなた様も、もう中学生。大人なのでございますよ」

「…はーい」

「まだお若いのでね、マイペースなんですよ」九条清隆が誠に説明する。

「新しい時代の“命”という感じですよね、三条の姫は」微笑む誠。

「そろそろ…あなたの姫もご用意ができる頃ですかね」

 その時、入り口ドアが開き、誠をからかう清隆の前を白い影がすっと通り過ぎた。

「ごきげんうるわしゅうございます、皆様」

「あなたは…!」

 清隆が驚く視線の先には、袴姿の女性が立っていた。

「失礼いたします。西園寺家“命”、西園寺華織でございます。

 このように皆様とお顔合わせをするのは掟破りでもあり、不本意ではございますが…今回、共に四辻の後見を勤める一条家の事案ですので、不躾ながら参上させていただきました」

「四辻の後見?」大徳寺が聞き返す。

「四辻の先の宮さまの遺言ですの。どうやらあちらは、生前に私のことをご存知だったようですわ」

「そうなんです、大徳寺先生」

 誠が割って入る。

「ですが、四辻の先の宮さまの行い…意図的に他のグループの“命”に近づくのは掟破り。

 西園寺の“命”さまは四辻の立場をお気遣いになり、伊勢には届けず、遺言書に名前があった私…と申しますか、偶然にも西園寺家と当家は姻戚関係になりましたので、その後、私に協力を申し出てくださったのです」

「あの…西園寺の“命”さまなんですか?」

 三条の“命”が席を立ち、そろりそろりと興味深げに近づいてきた。

「はい。初めてご挨拶申し上げます、三条の“命”さま」

「うわぁ…こんなにお綺麗な方だったんですねえ。あ…私、三条蘭子です。よろしくお願いいたします」

「まあ。こんなに可愛らしいお嬢様に、そんなお言葉をいただけるなんて…おうかがいしたかいがありましたわ」とびきりの笑顔になる華織。

「何年か前に65歳で再任されたと聞いてましたけど…まだ52、3ですよね?」

 ジロジロと華織を見つめる蘭子をたしなめようと、清隆が割って入る。

「三条殿。個人的なご興味話は、後ほどごゆるりと。失礼をお許しください、西園寺の“命”さま」

「あーん、ごめんなさい、西園寺の“命”さま。九条の“命”さまは、普段はとってもいいオジサマなんですけど、ちょっと口うるさくて」

 まるで自分が悪いかのように言われた清隆がムッとする。

「お偉い殿方というのは、お気遣いも細やかでいらっしゃるんですわ。蘭子さま、諸々のお話は御用が済みましたら、いたしましょうね」

「はい」笑顔の蘭子。

「ところで皆様、私が失礼を承知でおうかがいしたのは他でもございません。私も“命”の一員として、確認させていただきたい点があったからです」華織が一同を見回す。

「どういったことでしょうか、西園寺の“命”さま」大徳寺が笑顔で促した。

「今回の件、以下のように理解しております。

 一条家神命医の大徳寺先生が養成医師側に回られることになり、ご退任の予定。その後継候補として本日、西川麻那先生の公開調整ということになった。これが現在の皆様のご認識でしょうか?」

「その通りでございます、西園寺の“命”さま」

「そういたしますと、西川麻那先生が一条家後任と認められなかった場合、ここにいらっしゃる皆様方…三条の岩倉先生、九条の花園先生、四辻の二ノ宮先生、西園寺の村上先生で、一条家神命医の座を巡って公開調整で腕を競い合うのでしょうか?」

「え?」予想外の質問に戸惑う大徳寺。

「逆に西川先生が認められた場合、全体のバランスというものもございますわよね。

 若い西川先生が一条を診るからには、三条、九条、四辻、西園寺の医師も、お若い方々に交代させるということになりますかしら」

「そ、それは…」

「そうですのお…」

 重治が答える。

「大徳寺先生と私は養成側に回りますが、年齢的に二人でその任に付くのは大変なのも事実です。いっそ、ここにおいでのベテランの先生方にも養成を加勢していただいて、一新して他の若手の先生方にお任せするという手もありますな」

「そうですわね。バランスということで言うなら、先生方のことですもの、医師の出身系列の数的バランスについても、ご検討が必要だとお考えなのでしょうねえ。アンバランスは争いごとの元ですものね」

 大きく頷く華織に、大徳寺が口ごもる。

「西川先生、“命”さま、それはちょっと、ここでは何と申しますか…」

「はい! いいこと思いつきました、重治先生!」

「どうぞ、三条の姫」

「バランスもそうですけど、まずは適材適所じゃないかと思います!」

「ええ、ええ、左様でございます。私が常々考えますのも、そのような…」

「麻那先生も含めて、神命医全員で共通テストをすればいいんです。大徳寺先生もやってもいいですよ!」

「え?」

 助け舟を出されたと思っていた大徳寺は、話が意外な方向に向かってしまい、再び口ごもる。

「“命”たちはそれを見て、自分の好みの医師を順番に指名していけばいいと思います。指名がダブったら、医師のほうが“命”を選ぶ」

「ほお。面白いアイデアですな、姫」重治が大声で笑った。

「こちらからの逆指名もあり…?」驚く二ノ宮医師。

「公正な方法ですね」花園医師がぽつりとつぶやく。

「お言葉ですが、三条の“命”さま、それでは機関が何と言うか…」大徳寺が眉間にしわを寄せる。

「ねえ、機関が一番偉いの? それとも公開調整を審査する神命医が一番?

 自分のかかる医者を自分で決められないくらい、“命”は下なの?…あー、やっぱり一番偉いのは神命医かしら。本当なら集合禁止の“命”たちを内内に集合されられるんですものね」

 あどけない笑顔で詰問する蘭子に、大徳寺は黙り込む。

「あの…私も内内に参加させていただきたいのですが、よろしいですか?」

 静まり返る部屋に一人の男性が入ってきた。

「父さん!」誠が叫ぶ。

「皆様の前で、その呼び方はするんじゃない、今の宮」

「…失礼しました、先の宮」

「突然すみませんね、皆さん。…これはこれは西園寺さま。偶然ですなあ。いつも娘がお世話になっております」

「いいえ、こちらこそ、一条さま」

「ああ、一条の先の宮さま、もちろんご参加くださいませ」大徳寺が大げさに挨拶をする。「あなたさまの家のことでございます」

「まあ、とはいえ、三条の“命”のお言葉にもあるように、自分では決められないんですけどね。ははは」

「じゃあ、試しにやってみますか? 椅子取りゲームと花一匁。これはあくまで非公式なものということで。幸いと言っては何だが、ここは伊勢ではありませんし」

 重治が一同を見渡したところへ、準備ができた麻那が現れた。

「お待たせいたしました」

「麻那、ちょっと事情が変わった。皆さん、一条の神命医になりたいそうだ。だから全員で試験をする」

「承知いたしました」

「麻那先生、重治先生はね、試しにそんなことをしようとおっしゃるんですよ。ご冗談がお盛んで、ははは」焦った声の大徳寺。

「いえ。そのほうがすっきりいたしますわ」

 一同を見渡しながら微笑む麻那。

「誰がどのような方法で就任したにせよ、一条家を預かるのは大事。禍根の残らぬよう、公正な形で事を済ませたほうが、皆様もご納得行かれるかと」

「まあ…潔くて、ご立派なお心構えですわ、麻那先生」

 華織が大きく拍手をすると、央司と蘭子もそれに続く。

「恐れ入ります」頭を下げる麻那。

「重治先生、その試験、それぞれの“命”を神命医の先生方がリレー方式で調整していくなんていうのは、いかがでしょう?」華織が提案する。

「面白そうですね! 私、いろんな人の調整、試してみたかったんです」

「そうですね。こんなベテランの先生方に診ていただく機会、早々ありません。楽しみですよ」誠が微笑む。

「じゃあ、さっそく!」蘭子が大徳寺の腕をつかむ。「一条の“命”がいいっておっしゃるんだから、いいですよね。一条家のことなんですもの」

「ですが…」大徳寺はまだ渋っているようだった。

「この秘密の会合、伊勢でうっかり話しちゃったらどうしよう…」

「そ、それは…」

「はい。じゃあ始めまーす」

 大徳寺を黙らせた蘭子がその場を仕切り始め、麻那の公開調整は一転、“命”と神命医との“お見合いパーティー”となった。

  *  *  *

 ホテルでの会合の帰り、一条家本宅には、央司、誠、誠の母の園子、華織、重治、未那、麻那、蘭子、村上、花園の10人が集まっていた。

「皆様、お疲れ様でした。一条のためにお手間を取らせました」頭を下げる央司。

「皆、最初からわかってましたよね。一条の“命”さまには麻那先生がいいって。一番最初に完璧に調整するんですもの。なのに…大人って本当に面倒なんだから」

「そうね。わざわざ事を複雑にするのが偉いと思ってる大人が多いのね」微笑む華織。

「でも、華織さま。何で花園先生をお選びになったの? フツーのお医者様なのに」

 本人がいるのに、お構いなしで質問する蘭子。

「普通というのは、“命”を全うすることに際して、とても大切なことなのよ、蘭子さん」

「それなら私、すごい“命”になれます!」両手で握りこぶしをする蘭子。

「そうね。蘭子さんがいらっしゃる限り、三条は安泰だわ」

「重治先生の一番弟子、村上先生をいただいたんですから、頑張らないと」ニッコリ笑う蘭子。

「まあ、皆さん、面倒も終わったことですし、園子と麻那さんの手料理を楽しんで行ってください」

 央司が呼び鈴を鳴らすと、テーブルには華やかな料理が並べられた。

「すごーい。ホテルのご飯より美味しそう!」蘭子がいっそう笑顔になる。「でも、先の宮さま、何で麻那先生が奥様とご一緒にお料理するんですか? あ…もしかして一条家の花嫁修業?」

「ご名答」華織が答える。

「うわあ。そうだったんだぁ。だからあんなに息がピッタリだったんですね。おめでとうございます!」蘭子は立ち上がるとピアノに向かった。「では、お祝いに一曲献じます」

「まあ。前回のショパン国際ピアノコンクール、ソナタ賞受賞のピアノを生で聞けるなんて楽しみだわ」

 拍手する華織に続くように一同も笑顔で拍手し、蘭子は演奏を始めた。

「それでは僭越ながら、誠さんと麻那さんの未来を祝して乾杯の音頭を取らせていただきます」

 蘭子の演奏の後、華織の音頭で乾杯した一同は、麻那の料理を口にした。蘭子は誠や麻那だけでなく、未那にも興味津々らしく、いろいろと話しかけていた。

「三条の“命”さまは無邪気でお可愛らしいわね、花園先生。どうせならあちらのほうがよかったかしら」

「いえ、西園寺の“命”さま。ご指名、ありがとうございました。ですが私も三条の姫同様、不思議で仕方がありませんが」

「大徳寺先生とは違った種類の嘘をおつきになるのね」

「え?」

「まあ、いいわ。奥様と麻那ちゃんの美味しいお料理、いただきましょう」

 華織は楽しそうに前菜を口に運んだ。

  *  *  *

 一条家から戻った華織のマンションに呼ばれていた進が、30分程予定より遅れて到着した。

 赤い縁の眼鏡をはずし、鮮やかなグリーンのジャケットを裏返し、淡いグレーにして羽織ると、部屋に入る進。

「遅くなりました」

「お疲れ様、進」躍太郎が笑顔で迎える。

「珍しいわね、進ちゃんが遅刻だなんて」

「申し訳ございません。迷える子羊の様子を見に行っておりましたもので」進が深々と頭を下げる。

「そう。ご苦労様」微笑む華織。「花園先生、こちら、西園寺の命宮、高橋進。進ちゃん、こちら新しい西園寺の神命医、花園要先生」

「高橋でございます。よろしくお願いいたします」

「花園要です。よろしくお願いいたします」花園が立ち上がって挨拶する。

「堅苦しい挨拶はここまで。進ちゃんも座って」

「はい。失礼します」

「あの…命宮は驚かないんですか、私が西園寺家の担当になったこと」

「西園寺の“命”にお仕えするのは、日々是驚嘆ですから」穏やかな笑顔の進。

「あら。まるで私がやっかいな主みたいじゃない」

「多少面倒なだけで、やっかいではございませんので、ご安心下さいませ」

 進と華織のやりとりに、思わず笑う花園。

「九条の弐の位も、こんな感じだったのかい?」躍太郎が尋ねた。

「清子さまを西園寺の“命”さまと並べるのは、格の上からもいかがなものかと」

「一応、私は九条より上という扱いにしてくださるおつもりなのね。

 でも、九条のことは弐の位も含めて、京都では一番見どころがあると思ったのでしょう?

 “彼”をお嫌いなあなたが、その意向を自ら汲むようにして、わざわざご担当になられたんですものねえ」不遜な笑みを浮かべる華織。

「…お言葉、理解しかねますが」

 華織は、うつむく花園の前に立つと、不機嫌そうに彼を一瞥し、その肩に手を置いた。

「あなたの考える東のトップとは、その程度なのかしら?」

「あ…」口ごもる花園。

「花園先生。一つだけ御忠告申し上げます」

 進は立ち上がると、花園の肩に置かれた華織の手をそっと持ち上げ、静かに下ろすと、恭しく礼をした。

「華織さまは現在、東のではなく、この日ノ本の国全体のトップでございます」

「進ちゃん。今は一条の先の宮が日本においでなのよ。私は2番目じゃないかしら?」

「花園先生。我が“命”は、こう見えて謙虚な方でして」

「こちらこそ…失礼申し上げました、西園寺の“命”さま」花園の声が少し震えた。

「ん、もう。いやだわ。進ちゃんが脅かすから、花園先生、怖がってしまったじゃないの」

「それは申し訳ございません、花園先生」

 進が花園に頭を下げる。

「ですが、あなたは物事の道理をお分かりの方。それゆえ、我が“命”はあなたをご指名なさったのです。どうか、もう少し私どもを信用して下さいませ」

「…もしかして今日のことは、私の考えを聞くための一芝居なのですか?」

「あなたがお感じになられていること、見聞きしてきたこと、それが救いのヒントになるかもしれないと、“命”さまはお考えになりました」

「“彼”が何をしようとしているのか、あなたの口から聞かせてもらえないかしら?」

「“命”さま…」強い眼差しで華織を見つめる花園。

「華織はね、神命医の名家・花園を絶やしたくないと思っているんだ。我々は君たちの味方だ」

 躍太郎の言葉に、花園の頬には一筋の涙が流れた。

  *  *  *

 花園が東京での宿にしたホテルへ帰った後、華織は進に尋ねた。

「迷える子羊の件、その後をまだ聞いていなかったわね」

「イベント前に決着をつけるおつもりのようです」

「紗由もそう言っていたわ。だからその前に私に動けと」

「どうなさるのですか」

「迷える子羊がジンギスカンにされたら困るし、探偵事務所が向こうに家宅捜索に乗り出しても困るし…進ちゃんも、私が出向くのに賛成?」

「行動力は半端ないですからね、紗由さまたちは。総研まで乗り込みかねません。

 向こうも目論見がどんどん崩れて、焦りがマックスになっているでしょうから、ここぞとばかり子どもたちに手を出しかねません。そんな事にでもなれば、さすがに相手が危険です」

「そうね。大人が集団で倒れて事件視されたら、マスコミを押さえるのは難しそうよね」

 二人が心配しているのは子どもたちではなく、相手方のようだ。

「ということは、焦りから、そろそろ集まりでもある頃かしら」

「彼が東京で必ず寄るという料理店“霧屋亭”、今度の火曜日の夜、多治見総研の名前で予約が入っているようです」

「火曜日…3日後ね。人数は?」

「4名です。時間は19時。離れの個室、本館から見て奥側のほうです」

「そう。わかったわ。じゃあ、送り迎えお願いするわね」

「承知いたしました」

 進は礼をすると部屋を出て行った。

  *  *  *

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