見出し画像

【長い髪の君だけに愛の国へ〜瞳みのる&His Friend’s】


行ってきました!サムズアップ横浜❣️


ザ・タイガースのピーこと瞳みのるさんと
ザ・ゴールデンカップスのエディ潘さん、
ミッキー吉野さんとの夢のライブです。
ご一緒していただいたのは、
ザ・カーナビーツの越川ヒロシさん。



私は小学生4年生のとき、ピーが大好きで、
セコピーとあだ名がついていました。
ドラムセットのプラモデルも作ったほど(未完成)

ロックンロール世代のお姉さんはほんとに元気で、踊ってました。
すごいパワーで、勇気出ました。



セットリストもないので、正確ではないのですが…

エディ潘さんが、「花の首飾り」
ピーが「長い髪の少女」を歌いました。

スコットランド民謡「My Bonnie Lies over the Ocean 」
アイルランド民謡「ロンデリーの歌」
ボブ・ディラン「風に吹かれて」

「ロンドンデリーの歌」を日本語と中国語で歌うピー。



エディ潘さんは
「ヨコハマ・ホンキー・トンク・ブルース」

ミッキー吉野さんは
「ガンダーラ」

そして、最後は
「君だけに愛を!」

ピーのドラムを目の前で聞いて涙目でした!

アンコールは
「ホンキー・トンク・ウィメン」

3月12日には神戸でもライブがあるそうです。

神戸近郊の皆様、、ぜひぜひお出かけくださいね。


ご一緒した越川ヒロシさんがお店の方に耳打ちされ
控室に通されていきました。
私はドア横の椅子に座って待っていました。

少しするとドアが開いて、越川さんが出ていらっしゃる時
ドアの隙間からピーが見え、視線が合いました。
胸がキュンとしました。

1968年(昭和43年)6月23日 
小学5年生の時に
横浜文化体育館で開催された
ザ・タイガースショーを見にいきました。

その時、母校の中高ではGSライブに行ってはいけないことになっていました。
でも小学校には禁止令は出てませんでした。
お友達のお母様も一緒でしたから。
もしかしたら、お母様たちが
本気で見たかったのかもしれません。

実はこの頃、
ウィーン少年合唱団の追っかけもしていました。
受験勉強もせずに、好きなことばかりしていました。

ザ・タイガースと明治チョコレート

今日はバレンタインデーですね。
チョコレートといえば、
明治チョコレートでした。






1968年春に企画された販売促進キャンペーン「タイガース・デラ・プレゼント」にどっぷりハマった私はチョコレートを買いまくりました。

それは、一枚50円の明治チョコレート(デラックス、ハイミルク、ブラック)の包み紙
150円と切手70円を一口で応募すると、全員のもれなく景品がもらえるというものでした。

①ジャイアントポスター (サイズ38㎝x100㎝)
各メンバーと全員ポスター の6種類 

②各メンバーが語りかけるソノシート

③ミニアルバム(カラー写真6枚セット)

お小遣いは500円程度だったと思うので、
このキャンペーンの応募するのは無理でした。

だから、ピーのものから集めました。

弟にもチョコレートを買わせたこともありました。
150円分なら、ミルクチョコレート3枚でもよかったのに
3種類買っていてので、
ブラックが溜まっていったことを思い出します。


noteを書くために調べていたら
記憶が蘇ってきました。

ソノシートはA面はそれぞれ
「あなたに電話するピー」
「あなたとドライブするサリー」
「あなたと散歩するタロー」
「あなたにささやくジュリー」

B面は共通で「お部屋でおしゃべりターガース」でした。

天地創造ものがたりもあったのです。
すごい企画ですよね



中国文学者 瞳みのる


タイガースが解散したのは1971年。
解散公演後の内田裕也さん主催のお食事会に参加後、
お店の前に待たせてあった家財一式を積んだトラックに乗って、
京都の実家へ帰りました。
そして中退した京都府立山城高等学校の定時制へ復学して
1972年春慶應義塾大学文学部中国学科へ入学。
そのまま修士課程へ進み、教員免許取得。
1977年より慶應義塾高等学校で教鞭をとりつつ、
博士課程において中国文学の研究を続けました。

中国への留学制度が正式にスタートすると
1981年34歳で北京大学へ二年間留学をして、
帰国後は慶應日吉で教師を続け、
漢文、中国語関連の参考書、テキストブックの著者・監修者として
中国語教育に力を注ぎました。

慶應義塾高校の教壇に立つようになって以来、
教え子や保護者から、芸能活動時代のことを
質問されることも多々ありましたが、
どんなに懇願されても一才語ることはありませんでした。

中国の京劇と日本の舞踏の融合による公演にも熱意を注ぎ、
日中の架け橋となり、文化交流の発展に貢献しています。

明治期以降に日本へ入った欧米の民謡や歌曲の和訳、中国語訳に新たなる観点から取り組み、3つの言語(英語、日本語、中国語)が絡みあった、これらの曲への、かつての政治や社会情勢の過去の好ましくない影響を排除し、音楽(原型)の正しい解釈や普及の必要性を説いたり、明治期や古典的な詩だけではなく現代歌謡曲の翻訳も手がけ、日中間の音楽・文化の交流を図るほか、作詞、作曲も手がけている。明治期の歌謡の研究では、2011年の1月の「世紀の大発見」と言われた「仰げば尊し」などの19世紀の原曲(The Song of Close of School)の発見で有名な、櫻井雅人一橋大学名誉教授(英語学、英米歌謡論)などとも親交があり、協力して研究や活動をする姿勢を示している。

2012年11月発売のCD『同学・晩秋』は、一連の研究の中から、明治期の唱歌を現代に蘇らせるために独自に企画されたもので、日本人によく知られた曲である「仰げば尊し」と「旅愁」を、日本語、英語、中国語で新旧の歌詞やメロディー、歌唱で蘇えらせた。「仰げば尊し」の英語の歌詞による原曲がCDになるのは、世界初と言われている(これまでレコードにもなっていない。)。

このような欧米音楽の日本や中国など、東アジアへの導入過程についての歴史的研究を通し、ザ・タイガース時代の若年からの音楽への関心からくる音楽的な知識や関心と、その後の多年にわたる教師としての中国語、中国文学研究の成果を一つに纏めて、自身のユニークな経験を踏まえた研究を携え、音楽、文学、原語を超えた新境地、新分野を開こうと活動している。
wikiより


なるほど・・・そうだったのね・・・

ピーのMCが面白いわけでした。

ますますピーが好きになりました。

72歳でパパになったピー

1980年代に一度女医さんと結婚しましたが離婚。
お子さんは奥さまがひきとられ、
以後、独身生活をしていました。

2011年にドラマーとして復帰してから
35歳年下の女性と再婚。
2019年にベビー誕生。

なんと72歳にしてパパになりました。

なんて素敵な人生でしょうか。

4歳になったお子さんとどんな話をしているのかしら。
成人式を迎える時も
きっとピーは元気でドラムを叩いているような気がしてなりません。

元々真面目な、几帳面な性格だったピー。
その時、その時に与えられた状況の中で
最善を尽くしてこられたのでしょう。

人一倍の努力もされたことでしょう。

ピーのファンになって60年近く・・・
GS世代のお姉様たちから見るとヒヨッコですが、
あんなに熱狂した時代を過ごせてよかったです。

元気と勇気と希望をくれたピーに感謝!





#瞳みのる
#ザ・タイガース
#中国研究者
#タイガースピー
#サムズアップ横浜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?