奇跡の歌姫〜渡辺はま子〜2022
新横浜ラーメン博物館の前に滝の流れる
素敵なフレンチレストランがありました。
その名はラントラクト〜幕間〜。
私も何度かお食事に行きましたが、
残念ながら今は営業していません。
その素敵な場所で
横浜夢座のドラマリーディングLIVE VOL.1が
限定公開という形で開催されました。
企画:五大路子
作 :山崎洋子
脚色:あべゆかり
演出:高橋和久
音楽:三神絵里子
出演:五大路子
高井清史
高橋和久
渡辺はま子役 五大路子
当日いただいたパンフレットに書かれていた
五大路子さんのメッセージを転記します。
モンテンルパBC級戦犯の もうひとつの歌
奇跡の歌姫「渡辺はま子」
あゝモンテンルパの夜は更けて
はま子さんの肉声もお聴きください。
作家 山崎洋子先生の想い
2001年の初演を迎えた舞台は終戦70周年企画の2015年に横浜ランドマークで上演されました。
そのパンフレットに作家山崎洋子さんが寄稿されている文章を紹介します。
2015年、私はランドマークの劇場で舞台を観劇しました。
その時よりも今回の方が、心を揺さぶられました。
それは、私自身は年を重ね、
孫達世代の社会がどうなるのかと気になっていることと、
恐ろしいことに、戦争が身近に感じられるからです。
山崎先生が書かれているように
「もしいま、日本の社会が戦争に近づいているとすれば、
その責任は私にも、あなたにも、あると思うのだ。」
という想いが強くなっています。
今回の舞台は五大さんと山崎先生がバッタリあって「こんなご時世、なかなか舞台も出来なくて」という五大さんに「あら、なんとか、できるんじゃない?」という山崎先生の言葉にはっとされて、考えて、この「リーディングライブ」を企画されたという話を聞きました。
「こんなご時世だから、なかなか舞台はできないわ」「ほんとよね。早く舞台ができるようになればいいわね」というのが普通の世間話の展開ですが、そこで終わらず、前に一歩でたところが、五大さんの「本気」の現れだと思いました。
舞台の背景や、役者さんの動きがないので、語られる言葉から想像力が掻き立てられ、その情景が浮かびました。
2時間の舞台を1時間にすることで、多くを削ぎ落とし、大切なものが語れます。
3人だけの真剣勝負です。
目を閉じて聞いていると時と場所を超えていきます。
熱い思いがあふれてきて、涙が流れて、ハンカチで何度も拭いました。
終了後、トークイベントが行われました。
五大路子さんの司会で
作家山崎洋子先生
モンテンルパの会から増田さん、常岡さん、
そして当時高校1年ながら共鳴を受け、
戦犯の方と文通をしていた井垣さん。
4名の方がそれぞれの立場からお話されました。
増田さんのお父様は満州から職業軍人としてフィリピンに連れていかれました。
昭和28年、横浜港に、迎えに行ったことをよく覚えていました。
戦後に生まれた常岡さんは「父が帰ってこなかったら、私は生まれていませんでした。」とおっしゃって、
「和合の心」の大切さをもお話しくださいました。
文通をしているころ、結核にかかってしまった井垣さん。
フィリピンのみんなから励まされ、自分も強く生きようと思ったことを話されました。
人生は続き、歴史が作られていくのだと思いました。
大先輩 渡辺はま子さん
1910年(明治43年)に横浜平沼で誕生した加藤濱子さん。本名濱子さんは生涯横浜で過ごしたハマっ子です。愛称は「おはまさん」
お母様のお祖父様が日系アメリカ人でいしたので、日本人離れした美貌に恵まれて、武蔵野音楽学校卒業後、横浜高等女学校の音楽の先生になりました。その後教師を辞めて、歌手の道を歩みました。
はま子さんは私の母校捜真女学校の大先輩です。
1973年、私が高校2年生の時に、母校のチャペルにいらしてくださいました。
その年、紫綬褒章を受賞され、お祝いの意味もあったのでしょうか。
同年女学校の校長先生になられた日野綾子先生と親しくされていたからでしょうか。
アコーデオン奏者とお二人でチャペルの壇上にあがられました。
いつも冷静沈着の年配の先生が、いつになくはしゃいでいるのが、印象的でした。
そして、一番うるさい時期の高校2年生の私たち。
「渡辺はま子?誰?歌手?」と、
最初は「ふ〜ん」という冷めた雰囲気がありました。
「アヤちゃん」「はまちゃん」と笑顔で呼びあう二人は何となく雰囲気が似ていました。
はま子さんが自分の物語を話していくうちに、次第に空気が変わっていきました。
「人生への本気さ」が半端ないなとみんな感じてきたのです。
アコーディオンの伴奏で「蘇州夜曲」を歌うころには、私達の心は鷲掴みになっていました。
「歌手になりたい人いるかしら・・・?
うんと、勉強しなさいよ。
何でもそうだけど、本読んで、勉強することはとても大切よ。」
と当たり前のことをおっしゃるのですが、その当たり前のことに重みがありました。
1999年12月31日に天に召された渡辺はま子さんを追うように、
2000年3月9日、日野綾子先生は天国に凱旋されました。
姉妹のような美しいお二人の佇まいは、
記憶に鮮やかに残っています。
自分の人生を生きることが難しかった時代に、
勇気を持って、自らの考えで行動するには
「核」のようなものが必要です。
渡辺はま子さんの「核」は、
この学校の母と呼ばれたミス・カンヴァースの言葉がありました。
そして一言
おっしゃっています。
“Trust in God. Be true to your best self“
「神を信頼しなさい。最善の自己に忠実でありなさい」
最近思うこと
最近、高齢者と呼ばれる年になり、
これまでの人生を振り返り、ふと思うことがあります。
自分の夢を叶えられたか・・
自分のことばかり考えていないか・・・
自分の人生にイエス!と言えているか・・
自分の周りのことが目に入っているか・・・
自分の想いとおりにしようとしてはいないか・・・
自分の責任を果たしているだろうか・・・
自分の最後の時をどう考えて行ったら良いか・・・
などなど。
そのたびに「最善の自己に忠実でありなさい」という
ミス・カンヴァースの言葉が心に響きます。
五大路子さんはハマのメリーさんと出会い、
心惹かれ、メリーさんだけでない、
横浜でいきた多くの名もない女性達のことを描いた
「横浜ローザ」を演じました。
そして、昭和の歌姫渡辺はま子さんと出会い、
訃報を聞いた後に、はま子さんを調べていき、
「奇跡の歌姫」を舞台化しました。
そして来週は横浜大空襲を描いた
「真昼の夕焼け」の舞台に立たれます。
思ったことを実行する行動力を持つ五大路子さん、しなやかでお茶目な五大さんの後を追って私も自分の夢を追っていきいたと思います。
ドラマリーディングLIVE 最初の一歩。
これから多くのところで
たくさんの方々のい観ていただきたいと思います。
これは過去の物語でなく
今、この時に考えていきたい
現在、未来の物語かもしれません。
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