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♪「主われを愛す」と「シャボン玉」


●讃美歌部屋では

「唱歌」という奇跡 十二の物語ー讃美歌と近代化の間でー(安田寛著・文春新書)
をテキストとしてお話していました。

1893年、日本人によって作られた日本で初めての
キリスト教に基づいた幼稚園で人生初の教育を受け、
小学校から高校までの12年間はバプテスト派のミッションスクールで学び、
ヘボン博士が創立した明治学院大学が最終学歴となった私は
「純粋培養」とよく言われました。

そんなことはない!苦労もしてるんだなど
ずいぶん反発もしてきましたが、
還暦を過ぎて
自分の中に撒かれた小さな種は、
大きくなって、実をつけていたのだなあと思うことが多々あります。

そして讃美歌は心の灯火になっていることに気付かされます。
讃美歌部屋を開くにあたり、本を読んで、とても面白いと思いました。

●「唱歌」という奇跡 十二の物語ー讃美歌と近代化の間でー(安田寛著・文春新書)


キリスト教に基づく近代教育は圧倒的な力でアジア太平洋地域を席捲した。
各地の歌謡も讃美歌を歌うことで近代化、西洋化された。それは逆にいえば、長い伝統を持つ、それぞれに地域の歌舞、詩歌が根絶やしにされることでもあった。その中で、唯一、讃美歌を換骨奪胎して生まれた“ミラクル“が、日本の「唱歌」だった・・・・・。
「むすんで、ひらいて」「蛍の光」「蝶々」「さくらさくら」など十二の愛唱歌に秘められた歴史のミステリー

この本はかくして書かれました。

●作詞者 野口雨情の祈り


シャボン玉 飛んだ
     屋根まで飛んだ
     屋根まで飛んで
     こはれて消えた

     風 風 吹くな
     シャボン玉 飛ばそ


詩は野口雨情です。
彼は「赤い靴」「十五夜お月さん」「七つの子」「青い眼の人形」の作詞で有名です。
北原白秋、西条八十と当時の童謡界を牽引していました。

シャボン玉はすでに江戸時代に初期から、
江戸の夏の風物として持て囃されていたので、
題材としてはオーソドックスでした。

子供がシャボン玉で遊んでいる他愛ない風景を切り取った詩に見えます。

2番の歌詞です

シャボン玉 消えた
     飛ばずに消えた
     生まれて すぐに
     こはれて消えた


すぐに消えてしまうシャボン玉の儚さ。
雨情は大正10年11月に生まれてすぐに天国に召された四女恒子を思う祈りを
歌にし、大正11年11月の「金の塔」に発表しました。
明治41年に長女みとりも生まれて8日目で亡くした雨情にとっては
悲しみは深いものでした。

●作曲者 中山晋平


そしてこの詩に当代随一の流行作曲家 中山晋平が曲を書き、
大正12年1月に発表されました。
もしかしたら、雨情は讃美歌「主われ愛す」を意識してこの童謡をかき、
そのことを中山晋平に伝えたのかもしれません。

今日でも、介護ホームで暮らすミッションスクール出身のご婦人が、
「主われを愛す」をうたっていると、
最後には 「風 風 吹くな」とうたっていると聞きました。

日本人の心を打つメロディは本当によく似ていて、
「シャボン玉」は「主われを愛す」の生まれ変わりのように思えてきます。

似ていると思わせるには理由があります。
ともに2拍子で同じように、上下に八分音符を弾ませていきます。
最後の部分「こはれて消えた」と「恐れはあらじ」は
全く同じ旋律です。

そして、ともに詩形が七七調であることも似ている理由でしょうか。

●熊本バンド 花岡山での誓い 

   主われを愛す
   主は強ければ
   われ弱くとも
   恐れはあらじ

明治9年1月29日 現在の熊本花岡山で熊本洋学校生徒40人が
キリスト教入信の誓いを立てました。
かつての熊本藩士横井小楠の甥、太平は米国留学するため
長崎港から密航しました。
肺を患い帰国し、心血を注いで作ったのが熊本洋学校でした。
明治4年4月に21歳の若さで志半ばで没しましたが、
文明開化に目覚めて熊本藩の希望となる学校でした。
生徒たちは用心のため、目立たなぬように連れ立って、
山に登り、山頂に全員が揃ったところで
大きな輪を作り、祈祷会をした後
「主われを愛す」を合唱しました。

キリスト教による神の国の建設を夢見た彼らの行くてにある
迫害を思っての決死を誓いあう歌だったのかもしれません。
実際、先祖を裏切った生徒たちには座敷牢に幽閉されるか、
自刃で脅かされる猛烈な弾圧が降り掛かりました。

熊本バンドのメンバーには宮川経輝、
金森通倫、海老名弾正がいました。

もう少し、話を進めます。

●作詞者 アンナ・ワーナー


彼らがこの讃美歌を好んだのは、
彼らの教師でウェストポイント陸軍士官学校卒業生の
ジェームス大尉がよく歌っていた讃美歌だったからでした。

彼のかつての婚約者、南北戦争当時の人気作家だった
アンナ・ワーナーこそが
「Jesus loves me , this I know」
作詞者でした。

もとの詩は彼女が1860年に出版した小説「Say and Seal」第二巻第8章にあり、主人公の少女フェイスが見守る中、リンデン教師の腕に抱かれながら今まさに召されようとするジョニーの口から漏れ聞こえる歌であった。

イエスさまがぼくを愛してくれることは、
聖書が教えてくれる
イエスさまが死んだので、
天国の門が広く開かれた。
イエスさまは、ぼくを天国の家につれていってくださる。

これを詞にしてブラッドペリーという人気作家が作曲して「主我を愛す」が生まれたのは1862年のことであった。
 軽やかな旋律からは想像しがたいことではあるが、子どもの讃美歌「主我を愛す」の
詩には幼くして死に往く者への祈りがあり、童謡「シャボン玉」の詩にも幼い死者への祈りがあった。

アメリカの日曜学校の讃美歌「主我を愛す」とそれに胚胎した新しい日本の歌の道筋に咲いた花のような童謡「シャボン玉」とは、およそ半世紀と数万キロの時空をこえて幼き死者への祈りによって互いに呼応していたといえよう。
 (引用 193〜194ページ)


困難な事態に陥ったとき、
私は「主われを愛す」を口ずさみます。
なんだか勇気が出てきます。

関西弁バージョン、面白いですよ。



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