見出し画像

✨一人芝居 マグダラのマリア✨


「あの方と出会った時の話から始めましょう。
 その出会いが わたしの人生を変えました。」

山手の洋館エリスマン邸で行われた
麻生瑛子さんの一人芝居「マグダラのマリア」を観てきました。

エリスマン邸




女は人として扱われなかったい2000年前、
女一人で生きていくために辛酸を舐めていたマリアは
エルサレムでイエスと出会い、ついていきます。
数々の奇跡を目の当たりにして、
イエスの愛にふれ、
マリアの人生は劇的に変わっていきます。

そして、十字架の上で息絶えるイエスを見守り、
墓に納められた後もイエスから離れず、
復活のイエスに出会うのです。
イエスはマリアにいいます。「おはよう、マリア」と。

このように書いているのを読んだら、
ストーリーとして理解できるでしょう。

でも、麻生さんはマリアとなり、
わたしたちはマリアを通してイエスの十字架と復活を見ました。
涙が溢れてきました。

麻生さんは45歳でマグダラのマリアの一人芝居を始め、
これまでに日本各地のみならず、
アメリカ、ブラジル、上海、香港での公演もされています。



あの日、あの朝


あの日、いつものように朝4時頃起きて
メールチェックと、Googleあけたら、
〜一人芝居「マグダラのマリア」エリスマン邸で上演!〜
というタウンニュースの記事が
目に飛び込んで来ました。



「マグダラのマリア」のお芝居がある事をはじめて知って、
即座にチケット申し込まないと!と思ったけど、
まだ5時前・・・・
常識的に 9時まで待ちました。

電話で予約をして、
「マグダラのマリア」大好きなんですと熱っぼく語っていました。

ふと、「もしかして麻生さんですか?」と尋ねると
「はい、そうですよ〜」
まあ! 何を話しているか、わからないほど
あがってしまいました。

住所氏名を伝えると、
その後、すぐにチラシをお送りくださいました。


麻生瑛子(アソウエイコ)プロフィール
8才から演劇を始める。長崎外語短大卒業後、大分放送報道制作局アナウンス部に勤務。
蜷川幸雄氏の第1期生として指導のもと、近松心中物語にてプロデビューし舞台、映画、TVにて活躍する。
劇団「昴」の所属俳優としても活躍。
その後、自身で脚本、演出を手がけ、ワシントン、ニューヨーク、プリンストン、ニュージャージー、ブラジル、ペレン、カスタニャール、マナウス、ロス、ハワイ、サンフランシスコ、サンディエゴ、上海、など国内外で150回以上公演し、大きな反響を得る。
彼女の一人芝居は評判高く、圧巻である。
子育てをきっかけに第一線を離れるがやはり彼女の生きる道は芝居の道、現役復帰を果たす。
シュールな役からコミカルな役など芸の幅広く、いまだ奢ることなく謙虚な心を持つ俳優である。
1998年8月 劇団ジーザスクライスト設立。一人芝居「マグダラのマリア」旗揚げ。

わたしはマグダラのマリアに呼ばれて
山手の坂を登っていきました。

マグダラのマリア

さて、マグダラのマリアとはどんな女性だったのでしょうか。

聖書には
聖母マリアのほか、何人ものマリアが登場します。
月並みな名前でありました。

マグダラのマリアはマグダラ地方から来たマリアです。

彼女は福音書の中に何回も登場していて、
復活したイエスに最初に出会い、
使徒たちに復活を告げ知らせた重要人物です。


ルカによる福音書によると
宣教活動の旅に十二弟子だけでなく、
マグダラのマリアのほかにも女性に弟子がいたようです。


*****


さて、イエスは

十二弟子の一人である
ユダに裏切られ、
逮捕され、
裁判の結果十字架に処せられます。


〜イエスを十字架にかけるシーン、
くぎを打ち付ける音が耳に響きます。

涙が溢れます。〜

第一弟子と呼ばれたペテロも、
ほかの弟子たちと逃げてしまいましたが、
マグダラのマリアは聖母マリアと
共に最後まで十字架の下にいて、
イエスの死を見届け、
十字架の死の証人となりました。

十字架から下ろされたイエスの遺体は
洞穴の墓に置かれ、
その入り口は大きな岩で塞がれました。

三日目の早朝、
マグダラのマリアとヤコブの母マリアとサロメは香油を携えて、
墓に向かいました。

墓を塞いでいた岩は転がっていて、
中は空っぽでした。

驚いたマリアは走って、
ペテロに知らせます。


マリアの言葉に半信半疑のペテロたちは墓に来たものの、
遺体は盗まれたと思うだけでした。

墓の前で泣くばかりのマリア。
そこにイエスが現れて語りかけます。

〜おはよう マリア〜
なんて優しい言葉かけでしょう・・・〜

マリアは
復活したイエスの第一発見者、
復活の証人となりました。

*****


罪深い女とも言われたマグダラのマリア・・・
でしたが、
1960年代の第二バチカン公会議以降、
カトリック教会は彼女を聖人としました。




わたしはマグダラのマリアが好きです。
一所懸命だからです。

彼女は「とことんイエス」だったのです。

わたしのマグダラのマリア像を、
麻生瑛子さんは見事に表現してくださいました。

麻生瑛子さん



石を投げなさい


イエスは、ある時オリーブ山で民衆を教えていました。
そこへファリサイ人が、姦淫の場で捕らえた女性を連れて来ました。
彼女を真ん中に立たせてから、
イエスに「モーセは律法の中で、
このような女を石打ちにすることを私たちに規定しました。
あなたはいったい何と言われますか」
とイエスに言い寄ります。

これはイエスを貶める罠です。
「石を投げてはいけない」と答えれば、
「モーセの律法を無視するのか」
「石打にしなさい」と言えば、
「愛の教えはいったい何だ。嘘つきか」と
糾弾しようと手ぐすね引いて待ち構えるファリサイ人。


絶対絶命のイエス。

その場合にしゃがみ込んで、
しばらく地面に何かを描いてから、
イエスは
「あなた方の中で罪のない人が、
彼女に対して最初に石を投げなさい」と言いました。

すると、パリサイ人や他の人達は
年のいったものから一人去り、二人去り、
最後には皆去って行きました。

一人だけ残った女性に対して、
イエスが「彼らはどこにいるのですか。
誰もあなたを罪に定めなかったのですか」
と尋ねました。

「誰も」と女性は答えました。
イエスは「私もあなたを罪に定めません。
行きなさい。
今からは、もう罪を習わしにしてはいけません」
と言いました。

「わたしは殺される」と怯えるマリア、
人々が去った後、
イエスと残されるマリア、
わたしは物陰から見ているような気がしました。


さてさて、今の世の中を見てみると
「わたしには罪がない。」と思っている人が
なんと多いことでしょうか。

誰かが石を投げたら、
後から後から、みんなで投げつける。

世間を騒がしている不倫騒動を筆頭に、
なんだか石の投げ合い合戦のよう。

テレビがないのでテレビを見ないわたしでも
なんだかなあ・・・と思っていました。

麻生さんのマリアを見ていて
はっとしました。

胸に手を当てて考えてみて・・・

わたしも石を持っている。

この石を投げることができる。

石を投げられる人を裁くだけでなく

石を投げている人も裁いているのでは・・・

石を捨てよう・・と思いました。


写真を撮ってもいいですか?というわたしに笑顔で応えてくださいました



元町公園に降りていきます


元町公園のプール




エリスマン邸の脇の階段を降りて、元町公園を通っての帰り道、
誰も見る人のいないのに、美しく咲く紫陽花に見惚れながら、
階段を降りていくと誰もいない元町公園プールが見えてきました。
静かな誰もいない夕暮れ時・・・

麻生瑛子さんのご家族に会いに
東芹が谷にある教会に行ってみたいなあと思いました。

#一人芝居
#マグダラのマリア
#麻生瑛子
#劇団ジーザスクライスト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?