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♫歌の翼に♫ メンデルスゾーン

ピアノ発表会


あの日から12年目の3月11日の午後、
私は「子どものためのピアノ発表会」で
ピアノを弾きました。
ピアノの発表会に出るのは半世紀ぶりでした。
練習する時間を作るのはもちろん大変でした。
でもメンデルスゾーンの曲を弾きたい!という思いは
全てのことに優っていました。

弾いた曲は「歌の翼に」
女学校時代合唱団で歌って以来大好きな曲でした。


なぜ、「歌の翼に」を選んだかというと
ドイルの作曲家メンデルスゾーン、
デンマークの作家アンデルセン、
スウェーデンのオペラ歌手ジェニー
この3人の秘められた恋が頭から離れなかったからです。

三人の出会い


ベルリンのメンデルスゾーン邸は
貴族の屋敷に引けを取らない豪華で優雅な屋敷で、
新興の銀行家の羽振りの良さが伺えます。

ある夜、この屋敷で内輪のパーティーが開かれていました。
メンデルスゾーン家にゆかりのある紳士淑女が招かれ、
才女の誉高いフェリックスの姉ファニーのもてなしを受けて、
雅な時を過ごしていました。

そこに、どこか似つかわしくない客人がいました。
最近ようやく親しくなったグリム兄弟に紹介されて、
意気込んでやってきたハンス・クリスチャン・アンデルセンです。


アンデルセンは一番人気の「人魚姫」を
思い入れたっぷりに朗読しました。
王子に会いたい一心で声と引き換えに足を手に入れた人魚姫、
報われなくても愛をつらぬき、
海の泡となって消えていくラストシーンでは、
アンデルセンの前のソファに座っていた女性たちは啜り泣きして、
朗読が終わると広間にいた人たちから
心のこもった拍手が湧き上がりました。
大いに面目を施したアンデルセンは嬉しさのあまり、
もう一つの物語を朗読しようとした時、
入り口あたりがざわめき、
広間にいた客人は我先に新しい客人を迎えようと
アンデルセンの元を立ちさりました。

呆気に取られたアンデルセンは近くに残った男性に何事かと尋ねました。
「ああ、お目あてのリスト君の登場でしょう」と答えました。
フランツ・リスト!
このカリスマ的ピアニストの名前は
世辞に疎いアンデルセンも知っていました。
華やかでハンサムなリストは超絶技巧の演奏テクニックと相まって
社交会の貴婦人たちの寵児ともてはやされていました。

背の高いアンデルセン、暖炉の脇からそっと様子をみていると、
リストは淑女たちに引っ張られていき、
ピアノの前に座りました。
広間はしんと静まります。
するとパガニーニ『ヴァイオリン協奏曲』を
自らピアノ曲に改作した超絶技巧の練習曲が
リストの長い指から流れて行きました。

その場の華やかさに少し疲れを感じたアンデルセンは部屋を出て、
手入れの行き届いた庭を散歩して夜風に当たっていました。
そのアンデルセンの様子を描いている人物がいました。
ファニーの夫で画家のヘンゼルです。
賑やかなパーティーが苦手のヘンゼルとアンデルセンは
似たもの同士の安心感で初めて会ったとは思えないような
温かな語らいをしました。

しばし時がすぎて、広間の戻ろうとした時
リストの演奏が聞こえてきました。
演奏はさらに派手にこれみよがしになっています。

あれからずっと弾いているのかと思って中に入ると、
何やら様子が違います。
ピアノの周りにいる人たちはワイン片手に大笑いしています。
不思議に思ってふと気づくと、
なんとソファにリストその人が大笑いして座っています。

あれ?とピアノの方を見ると、
端正な容姿のリストとは全く違うタイプの演奏者が
リストをそっくり真似してピアノを弾いていました。
最後の一音が長い余韻を残してから消えると
割れんばかりの拍手です。
「ぼくがもう一人いるかと思ったよ」と
笑いながら声をかけています。
「怒られるかと思ったよ」「いや、最高だったよ」
二人は親しげに話しています。
アンデルセンが近くの人に「あの方はどなたですか」と聞くと
「ご存知ないのですか?彼こそこの家の長男フェリックスです」
二人の最初の出会いでした。

お互いに挨拶を交わしてから、
二人はしばしばヨーロッパに芸術家について楽しく語り合いました。
アンデルセンがスウェーデンで人気を博し、
『ナイチンゲール』異名を持つ歌姫ジェニー・リンドのことを話しました。
「ジェニーの自然で真実の声は、
もしかするとフェリックス、
あなたの演奏に通じつものがあるかもしれませんね」
何気なく言った一言でしたが、的を得た一言でした。

ジェニー・リンドは恵まれない子供時代を送りましたが、
2オクターブと¾という驚異的な広音域を天から与えら、
スウェーデン・オペラ界の頂点に立っていました。
世界の歌姫になるにはパリ、ウィーン、ロンドンで
成功しなければなりません。
でも彼女には外へでる勇気はありませんでした。
引っ込み事案のジェニーの背中を押したのがアンデルセンでした。
アンデルセンはジェニーを妻に迎えたいと思うほど大切に思いました。

ようやくジェニーは重い腰をあげ、
マイヤーベーアの『悪魔のロベール』に出演して、大成功を収めました。
のちにショパンが「北極のオーロラ」にたとえた輝く声は
滑らかにどこまでも伸びてゆき、完璧な歌唱は観客の心を瞬時にとらえました。
ジェニーは一歩、一歩世界の歌姫の階段をあがり、
どんなにアンデルセンが熱く告白しても
「あなたの妹ジェニー」の立場を崩すことはありませんでした。



さて、ある晩のこと、ドイツ語を話せないジェニーはベルリンの
ウイッチマン教授の屋敷で開かれるパーティーに
出ることにどうしても気が進みませんでした。
が、仕方なく出かけ、屋敷に入りました。

執事に案内されてそっとホールに入り、
円柱の陰に隠れるように回ると、
柔らかな男性の声が聞こえてきました。
そして、盛大な拍手の水を打ったような静けさが訪れ、
ヴァイオリンの音がなりました。
ヴァイオリン協奏曲。
正式な初演前にごく親しい人たちの前で演奏されたのです。
情熱的でありながら、馥郁たる清楚な香を放つ豊かさ。
ジェニーは心を揺さぶられ、
演奏が終わった時には痛くなるほどに手を叩きました。

フェリックスとジェニー、運命の出会いでした。

「素晴らしい女性です。
これから幾世紀を通りしても
彼女のような女性は二度と現れないでしょう」

フェリックスはハンスにあてた手紙でジェニーを絶賛しました。
かのメンデルスゾーンが気に入ったのだから、
ジェニーの行く手は安泰とアンデルセンは勇気百倍です。
ジェニーに会いたい一心ですが、
ジェニーはハンスの思いを重たく感じるばかりです。
ジェニーの心はフェリックスに向いているのです。
幼いころから家族の愛に恵まれなかったジェニーは音楽家である前に、
一人の女性として幸せになりたいと願っていました。

そんなジェニーがライプツィヒにある
メンデルスゾーン邸の夕食に招かれた時、
目にしたのは完璧な愛の家族でした。
フェリックスの妻セシルはジェニーとは全く反対のタイプ。
生まれた時から周囲にずっと守られてきた女性特有の
えもいわれぬ優しさと甘さがあり、
それはこれまでたった一人で戦ってきたジェニーには
到底身につけられないものでした。
ジェニーはセシルに、
セシルはジェニーに嫉妬心を持つのは
当然の成り行きでした。

セシル


ジェニー



フェリックスとジェニー、この二人は決して結ばれない運命です。
ジェニーをひたすら追いかけたハンス。
恋の大三角関係。
いつも世にもある悲しい定めです。

ジェニーはきっぱりハンスを拒絶します
アンデルセン42歳、メンデルスゾーン38歳、リンド26歳の晩春、
それぞれが自ら諦念を知りました。

メンデルスゾーンの死


フェリックス・メンデルスゾーンは
1847年11月日午後2時頃、激しい頭痛が襲い、
頭を抱えて倒れ、失神。
そのあと、朦朧としながら、大きな声をあげたり、
歌ったり、太鼓を打つような仕草をしたりして夜を越しました。

4日妻セシルが具合を聞くと「とても疲れた」と答えました。
これが最後の言葉になり、直後に意識がなくなり、
夜9時頃、息を引き取りました。

臨終に立ち会った友人モシュレスがこう書いています。
「天使のように安らかで、不滅の魂が刻印されていた。
 私はまだ温もりの残る彼の額にそっと最後の口づけをした」


ファニーの夫ヘンゼルによるデッサン


38歳という若さで姉のファニーを追うように
天国へと旅立ったフェリックス。


葬儀はライプツィヒで行われ、
遺体は列車でベルリンへと運ばれました。

ベルリンではベートーヴェン『葬送行進曲』が流れる中、
聖三位一体教会にあるメンデルスゾーン家の墓地、
ファニーの墓の隣に埋葬されました。

メンデルスゾーン家の墓地


アンデルセンは自伝の中で
メンデルスゾーンの死に触れています。
ジェニーは訃報を受け呆然として何も手につかず、
2ヶ月経ってようやく知らせてくれた
ウィッチマン夫人へ返信したくらいでした。


メンデルスゾーンが天に召されたのち
アンデルセンは30年、リンドは40年生きました。
二人はフェリックスがみなかった未来をみました。
万国博覧会、エレベーター、ダイナマイトや電話。
何より二人は生前も死後も変わらなし「名声」を手にしました。


反対にメンデルスゾーンに対する評価は時代の波に翻弄されました。
ドイツではユダヤ人排斥運動が強化され、
真っ先にリヒャルト・ワーグナーがメンデルスゾーンを誹謗しました。
かつての恩も忘れての行為でした。
「ユダヤ人は創造できず模倣するだけ」
「メンデルスゾーンはヨヒアムだのダヴィッドだのを連れてきて
 ライプツィヒをユダヤ人音楽の町にしてしまった」
「メンデルスゾーンは才能や教養はあったが
 人に感動を与える音楽は作れなかった」などなど。


ワーグナー 



70年後、ナチス党首ヒトラーが政権をとると、
ユダヤ人への迫害は公然のものとなりました。
メンデルスゾーン銀行は解体され、
ワーグナーがもてはやされる一方、
メンデルスゾーンの名前は教科書から消されました。
銅像も壊され、彼の作品の出版は禁止されました。

1945年、ナチス崩壊後も一度貶められた
メンデルスゾーンの名誉を回復することは
簡単ではありませんでした。

「軽い曲を作った幸せな音楽家」
「サロン的音楽家」
「お金持ちのボンボン作曲家」
と侮蔑的な扱いもされてきました。

しかしながら、彼の作品の持つ優雅さ、明朗で知的な美しさ
類稀なメロディの豊かさは永遠に消えることのないものです。

私はメンデルスゾーンの音楽に心惹かれるのは
光と影がゆらめいているからだと思います。

彼が豊かな生活でありながらも
常にマイノリティであることを
意識していたからかもしれません。

オラトリオ『エリヤ』


フェリックスが逝って1年経った時、
ジェニーの元にイギリスからの公演依頼が届きました。

オラトリオ『エリヤ』の再演です。
メンデルスゾーンがジェニーの声質に合わせて書き直した
「天使」と「寡婦」という二つのソプラノパート。
ロンドンのエクセターホールでジェニーは歌います。
フェリックスとの思い出を浮かべながら・・・
預言者エリヤとフェリックスの最後を重ねながら・・・

「おお、わが主よ。全て事足りました。
 私の命を召してください。
 私はもはや生きながらえることを望みません。
 今、この場で私を主の御元へ召してください」
エリヤは神に呼びかけます。

すると天使が降りてきて答えます。
「さあ、行きなさい。
 主の御前の山にお立ちなさい。
 主の栄光が現れ、あなたを照らすでしょう」

エリヤはシナイ山に登り、
火の馬の引く火の車に乗りこみ
さかまく風の中、高く高く、
神のいます天国へと登っていくのです。


「エリヤの昇天」ジョアン・バルテス・リール作


ヘンデル「メサイア」、ハイドン「天地創造」と並び
三大オラトリアとも称される
メンデルスゾーン「エリヤ」
大曲のソプラノを務めたジェニー。

ドイツの切手になったメンデルスゾーン
デンマークの切手になったアンデルセン
スウェーデン紙幣に描かれたリンド


人生は不思議なものです。
何が幸せで、何が不幸せかは
誰にもわかりません。

誰もわからないけれど
自分だけが知っている感情を
大切にしたい・・


ジェニーはきっと「歌の翼に」を歌って
フェリックスを思い出していた・・と思いながら
私はピアノを弾きました。











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