知里幸恵の生涯「神々の謡」大成功感謝💞
7月13日いよいよ本番
窓から太陽の光が・・・
「やった!晴れてる!よかった。
でもあんまり暑くならないで欲しいなあ」
と思った朝でした。
昨年の9月に本郷の教会で公演を観て、
感動したわたしは直後に
「ぜひ横浜公演をしたいです」とお二人にお願いしたら
快諾していただき、すぐに日程が決まりました。
2024年7月13日・・・
半年以上も前のことです。
今年の1月に会場の抽選がありました。
ところが、くじ運なく、会場の抽選はことごとく外れていきました。
そして、横浜ユニオン教会の扉をたたきました。
横浜公演をする場所はここしか
あり得なかったと確信しました。
祭壇のガラス張りの窓の外には
大きな命の木が天に向けて枝を
伸ばし緑いっぱいの葉を茂らせています。
『アイヌ神謡集』冒頭にあるユーカラ
「銀のしずく降る降るまわりに」のように、
十字架は銀のしずくが降る中にありました。
12時から会場入り。
車から次々を下ろされる機材の多さに驚きました。
こんなにコンパクトに入っているなんて驚き!
13日は連休初日の土曜日ということで
イベントラッシュでしたので、
集客がなかなか難しかったのですが、
ふたを開けてみたら、
思った以上の方がいらしてくださいました。感謝。
時間の経過と共に
光の入り具合が変わっていきます。
晴れ間から光がさしていた序盤、
中盤に差しかかると
空から雨のしずくが落ちて
木の葉がゆらゆら揺れていきます。
知里幸恵の生涯
知里幸恵というアイヌの少女がいました。
彼女は1903年(明治36年)に北海道に生まれ、
祖母からアイヌの叙情詩ユカラなどの
アイヌ文化を伝えられました。
聡明な幸恵は勉強が大好きでしたが、
和人の学校で学ぶことはできませんでした。
なぜ、差別をされるのか、
幼い頃から理不尽さを胸に生きていました。
旭川の教会で聖公会の宣教師ジョン・バチュラーから
洗礼を受けキリスト者となり、
キリストによる自由を得ました。
そして、アイヌ語学の始祖・金田一京助と出会い、
才能を見出されて、18歳で上京。
金田一京助の家でアイヌ語を
日本語に表現する翻訳作業をします。
1922年9月18日、持病の心臓病が悪化して他界。
まだ19歳の若さでした。
残された唯一の著書『アイヌ神謡集』は
アイヌ人の手で初めて書かれた
アイヌ語のテキストというだけでなく、
これまで刊行されたアイヌ文学書の中で、
最も愛されてきた書物となりました。
「神々の謡」舞香と幸恵
「神々の謡」の初演は2009年10月1日。
それまで普通のお芝居をしていた舞香さん。
金子みすゞの一人芝居のお客さまアンケートに
「知里幸恵さんのお芝居を
やって欲しいです」という一文がありました。
初めて、幸恵さんのことを知った舞香さんは
知里幸恵を調べていき、心を動かされ、
意欲を持ちますが、
作品を作る道は
なかなか一筋縄ではいきません。
アイヌ人でない普通の「東京の女の子」が
演じられるのか・・・・
公演日程が決まり、チケット販売が始まっても
脚本は書けなかったそうです。
そして、自らアイヌの人々の中に飛び込んでいった舞香さん。
アイヌでないからこそ描けることに気づいて
「神々の謡」を書き上げていきました。
今回の上演時間は1時間半ですが、
本来はもっと長かったのそうです。
終盤の場面で
幸恵は「あんたのせいよ。あんたのせいよ」と
刃物を振り回し、全てのものを恨み、
怒りを爆発させ、
自らの命までも否定して、
取り巻く世界にお訴えかけます。
しかし、そのあとで、幸恵は気付きます。
これまでの苦悩も葛藤も無駄ではなかったと。
全て神様の計らいの中であったのだと。
「わたしは差別される心を知っている。
強い心を持っている。
だからわたしは差別される人を先に赦すことができる。
受け入れることができる。
アイヌのユカラは同族だけに語られるものではない。
世界中の人たちにも大切なことだ。
わたしはユカラを伝えよう」
幸恵は最後の場面で、
アイヌの民族衣装に身を包みます。
教会の祭壇に立つ舞香さんは幸恵、
まっすぐに天を仰ぎ、
神の愛に包まれていました。
そう、わたしも同じ。
何か良くないことが起こると
なぜなぜ?なんでわたしなの?
「あんたのせいよ」と拳を挙げるのです。
〜あなたがわたしを選んだのではない。
わたしがあなたを選んだのだよ。〜
神さまの声が聞こえます。
舞香さんは「神々の謡」を上演する
使命を与えられたのだと思いました。
音楽 いわさききょうこ
「はじまりの詩」
初めてこの歌を聴いた時の衝撃を
忘れることができません。
「神々の謡」
「知里幸恵」
初めて聞く名前でした。
ぜひ舞台を見たいと思いました。
念願かなって昨年本郷の教会で舞台を見ました。
その時、横浜で公演したいと思ったのです。
そして、わたしの夢が実現しました。
恵のひとときでした。
会場 横浜ユニオン教会
かつてこの場所には
日本で最初の聖書印刷所が建っていました。
バプテスト派宣教師のネーザン・ブラウンが
聖書の翻訳をして、この場所で日本語の聖書が
印刷されたのです。
ネーザン・ブラウンnの妻シャーロットは印刷所に2階で
7人の少女を集めて小さな学校を始めました。
その学舎が捜真女学校となりました。
わたしの母校です。
感謝
横浜ユニオン教会で公演できたことは
わたしにとってとても意味深いものでした。
この公演をもって
NPOマリゴールドの魔法主催のイベントは
しばらく休止します。
中締めに相応しい
素晴らしい舞台でした。
出演くださった舞香さん、きょうこさん
山手の坂道を登っていらしてくださった皆さま、
お手伝いをしていただいた皆さま、
ユニオン教会の皆さま、
ありがとうございました。
心より感謝します。
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