西園寺命記~青龍ノ巻~ その6
* * *
ミコトの部屋では、ベッドから起き上がったミコトが、クロゼットから袴を取り出し着替えていた。
「やはりこれが落ち着く」
一人ごちるミコトの横には、いつからそこにあったのか、8センチほどの天使のような姿の木像が置かれている。
「おまえもそう思うであろう、羽童よ。久々の“体”だからな。居心地がよいのに限る」
「西園寺の“命”さまの御宅に、そのお姿で行かれるのですか、青の龍王さま」
羽童と呼ばれた木像が言うと、青の龍王と呼ばれたミコトは答えた。
「いや。今、清流を離れるのは無理だ。まだ大地の“手”のほうが強かろう。少しでも多く、この姿で祭の傍らにいたいものではあるが…我がいられる時間は限られている」
「夕べ、黄龍さまに仕えし童の気配がございました。いかがいたしましょう」
「気づかぬふりでよい」
「承知いたしました」
「しかし、このようなものがあったとはな…。紗由のやつ、いや、ここは西園寺華織と言うべきか。ミコト専用の品とは、たいそうな物を用意してくれたものだ」
「何十年も前に、なぜこのような物をあつらえたのでしょう」
「真大祭においてミコトを覚醒させ、九代目とし、先代龍王さまを呼び戻すためであろう。さすれば我は祭の元から去り、伊勢へ戻らねばならぬ。遠い未来、またここに呼ばれるまで」
「ミコトさまの覚醒を阻止なさるおつもりでいらっしゃいますか」
「九代目は祭でよい。我が花嫁だ。我はミコトの体を手にいれ、祭も手に入れる」
「龍王さま。現世の決め事では兄は妹を娶ることはできませぬ」
「ここ清流においては、我が決め事そのものだ。そして祭は我が花嫁。七代目と西園寺の姫命宮は、現世の決め事に従い、我が意を汲まず、ミコトを東京へと追いやったが、もうあの二人はいない」
「ですが龍王さま。あなたさまはお二人の願いを受け取られたのでは…」
「何度も言わせるな。我は決め事そのものなり」
龍王の言葉に、羽童はそれ以上何も言わず、その羽でふわりと浮き上がると、部屋の天井近く、欄干の木彫り模様の一部へと溶け込んでいった。
そして、少し空いていた窓の縁に止まっていた蝶は、ひらひらと空へ舞い上がった。
* * *
翔太と紗由の葬儀から遡ること約一年、静岡の旅館、黒亀亭では、西園寺華織の五十回忌の法要が執り行われていた。
施主は彼女の孫で現・西園寺本家当主、西園寺昇生だ。“宿”のひとつである黒亀亭の亭主も勤めている。
「さすがに17年前とは顔ぶれがだいぶ違うわね」紗由が100人を超える列席者を見回す。
「これだけの顔合わせは三十三回忌以降、初めてやしなあ、17年も経てば人も変わるわな」翔太が頷いた。
「とうさん。ミコトと祭、まだかい」急ぎ足で翔太のところへやってきたのは息子の駆だ。
「もう、そろそろ来るんやないのか」
「駿河湾マラソンで車は迂回させられてるから、もう少しかかるかもしれないわねえ」
「彼女、そろそろ帰るらしいんだ。そしたら、ミコトと会えないよ」慌てた様子の駆。
「せやな」
「アメリカへ戻る飛行機の時間があるからって。今、龍おじさんが話してるけど、あと10分が限度だって“連絡”が」
「華音ちゃんは、何も言ってなかったわよね」
首を傾げる紗由に翔太が答える。
「華音ちゃんも悠斗くんと一緒に、仕事先のアメリカから直行で、慌ただしかったようだしなあ。孫娘のスケジュールの詳細までは把握しておらんやろ」
「まあ、そうね。災いでなければ、元“弐の位”も受け取らないでしょうし」
「二人とも、そんなのんびりしたこと言ってる場合じゃないだろ。これじゃあ、ミコトと彼女は今日、出会えない。ミコトの力が発現するきっかけになる機会を失うんだぞ」
「それなら今日ではない、いうことやろ」
「とうさん…」
「時はまだ満ちてはいなかった。そういうことなのね、おばあさま」
紗由は、華織の遺影を眺め微笑んだ。
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