西園寺命記~青龍ノ巻~ その19
* * *
「ど、どうしたの?」
頭を抱えてしゃがみ込む鈴露の肩に手をやるメイ。
その瞬間、びくっと体を震わせる鈴露。
だが鈴露は、一瞬ののち、スッと立ち上がった。
「何でもない。そうだ、考えなくてはいけないのはミコトの今後。だからお願いしたいんだ、メイに」
「何でもないのに何で叫ぶの? 羽龍さまって、確か天使人形よね?」
「…羽龍さまもミコトのために働いてくださっているんだ。頼むよ、メイ。力を貸してくれ」
頭を下げる鈴露。
「で、でも…なんか、ピンと来ないわ。私が彼を開くって特別なことなの?
力の伝授だけなら、他にもたくさんいるじゃない。
えーと、専門用語でいうところの、龍の宮様・西園寺龍、聖の宮様・西園寺聖人、四辻の宮様・四辻翼、花巻の宮様・花巻充、久我の宮様・久我大地。
奥方たちだって、そうそうたるメンバーだわ。
四辻家出身の石の姫・西園寺奏子、九条家出身の印の姫・西園寺咲耶、久我家出身の香の姫・四辻真里菜、西園寺聖人の双子の妹、琴の姫・花巻真琴、九条家出身の書の姫・久我史緒…これで足りないわけ?」
「力だけで済む問題なら、とうに俺がやっている」
「…それもそうね」考え込むメイ。「じゃあ、私が彼を開いたとして、結局何を目指しているの?」
「“悪しきもの清らに流れ、真の祭は己が役目を終える”」
「真の祭っていうのは、真大祭のこと? それが終わるの?」
「そうだ。“悪しきもの”とは、不十分なまま孵化し、若青龍として、清流旅館に据えられた青龍のこと。ミコトが開いたあかつきに、若青龍を流し去る。それが60年に一度の、今回の真大祭の役目なんだ」
「確かに、今の青龍さまが、人間界のルール的にはとんでもない奴なのはわかるわ。でも、彼を追い出したいのなら、清流旅館を閉めちゃえばいいじゃない」
「獣神さまの在留と、“巫女寄せ宿”としての旅館の御役御免とは別の問題なんだ」
「どういうこと…?」
「宿を閉めても、出ていくとは限らないんだよ、獣神さまたちは」
「そうなの?」
「おまえのおじいさまの悠斗さんが亭主を務める“雀のお宿”…西園寺本家の“命”である昇生さんの主宿だ。ここは15年ほど役目を返上していた時期がある。西園寺へのやっかみを避けるため、華音さんが閉めた」
「閉めてたことがあったの?」
「ああ。そして、西園寺本家の“命”に就任した、というか、させられた昇生さんのために、華音さんは“雀のお宿”を復活させ、主宿にしたんだ」
「そうだったの…」
「びっくりするのはその後だ。朱雀さまは、宿を閉めていた後も、雀のお宿を守って下さっていた。だから、伊勢からの復興許可もすぐに降りた」
「そっか…清流旅館を閉めたところで、若青龍さまが去るとは限らない。祭さんに執着していれば、去る確率は薄いわね」
「だから、伊勢にお戻りいただくしかない」
「新しい龍王さまを呼ぶの?」
「正確には、元々の青龍さまに復活していただくんだ。今は、真大祭用の神箒に納められている」
「その復活の過程を私が補佐するってこと?」
「そうだ。正確に言うなら、補佐ではなくお前が主役なんだよ、朱雀の若姫」
メイはしばし考えこんだ。
「…私がメインで青龍さまと戦うわけよね。なんか、私にもすごくリスクがありそう」
「だから?」
「だから?って…私にもメリットがないと」
「そうだな」
「じゃあ、私が鈴露のリクエストに応えたら、鈴露も私のリクエストに応えてくれる?」
「おまえとは結婚できない」
「…あ、そう」
言う前に却下する鈴露に、メイは無性に腹が立ってきた。
「なら、私もできない」
「俺たちは血が近すぎる。また周囲の警戒を呼ぶだけだ」
「それが理由?」
「…いや…俺には結婚を誓った女がいるっていうか…」
「ていうかじゃないでしょ!」
メイと鈴露が振り向くと、そこには拳を握りしめ、仁王立ちしてる祭がいた。
「祭!」
「えーと…?」
戸惑うメイに歩み寄る祭。目の前で立ち止まると、深々と頭を下げる。
「朱雀の若姫さま、ようこそ清流へおいでくださいました。私は清流旅館八代目当主、高橋駆の娘、祭と申します」
「は、はあ…」
「本日は、兄のミコトに関してお願いがございまして、参上いたしました……のですが」 頭を上げる祭。「どうやら、それ以前の問題かと」
ちらりと鈴露を見ると、再びメイに視線を戻す祭。
「メイさん。私が鈴露さまの婚約者です」
「え?」
「どうやら鈴露さまは、メイさんに嘘をついていたようですね」
「ついてないよ、嘘なんて!」
「ついてます!…嘘には二つの種類があります。事実と違うことを言う嘘、そして、本当のことを言わない嘘。鈴露さまがついた嘘は後者です」
「そんなこと言われても…」困惑する鈴露。
「しかも、その嘘は、メイさんのためのものではありません」
「確かにそんな感じ…」メイが鈴露を睨む。「だからよけいに腹が立つんだわ」
「すみません…」鈴露が口ごもる。
「同じ嘘でも、清流の人たちがミコトさんのことを考えて、若青龍さまのことを隠していたのとは全然違う」
「メイさん…」祭はメイを見つめ、ぽろぽろと泣き出した。「ありがとうございます…そんなふうに言っていただけて、亡くなった祖父母もきっと喜んでいると思います」
「あ…そんな。清流の皆さんも大変でいらしたんですよね。鈴露…さんから聞いた話だけでも、皆さんがミコトさんのことを心配なさっているのはよくわかりました」
「私は正直、旅館だの“命”のシステムだの、どうでもいいんです。兄が普通に生活できるようになって、幸せになってくれれば」
「でも、旅館を閉めても解決にはならない…可能性が高いんですよね」
「はい。なので、どうしたものかと……」祭の声が小さくなる。
「大丈夫! きっと大丈夫よ。私もお手伝いしますから。ね?」
「本当ですか…?」
「ええ。方法があるなら、とにかく試してみないと」
「ありがとうございます!…本当に、ありがとうございます!」
ほとんど二つ折りになりながら、頭を下げる祭。
「そんな…頭を上げて、祭さん」
「ありがとう、メイ」
祭が頭を上げると、今度は鈴露が頭を下げる。
「…鈴露は当分そのままでいいわ」
“ええ…?”
鈴露は、何か不条理なものを感じながらも、とりあえず一歩前に進んだと自分に言い聞かせていた。
鈴露がゆっくりと頭を上げると、祭とメイは肩を並べ、清流旅館のほうへと丘を下っていくところだった。
“だが、すでに最初の問題が起き始めている…さっきの羽龍さまのお言葉は…”
鈴露は拳を強く握ると、意を決し、二人の後を追った。
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